一章 青き剣の花嫁4話
インシグニア大陸、紋章都市パーピュア。
円形状の城郭都市中央には、壮麗と輝く白い幹の大樹が街全体を見守っている。
古めかしい煉瓦造りの街上空には光を帯びた菫色の葉が舞い散り、地面に落ちる寸前、粒子状に変わり消えていた。
紋章樹。
紋章の源は人々の心にある。
心、精神力の強さで紋章は力を増す。
紋章をより使いこなし、制御できる者たちの協力で世界は成り立っていた。
そして、紋章樹は生活環境を守る役割がある。
紋章の力を主に自然、土地、資源を造り出し、大樹の恩恵を受けた人々は寒暖の差や物資に困ることなく一日を過ごし、皆に活力を与えてくれた。
紋章樹は力を吸収し放出を繰り返し循環しているのだ。
ただ、この恩恵は永遠に与えられるものではない。
儀式を行い誓いを立てねば、紋章樹は枯れ果ててしまう。
そこで登場するのが二本の剣、青き剣と赤き剣。この剣は紋章樹を制御する要だ。
二本の剣は、惹かれあう男女に反応し特殊な力を宿す。
二人の力を剣に変えて、儀式を執り行うことで世界を安寧に導いてきた。
それが、青き花嫁と赤き花婿の成り立ち。
だが、紋章樹の恩恵を受けない者たちも存在していた。
魔族。
彼らは北の地におり、厳しい環境の下暮らしている。
時には戦い争う関係であったが、魔族たちは戦うことを止め、剣の花嫁に目をつけるようになる。
なぜ花嫁を狙うのか。それは、彼らにしか分からない。
◆◆◆◆◆
冬華は紋章樹黒葉管理局と呼ばれる建物の中にいた。
都市に着いたのは夕刻過ぎ。
煉瓦造りの建物の軒並みを通り、高々と立つ門を抜けた先には一際目立つドーム型の建造物があった。見た目は大聖堂に近い造りをした、紋章樹付近に建つ灰色の塔。広い敷地内には塔を中心に東棟と西棟に別れている。
馬車から降りた後、冬華は誰もいない簡素な部屋に通されていた。必要最低限に配置された家具がなければ、ただの殺風景な部屋にだ。
案内された後、ニクロム以外の人たちはいつの間にか姿を消していた。
最初はニクロムも一緒にいたのだが、用事が出来たと言い残し、部屋から出て行ってそれっきりだ。
冬華は備えつけの椅子に座り、机の上に出されたお茶と茶菓子を眺めては溜息を繰り返していた。冷めきった茶色いお茶を睨んだ後、壁側にある窓から外の様子を覗く。群青色の夜空と黄色く光る街灯を背景に、疎らだが灰色の軍服を着用した人々が歩いていた。
「現実を受け入れようと言い聞かせてきたけど、限度があるわよ」
拳を握り締めて冬華は怒りを露にする。
原因の大半はニクロムだ。馬車での一件以来、ニクロムのことが余計分からなくなり冬華は頭を悩ませた。
考えても仕方がないと首を振ると、巻いていたマフラーが視界に入る。マフラーの裾を持ち、冬華は黒髪の彼、ホープのことを思い出す。
「今度会ったらちゃんと返さないと」
冬華はポツリと呟く。自然と出た言葉にひっかかりを覚え首を傾げた。
次に会える保障もないのに、どうしてそんなことを言ったのか。
不思議に思いながらマフラーの端を掴んで首から外し、手荷物鞄に入れようとしたがそれは叶わなかった。
「そうだ、鞄ないんだった」
気づいた時には何も持っておらず、手ぶらだったことを冬華は思い出す。
目を瞑り下を向いて項垂れていると、誰かの足音がこちらに向かって来ている。扉の前で足音が止まると、荒々しく扉が開かれた。
現れたのはニクロムと同じ軍服姿の人物。オオルリのように美しい色合いの青髪には揉み上げが胸辺りまで長く、後頭部の毛が短く切りそろえられた青年。見た目は十代後半の細身な体系、冬華と同い年くらいに見える。
彼は眉を吊り上げ冬華を無言で睨んでいた。
「だ、誰?」
冬華の返答に答えず、鋭い目つきで彼は言い放つ。
「こっちに来い」
青髪の青年はそれだけ言うと、踵を返し歩き始めた。
訳が分からず冬華は椅子から立ち上がり、マフラーを首に巻き直してから彼を追いかける。
部屋から出ると、宙に浮いた光の球が、等間隔に廊下を照らしていた。先程案内されて通った時は灯っていなかったので冬華は面食らった顔で頭上を見上げた。
薄暗かった廊下に光をあてよく見れば、床は白と灰色を基準としたチェッカー模様の石畳、両脇の壁には、交差した葉をモチーフに描かれたレリーフが彫られている。
風景を観察出来るほど落ち着くことができるようになったのかと冬華が難しい顔で上を向いていると、青髪の青年は両手開きの扉の前に立ち止まり三回、扉を叩いていた。
「どうぞ」
凛々しく若々しい男性の声が響くと、青髪の青年はドアノブを掴み扉を開いていた。
そこには間取りが広く、整理整頓とされた執務室。室内全体は、壁紙や家具、調度品に至るまで緑系統の色が多い。
正面奥の執務用机の側に、二メートル近くある若い男性が立ち、後方にある窓硝子を背に微笑んでいた。
彼も軍服を着用していたが、裾がふくらはぎまで長く、右腕に赤い腕章をつけている。ガタイがいい割にはシュッとしており、段カットで襟足が長い薄茶色の髪に黄緑色の瞳が特徴的だ。
髪の毛から覗かせた左耳には小さな輪っかの銀ピアスが二つと、耳たぶには雫の形をした黄色まじりの赤いイヤリングをつけている。細かな装飾品も映えてか、目の前にいる男性は容姿端麗、眉目秀麗と言う言葉が相応しいと冬華は心の中で思った。
「早く行けよデカ女、扉が閉められないだろ」
青髪の青年は、深くて濃い紺碧色の瞳を冬華に向けていた。
彼の言う通り冬華は身長が高い方で、目の前にいる青年とほぼ同身長なのだ。身長のことで気にしていた冬華もこの言い草に腹を立て睨み返す。
「で、デカ女って、いくらなんでも言い方が――」
「ちっ、言われた通りさっさと入れ」
相手の舌打ちが引き金となり、冬華の怒りは最高潮まで達する。即座に言い返そうと口を開いたが、青髪の青年は眉間に皺を寄せ後退していた。
「局長、俺は失礼させてもらいます」
執務室にいる男性が頷くと、青髪の青年は一礼をしてこの場を離れていく。
冬華はその後姿を睨みつけていると、大きな影が前方からぬっと現れた。
「彼は少々口が悪くてね、本当は気の良い青年だからそう邪険にしないでやってくれ」
部屋にいた長身の男性は、いつの間にか冬華の近くまで来て立っていた。身長差が約二十センチ以上はある相手だと度肝を抜いてしまう。
「さあ、立ちっぱなしで疲れただろ? ここに座るといい」
外見に似合わない明るい声で男性は冬華を手招き、向かい合って配置されたソファーに座らされる。
彼も冬華の正面に座った。
「まずは自己紹介をさせてくれ。私の名前はイグネス・ベルセルド。紋章樹黒葉管理局の局長だ」
「……私は石月冬華です。貴方がここの最高責任者なんですね」
「ああ、その通りだ。気軽にイグネスと呼んでくれ。冬華君!」
イグネスは腕を組みながら豪快な笑みを浮かべている。冬華もつられて笑うが、口元は引きつっていた。
「あの」
「ん、何だい?」
「黒葉とか葉っぱとかよく聞くんですけど、何かの名称なんですか?」
「おや、聞いていないのか?」
冬華は控えめに頷く。
「まあ、簡単に説明すると、我々は黒葉は紋章樹の葉から生み出された能力者集団だ」
「能力者?」
「力を持った葉が人に宿り、能力が発現するんだ。黒葉は皆違う能力を使い、自分に適した仕事をこなしている。他にも白葉と呼ばれる葉もある。彼らはとても長生きで身体能力も高いんだ。長寿を活かして国をまわしているお偉いさん方々が多いね」
能力者集団。
未来から、能力者集団が出てくる漫画を無理やり読ませられたことを冬華は思い出す。
武器や魔法の様な力で悪者を倒していく王道的な話だ。ただ、こう現実にそんな能力者が現れるなんて思いもしなかったと、冬華は眉間に皺を寄せる。
冬華の表情を見てか、イグネスは視線を少しだけ下に向けていた。
「信じられない、そう顔に出ているぞ冬華君。異界から来た人間は大抵同じ表情をする」
「やっぱり、私と同じようにこの世界に来た人がいるんですね」
「はは、大勢ではないがね。たが、これからはあまり自分が異世界から来たと公言してはいけないよ」
イグネスの目つきが変わる。今まで陽気だった彼の雰囲気が一変して冷静な顔つきになっていた。
「遥か昔、世界を崩壊まで追いやった異世界人がいたのだ。その影響が強くてな、人々は異世界人を恐れている」
ざっくりした説明で話に現実味がない、冬華は途方もなく上を見上げた。
だが、今の話で冬華は牢屋での出来事を思い出す。盗賊風の男は怯えて逃げ出した理由は、異世界人を恐れてのことだったのだ。
(昔話にしても、あの怯えようは尋常じゃなかったけど。異世界人は嫌われているのね)
冬華が一人で納得をしていると、イグネスは軽く咳払いをしていた。
「さて、話は本題に入るが……」
本題とは儀式のことだろう。
この世界は儀式に頼らなければ生きていけない世界。
ニクロムから話を聞いた時も、婚礼の儀式ついて冬華は不満に思っていた。
(こんな強引な儀式が許される訳ないじゃない。そもそも他の世界の人間がどうして剣に選ばれたのかも謎だわ)
不本意極まりない状況ではあるが、冬華は真剣な表情で耳を傾ける。
「これまでの経緯はニクロムから報告を受けている。君のこれからだが、我々管理局が保護することになった」
「それは、私が剣の花嫁だからですか?」
「それもある。二本の剣を用いた婚礼の儀式。この儀式が世界の均衡を支えていることはニクロムから聞いたかね?」
冬華は固唾を飲んでイグネスの言葉を待った。少しの間を置いてから、彼は口を開く。
「儀式は予定通りに行うことになっている。その前に――」
イグネスの瞳は揺らいでいた。言葉を濁しながら話す姿により一層緊張が増す。
「帰る方法が見つかり次第、君は元の世界に帰るんだ」
冬華はイグネスを凝視した。
一瞬何を言われているのか分からず、間抜けな声が漏れ出る。
「今、元の世界って、え?」
「そうだ、我々も全力でサポートする」
左腕を前に出し、ガッツポーズを取りながらイグネスは目を輝かせていた。
先程までの変わりように冬華は戸惑いを覚える。てっきり強制的に儀式をやらされると思っていたからだ。
「私、元の世界に帰れるんですか?」
「勿論だとも。ただ、君は剣に選ばれた花嫁だ。君を狙った者同様、利用する者もいるだろう。護衛をつけることになるが構わないかね?」
イグネスの言葉に冬華は頷いた。だが、腑に落ちない部分がある。
(彼らはどうして私に協力的なの? それに、私が剣に選ばれた理由も分からないままなのも引っかかる)
管理局の考える意図が分からない。
彼らを信用しても良いのかと、冬華は考えてしまう。知りたいことも分からないまま、うやむやにされていて嫌だった。
「ほ、本当のことを教えて下さい!」
握り拳をつくり、冬華はイグネスを見つめた。
その言葉にイグネスは表情を曇らせ、自身の顎に手を乗せている。
相手の表情も気にせず、冬華は真意が知りたい一身で口を動かした。
「私がどうして剣に選ばれたのか知りたい。自分のことなのに何も分からないままは嫌なんです」
冬華自身が言いたいことを言った後、イグネスは顎から手を離し整えられた眉を吊り上げていた。
「……それを聞いて、君は現実を受け入れることが出来るか?」
「現実を、受け入れる?」
「そうだ。真実を知る覚悟があるのなら、私は問われたことを話そう」
冬華はイグネスの黄緑色の瞳に射抜かれた。
彼から放たれた強い視線は恐怖すら覚えるほどだ、逸らすことが出来ない。
冬華は不安ながらもこくりと小さく頷いた。
「知ることで前に進めるのなら、私は現実を受け入れたいと思います」
その現実が後ろ向き答えだったとしても意志は変わらないと、冬華は小さい肩を震わせながらそう決心する。
冬華の答えを聞いたイグネスは苦い顔を浮かべながら目を伏せて溜息をついていた。彼の様子を伺えば、扉の方に視線を向けている。
冬華は何事かと小首を傾げた。
「――いつまでそこにいるつもりだ、ニクロム」
「え?」
静かに扉が開かれると、姿勢を低くしながらニクロムが入って来た。何時からそこにいたのか、彼はばつが悪そうな顔で頭をかいている。
「あはは、入るタイミング逃しちゃいまして。よく私だって分かりましたね局長」
「お前は、気配が他の者と違うからな」
冬華が彼らのやり取りを静観していると、ニクロムと目が合う。
「冬華さん!」
にっこり明るい笑顔を撒き散らしながら、ニクロムは冬華の側まで近づき膝を折っていた。その動作がまるでじゃれている犬のようだ。心成しか耳と尻尾まで見える。
「一人にしてすみませんでした。ちょっとだけ用事が入っちゃいまして。心細かったですよね?」
「ぜ、全然そんなことないわよ。変なこと言わないで!」
「またまた~、顔真っ赤にして言ったって説得力ありませんよ」
ニクロムの軽い態度に冬華は腹立ったが、彼の裏表のない笑顔が冬華の不安を打ち消してくれていた。
(なんか調子狂うけど、この場所に一人でいるよりはましよね)
心の中で言い訳をしていると、ニクロムは冬華の隣にちゃっかり座っている。
「て、なんで隣にいるのよ!」
「え、ダメなんですか?」
しょんぼり。
効果音でもあったらそんな音が聞こえてくるだろう顔でニクロムは落ち込んでいた。
少し言い過ぎてしまったかと冬華が困惑していると、ワザとらしい大きな咳が一つ、部屋に響く。イグネスが気まずそうな表情でこちらを見ていた。
「すまないが、話を戻しても?」
「「ご、ごめんなさい」」
冬華とニクロムが二人同時で謝る姿が可笑しかったのか、イグネスは腕を組んで白い歯をこぼしながら笑っていた。
「はは、話を戻すと言っても今日はもう遅いな。また明日にでもしよう。あと、冬華君の身の回りと護衛について何だが、彼に一任しようと思う」
冬華はイグネスの視線をたどる。その先にいるニクロムと目が合うと、彼は満面な笑みで微笑んでいる。
「よろしくお願いしますね。冬華さん」
危うく「こちらこそよろしく」と返しそうになり、冬華はすかさずつっこみを入れる。
「いやいや、ちょっと待って下さい。さっき身の回りと聞こえたんですが」
「そうだが? これから一緒に暮らすのだから、身の回りを世話する人間も必要だろ?」
「一緒に、暮らすって。あの、この人男性ですよね?」
冬華の問いにイグネスはキョトンとした顔をしている。
「ん? 何か問題でもあるのか? 頼りない顔をしているが、信用できる奴だぞ」
「頼りないは余計ですよ局長!」
イグネスとニクロムは軽いノリで笑い合っているが問題は大ありだ。
冬華も嫁入り前の女性に入る筈。それなのに、男性と同じ屋根の下に住めと言っているのだ。
青き剣の花嫁とは一体なんだったのか再確認したくなる。
だが、冬華は文句を言えない立場の人間だ。ここはこう言うしかなかった。
「も、問題ありません……」




