世界の秘密を知っている。
流血表現が出てまいります。
苦手な方は回れ右。
夜空に月が輝いている。太陽が姿を消した今、俺が立つ京の都に届くのは月光だけだ。月光は俺を裏切らない。いつだって俺を導いてくれた。此度もこの美しく儚いこの灯りは、俺の未来を照らすものとなるだろうか。
どうか、あの哀れな鬼の元にたどり着くための道筋を俺に示してくれますよう。
内裏を辞した俺はいつものように朱雀門の柱の片隅に姿を現す。門の前でうずくまっていた老婆は俺の姿を見ると腰を抜かした。その老婆にはもう二度と会うことも無いだろうから、言い訳をすることも無くそのまま通り過ぎた。この老婆が俺のことを不審に思おうが俺には何の関係も無い。
実のところ、あの冠をかぶった男にはああ言ったが、俺は別に冥府に勤める官吏ではない。だが、魑魅魍魎が信じられているこの世界では、そのように言っておく方が何かと都合がいいのだ。俺の奇特な行動を見逃してもらいやすくなる。
人間が死を迎えた後に訪れるとされる冥府など本当は存在しない。あるのは空虚な世界だけ。だから俺が冥府に勤めるはずも無いのだ。そう言いきれるのは俺がこの世界の“秘密”を知っているから。
この世に存在するモノは全てココロを持っている。生き物もそうでないモノも同様に。俺はそのことを物心ついた時にはすでに知っていた。それは誰から教えられたことでもなかった。
先ほどの内裏からいきなり朱雀門の傍に移動したのもその秘密を知っているからこそできること。俺にとってこの程度のことは造作も無いことである。
________どんなときも、あの優しく、しかし冷酷な“月光”が導いてくれた。
そして、俺は再び暗闇の中に溶けて消えた。
次に姿を現したのはとある橋の上だった。堀川の上にかかるその橋の周囲には誰もいない。月明かりだけが俺がここにいることを知っている。そう、俺は一人ではない、いつだって。
「手がかりはなし、か」
ここに来たのはとある人物を探し当てるため。
男か女か、若者か老人かすら分からないその人物は、今日の都を震撼させる重大事件を引き起こした輩である。
始まりは一条の堀川にかかる橋でのことだった。帝がまします内裏に程近いその場所で三人もの死体が発見されたのだ。三人は同じ邸に勤める侍で、そのうち一人は腕に自信のある強者であったらしい。
いずれの死体も共通して、首の損傷が凄まじかった。
鋭利な刃物で何度も何度も切り付けられた跡。一つ一つの傷は浅いものでしかなかったが、それらが何百もの数となると致命傷となるようだ。
その現場を最初に見つけたのが、夜警に出ていた検非違使であったことが不幸中の幸いだろうか。血生臭いことに馴れているはずの俺でさえも彼らの変わり果てた姿には吐き気を催さずにはいられなかった。
不思議なことに、傷は首にしかなかった。衣服の目立った乱れも無い。倒れた際に付いたと思われる泥が衣を汚していただけだった。
それほどの凄惨な死体はその後も現われ続けた。発見現場はいつも内裏のすぐ近く。大体が朱雀門から人の足で大した時間もかけずにたどり着けるところばかり。
生きた人間をこのような姿へと平気で変えてしまう者はもはや人間ではないのだろう。人間としての心を捨ててしまった、哀れな鬼。
俺はこの鬼を嫌悪こそすれ憎むことは出来なかった。嫌悪も己と似たような性質の相手に抱くそれでしかなかった。知っているからだ。赤に染まる時感じる恍惚を。
だとしてもこのまま殺人鬼を野放しにしておくわけにはいかない。これほどの怪事件が続けば、今帝の責を問う者が出てくるのも時間の問題だ。
この時代、何かしらの変事が起こると、何でもかんでも帝のせいにする風潮がある。全ては今帝に徳がなかったせいだと、特に今帝の政に不満を持っている者達は大騒ぎをし、退位を迫る。
俺は、この腐りきった世を変えてやりたい。そのためにも今、あの男に隠居されては困るのだ。世を変えるためにもあの男は必要なのだから。
冷たい石橋にそっと手を添え、目をつぶる。この橋のココロは俺に教えてくれるだろうか。あの夜の真実を。
ゆらり、ゆらりと暗い世界を揺蕩う。これはきっと夢の中の出来事。起きているのに夢だとはなんだか不思議な話だが。
ぼんやりと見える光に手を伸ばす。するとあの夜の出来事が俺の頭の中に流れ込んでくる。どうやら石橋のココロは俺に協力してくれる気になったらしい。
男が三人、橋を渡った。顔を赤らめているものがいることから、酔い覚ましの散歩なのかもしれない。彼らの他には橋を渡る者はいない。
事が起こったのは彼らが橋の中腹まで歩みを進めた時であった。先頭を歩いていた男の首からいきなり血飛沫が上がった。誰かに切り付けられたわけでは無かった。首をおさえ、その場にうずくまった男にそばにいた二人は声を掛けようとした。だが、残りの二人も先の男と同じように首から血を飛び散らせた。血飛沫は何度も何度も上がった。首を必死に押さえつけている手の隙間から何度も、何度も。
首から赤色の液体が流れなくなった時にはもう、彼らはピクリとも動かない。赤い赤い水たまりの中で彼らは眠っていた。そんな彼らを悼むかのように柔らかな風が物言わぬ彼らを撫でる。風が止んだと思うと、先ほどまではいなかった女が三つの死体の前にいた。
その女は真っ赤な衣を身に纏っていた。火を思わせるその赤を全身に纏うことに関しては眉をひそめる者も少なくはない。しかし、この場に限ってはどの色よりも似つかわしいように思える。
女は長い髪が血だまりにつくことも厭わず、そっと身をかがめ、死体の首を濡らす赤い液体を白魚のように美しい指先で拭う。己の手を染める赤をじっと見たかと思うと、ゆるりとほおを緩めた。
女の顔は、俺には見えなかった。