序章ないしは懺悔
まず初めに、私はもともとこのようなものを書くつもりはさらさらなかった、ということを明言しておかなくてはならない。刑部小輔、いやあの頃はまだ太宰少弐であった小野篁と私は確かに約定を交わしたのだ。今回のことについては誰にも語らず、互いの胸の奥にのみ秘めておく、と。そのことを分かってもなお、私はこの筆をおくことが出来ない。あの悲劇をこの世に残す作業を止めることが出来なかったのだ。
私の家系、すなわち皇尊の一族にはある時を境に私のような者が生まれるようになった。私のような者とは歴の狭間に埋もれた真実を書き連ねていく者である。それは私よりも三代前の帝つまりは我が曾祖父帝であらせられる桓武帝の御代あたりが始まりだと推測している。それより以前に書かれた書を見つけ出すことが私には出来なかったのだ。私が見つけた最古の書の著者は高野新笠。彼女は生前、光仁帝の后の一人であり、桓武帝の母でもあった。私も彼女の血を引く者の一人である。皇尊の一族におけるこのような奇異な習性は彼女によりもたらされたものではないだろうか。
摩訶不思議な文字が表に記された複数の書。私が知る限りでもこの類の書は片方の手には収まらぬ冊数が存在する。その書には決まって朕らには決して伝えられてこなかったこの世の真実が記されていた。長岡京遷都の際に起こった太政大臣藤原種継暗殺事件。尚侍藤原薬子により起こされたとされる朝廷を二分した乱。挙げればきりがないことだが、その書には歴の闇に葬り去られた真実が書き尽されている。
私もこれより本来であれば世の光を浴びることなど一切なかったはずの真実をこの書に記していく。だがどうか覚えておいてほしい。小野篁は決して悪逆非道の男ではなかったということを。確かに彼は今の世においても反骨精神ゆえに他の公達といさかいを起こすこともまま、いや、かなりの頻度であるし、野狂と称されても仕方の無い性格の持ち主だと私も理解している。しかし、彼ほど我が御代に尽くしてくれた者もいなかったことも事実である。いつでも彼は私のよき理解者であった。徒人では無く現人神として世に居続けた私にとって唯一憚ることなく友だと言いきることが出来るのも小野篁ただ一人である。闇夜に乗じて内裏に忍び込んできた彼と何度酒を酌み交わしたことだろう。その時ばかりは主従を忘れ、忌憚のない会話をすることが出来た。年は十以上離れているはずだがそのようなことを感じることも無く、有意義な時間を過ごしたものだった。
これは間違いなく今まで私に尽くしてきてくれた篁に対する裏切りであろう。そう遠くない未来の私は冥府にて閻魔王直々に裁かれることとなるに違いない。その罰を粛々と受けることが私の贖罪となることを願う。
弘仁十二年 神野
刑部小輔:刑部省は司法全般を司る役所。しかし、検非違使の設置以降、有名無実化している。刑部小輔とは刑部省におけるナンバー3。
太宰少弐:大宰府は九州全域を総括するのに加え、貿易の管理も行っていた役所。太宰少弐は帥、大弐に次ぐ地位である。