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人の世は蝸牛のそれにすら及ばない。


「舞―え、舞―え、かたつぶりー。舞はぬものなら、馬の子や牛の子に蹴ゑさーせてん。踏みわれさーせてん」



 子供の無邪気な声に自分の幼かった頃を思い出す。俺は幼少時代、父が守に任ぜられていたために父の任国である陸奥で育った。陸奥では京とは比べ物にならないほど厳しい自然と隣り合わせだった。特に冬の寒さは特筆すべきものであり、どれほど火を焚いても満足できるほどの温かさを得ることは出来ない。そのような過酷な環境で育った俺の目から見れば、京の人間というものは何とも堕落した生活を送っているものだ。



「それにしても羨ましい限りだな、たかむら殿!」



 馴れ馴れしく俺の肩を抱いてくる同僚。確か官位は衛門佐、だったか。俺とほぼ同じ頃から出仕を始めた男であったはずだ、多分。俺にとってはひとかけらの興味も無い人間であることは間違いない。そいつと隣に歩いている男も同様だ。そもそもこいつの顔には見覚えすらない。何故、大内裏からの帰路を共にしているのかも分からない。



「何が羨ましいのですか?」



「かー!!ここでその台詞が返ってくるあたりが篁殿なんだよな」



「他の奴ではそうはいかないもんな、さすがは篁殿だ」



「お!お前も分かる口か!!俺だったら今上帝直々に衣やら剣やらを下賜された暁には一週間ほどは鼻高々になるってもんなのになあ!!」



 かしましい。

 なーにがさすがは篁殿、だ。お前らだって宴の席で舞を披露したり、歌を詠んだりさえすれば衣の一つや二つすぐに手に入るだろうに。ああ、こいつらにはそれすら難しいことだったか。舞やら歌やらに精通しておくことぐらい弓馬の道を究めるのに比べれば、造作も無いことだ。



 所詮このようなもの、苦労を知らない道楽お貴族様のお遊びでしかないのだから。



 ただお前らが怠けているだけだということにどうして気付けないのか。ああそうか、幼いころから家の権威に寄りかかって、美味しいところだけを持っていくことを覚えさせられたからか。何もしていない癖に人を羨むだけ羨んで、お鉢が自分の方に回ってこないことに気が付けば努力をして輝いている者を妬み嫉み、蹴落とすことを画策し始める。



 なんと醜い世界だ。吐き気がする。



 だが、このような場で本音を吐いたところで俺には一寸の得も無い。ここは無難に流しておくのが得策だろう。



「今日は偶々、私の得意な剣舞をご所望いただけましたので…。普段ならばこのように今上のお目に留まることもなかったでしょう」



「またまた、ご謙遜を!今上帝は舞にはうるさい方だと聞く。そのようなお方が貸し与えた己の太刀をそのまま臣下に下賜するだなんてよっぽどのことじゃ無いか!」



「しかもそれは恐れ多くも先程まで今上帝が身に着けておられたもの。前代未聞だと参議の方々までもが騒いでおられたではないか」



 面倒くせえ。

 そこまで俺をよいしょしてこいつらにいったい何の得があるのだろうか。いや、何もないはずだ。しいて言うならば、俺の邸に身を寄せている義妹に好印象を持たせるためか?そんなことしても無駄だというのに。俺がこいつらの話を義妹の前ですることは天と地がひっくり返ってもあり得ない。このような何の面白みも無い連中の話をしても義妹の気分を悪くするだけだろう。



「本当に大したことでは。それよりも先日の除目で従三位に任ぜられた倉滝に縁をお持ちの宮様の舞の荘厳さには打ち伏せられてしまいました」



「ああ、あの今上帝の遠縁であらせられるお方か。確かにお年に見合った堂々とした舞いであった」



「いや、でも私はやはり篁殿の若々しい力強い舞の方が…」



 まだ続けるのか。こちらが適当な頃合いで話をそらしてやったというのに。そのようなことで俺を取り込めるとでも思っているのだろうか。



 そろそろ本気で限界だ。付き合ってられるか。



「私は少しばかりこちらに用事がありますので…」



 愛想笑いとともに別れの挨拶を述べようとした時のことだった。



 どん!!



 幼い少女がぶつかってきた。

 と言っても彼女が自らの意思で俺にぶつかってきたようではないらしい。そばに立っているのは同い年ぐらいのように見える男の子二人。大方、この二人の諍いに少女が巻き込まれたのだろう。



 道には青菜が散乱していた。少女の身なりなどから察するにこの子は貴族の家に奉公にも出せぬほどの貧しい家の子で間違いない。そうでもなければこのような襤褸切れ一枚でその辺をほっつき歩くわけがない。家計を助けるためにこうして青菜を道行く人に売っていたのだろう。



 少女は自分のしでかしてしまったことを受け止めきれず茫然としている。これからどのような未来が自分に訪れるのか。不安でたまらないのだろう。最近の貴族の横暴さを考えれば少女の態度は仕方がないものだった。本来であれば、この程度のことで民を罰することなど皇族方でもない限り不可能である。そう、本来であれば。



「何をする!!この無礼者が!!」



「お前はこのお方が誰なのか分かっているのか。今上帝の覚えもめでたい、小野篁どのであるぞ!」



 殆ど被害者でしかない少女を責め始める二人。ああ、本格的に頭が痛くなってきた。こういう勘違い野郎どもは始末に負えない。俺たち貴族の権威というものは現人神である今上帝を守るために必要なもの。このような無垢な民草相手にむやみやたらとかざすためにあるものではないということをこいつらは絶対に理解していないだろう。それに加え、もし、このことの責を追及するとしても、それは少女ではなく、悪ガキ二人組に対して行われるべきものである。まあ、その悪ガキどもはさっさと逃げおおせたようだが。少し冷静になり、周囲に目を配ればすぐに事の真相は分かるものを。どうして、できない。



「きゃっ」



「お前、こちらに来い。大内裏にて詮議する」



 いきなり髪の毛を引っ張られて悲鳴を上げる少女。馬鹿どもは訳の分からないことを喚きたてながら元来た道を引き返そうとする。百歩譲ってそこは検非違使の詰め所だろうが…。いきなり大内裏に些事を持ち込めば、お歴々から叱責を食らうだけだろうに。



「篁殿。此度のことは我々にお任せを」



「篁殿は今日の舞の席でのご活躍でお疲れになったことでしょう。悪いようには決していたしませぬから、先にお帰り下さい」



 まるで手柄を得たかのような満面の笑みで俺を見つめる阿呆ども。確かにこいつらが上役に目を付けられ、失脚の道を歩むことになっても俺には痛くもかゆくもない。むしろ清々するくらいなものだ。こいつらを止めるのも面倒だし、こいつらのためにも一度は痛い目に遭った方がいいようだから放っておくか。



 では、お願いします。と言ってしまおうとした時、少女と目が合った。生気のないその目は全ての希望を見失ってしまったかのようだった。



 見て、いられなかった。



 陸奥の頃の、初めて出会った頃の義妹を再び見せられたようで、胸が締め付けられる。母に先立たれ、仕えていた者共にも裏切られ、天涯孤独になってしまった時の義妹の目も少女と同じものであった。



 次の瞬間には頭で考えることも無くすらすらと少女をかばうための言葉が口から飛び出していた。



「いえ、私の身に起こったことですから、私が対処いたしますのが筋というものでしょう」



 すんなりとうなずくとでも思っていたのだろうか。胡乱な顔をしてこちらを見る間抜け共。いちいち言葉を並べ立てるのも面倒になってきた。



「事を大きくすることは誰のためにもなりません。私が全て片づけておきますので、お二人は先にお帰りになってください」



少し乱暴な手つきで少女から男どもを引き離す。素早く目を合わせた二人はそういうことなら、と納得の行っていない様子ではあったが、それ以上少女に手を出すことも無くその場を後にした。



 愚か者がいなくなっても少女は体を震わせたまま、立ち上がろうともしない。怯えて、いるのか。



 私が近寄るのも逆効果かと思い、少女には触れず、道に散らばった青菜をかき集め、元々少女が抱えていた物であろう籠に入れ直していく。



「お、お貴族さま…」



「どうした?俺はお前のことをどうする気も無いが…?」



「そ、そのようなこと、私がしますから!!お貴族さまがそのような下賤な者の真似などしてはなりません」



「そのようなことだれが決めた」



「え?」



「俺は炊事から洗濯、掃除まで何でもするぞ。生計を立てるために身を粉にして働くことのどこが卑しいことなのだ?」



「せいけい…?」



 言葉が難しすぎたのだろうか。それでも俺の言いたいことの少しは伝わったのだろう。もしくは俺が彼女を咎めるつもりは無いとの言葉に安堵したのかもしれない。少女の目に少しずつ生気が戻ってきた。



 立ち上がり、おろおろと惑う少女に青菜をすべて入れ直した籠を手渡す。青菜は砂にまみれてはいたが、触った感触では良質のものであるようにも思えた。食材としてこのまま手放すのは惜しい、そう思った俺は少女に籠一杯の青菜を俺に売る気は無いかと持ちかけた。



「いいんですか?!」



 驚いた様子の少女ではあったが、快く手持ちの銭貨と青菜を交換してくれた。よし、これで夕食の品数が増えるぞ。これは新鮮だからお浸しにすべきか。いや漬物にしてしまえば日持ちもするし長く楽しめる。量がそこそこあるから両方できるかもしれない…。



「どうして…?」



 思索にふけっていた俺の耳にか細い声が届いた。すでにさっさと立ち去ったものだと思っていた青菜売りの少女がそこにまだ立っていた。



「どうしてそんなに良くしてくれるのですか?」



「良くしてもらった、と思うのならば、感謝の言葉だけ述べて、後は有難く受け取っておけばいい」



「…ありがとうございます。あの、もしよろしければ…」



「……ああ、良かったら明日からもうちに野菜やら果物やらを売りに来ればいい。いつもは無理かもしれないがな。君の目は確かなようだから信頼も出来る」



 その言葉にぱああっと顔を輝かせた少女は俺に対して深く礼をするとその場から駆け出していった。両親か兄妹かにでも今日の出来事を喋りに行くのだろう。貴族の得意先になったとの触書があれば、市でも売れやすくなるだろう。この京は何から何までもが貴族を中心に回っている。そのことをその齢で理解できる少女はあの馬鹿で間抜けで救いようのない貴族共よりも頭が回るのではないのだろうか。



「まことに美しく舞うたらば、花の園まで遊ばせん、か」



 全ては親の身分で決まる。

 実力が無くとも身分の高い家に生まれれば、飢えにあえぐことも無く。

 賢き者であっても身分の低い家に生まれれば、活躍の場すら与えられない。



 この平安の京は、本当に歪んでいる。





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