一章 青き剣の花嫁3話
黒い化物を撃退してから数分後。
冬華たちは教会を脱出し、木々が入り乱れた道をホープ、冬華、ニクロムの順に歩き進んだ。たが、三人から流れる空気は重々しい。
沈黙状態。
あれから何も話さず、ずっとこの調子なのだ。
冬華は状況が飲み込めないまま二人について行くしかなかった。気まずさを覚え、後にいるニクロムを覗き見る。彼はふらふらしながら頼りなくついて来ていた。ホープの方を見れば、大きな背中が目の前で止まった。
「着いたぞ」
開けた街道に出ると、ホープが指をさす。そこには黒茶の屋根つき馬車が停車してあった。
頭のてっぺんに小さな角が数本見え隠れしている馬が一匹繋がれており、鳴き声を上げている。その側には、ニクロムと同じ軍服を着た男性が立っていた。ショートヘアの金髪と、スラッとした体型が遠目から確認できる。
金髪男性が目の細いキツネっぽい顔をこちらに向けると、礼儀正しくお辞儀をしている。一瞬だけ視線が合い、男性はニコリと笑顔を浮かべていた。
不意に微笑まれたせいか冬華はドキリとし、一歩後ずさる。その際、後ろにいたニクロムにぶつかり前のめりになった。
「とっ、大丈夫ですか?」
ニクロムは冬華の背中を支え両肩を掴んでいた。そして、ふにゃっと表情を和らげ彼は微笑む。
「女の子なんですから無理は禁物。疲れたら言って下さいね」
なぜか気が抜けて、冬華は肩の力を抜く。気まずいのは変わらないが、知っている顔なだけに不安は軽減された。
「ありがとう……ございます、ニクロムさん」
ぎこちなく答える冬華に、ニクロムは少し困った顔で笑っていた。
「あはは、そんな堅苦しくしなくてもいいんですよ。あと、私のことは気軽にニクロムって呼んで下さい」
「は、はい、じゃなかった。うん、ありがとうニクロム」
冬華は少し照れながら言う。
ニクロムを見れば何時の間にか並んで歩いていた。彼は気でも良くしたのか先程より軽やかに足が前に出ている。
「そうそう、その調子です」
「ニクロムは敬語だけどいいの?」
「え、えーと。私、砕けた話し方が出来ませんで。気軽にと言った手前申し訳ありません」
「そうなんだ」
ゆったり冬華たちが歩いていると、馬車までたどりついたホープが後を振り向いていた。
「二人とも、早くしないと置いて行くぞ」
「あ、ホープさん待って下さいよ! 行きましょう冬華さん」
「う、うん」
気さくに話しかけるニクロムの言動に、冬華は前々からあった疑問が浮上してくる。あの、学校での出来事だ。なぜ公園にいたのか。なぜ冬華を助けたのか。なぜの羅列が頭を駆け巡る。
「……ねえ、あの時どうして学校にいたの?」
「ん?」
不思議そうなニクロムの顔を見て、冬華は言いよどんだが質問を続けた。
「それだけじゃない、私の名前のこともあるけど、あの後どうなったの? 先生たちは無事? あの黒いのはなんだったの?」
ニクロムは目を大きく見開き、気まずそうに視線を逸らしている。
すると、唐突に彼の後から分厚い本が数冊粒子とともに現れ、自動でぱらぱらページを捲りながら浮いていた。
そして数秒後。
浮いていた本は消え、ニクロムはいきなり冬華の背中を前に出し、グイグイ押して進ませていた。
草や木の根が入り組んだ道は足場が悪く転倒しそうになるが、冬華は腹に力を入れ踏んばって耐える。
「と、とにかく。今は先に進みましょう。さあ、歩いた歩いた!」
「ちょっと、話を誤魔化さないでよ。てっ、自分で歩けるからそんなに押さないで!」
◆◆◆◆◆
冬華は渋々馬車に乗り込んだ。
馬車の前にいた男性は御者台に、後部座席では冬華とニクロムが正面越しに、ホープはニクロムの隣、出口側に座っていた。
遅い速度で揺れ進む馬車の中から、冬華は風景を眺める。
東の空がうっすらと赤く染まっており、遠くからぼやけて見える白い大樹が存在感を剥き出しに見下ろしている。辺り一面には広大な畑や農場と、草原に放たれた動物が群れをなしていたが、その光景に不自然な部分があった。外見はそのままだが、白黒斑の牛は濃い紫色、羊は淡い水色。どれも、冬華の知る姿とは違う。
(馬車に乗る時もそうだったけど、動物が変だよね。あの大樹も尋常なくでかいし。てっ、今はそれどころじゃない)
冬華はキッとニクロムを睨む。
睨まれた当の本人は、ビクビク震えながらホープに視線を向けている。
ホープは何かを理解したのか頷いていた。
「そ、そうですね。まずは、冬華さんが現在置かれている状況について説明しますね」
ニクロムが眼鏡を押し上げる動作を見て、冬華は両手を握りしめ姿勢を正した。
「もう話を聞いたかもしれませんが、ここは冬華さんの知る世界とは別の世界、ゴッドラビリンスと呼ばれる場所です」
冬華は目を伏せて小さく頷く。横目でホープを見ると、彼は無表情で腕を組んでいた。
ホープが来なければ今の状況以上に大変なことが起きていたに違いない。
教会で遭遇した黒い化け物のこともあるが、彼に出会わなければ売り飛ばされて飼い殺しになっていただろう。
首を振って気を取り直し、ニクロムに質問をした。
「どうして私が違う世界から来たって分かるの? そもそも、こんな都合良く助けが来るなんて変だわ」
「……それは、予知されていたからです」
とても胡散臭い。冬華はじと目混じりで聞き返す。
「予知って、予言されてたってこと?」
「はい。剣を持つ者が異世界より現れると。私たちはそれに備え、今まで準備をしていたのです」
「剣?」
冬華は眉間に皺を寄せる。図書室で月宮が言った言葉が脳裏を掠めたのだ。
『さあ、栞を持って新たな物語を紡ごう。剣は君を選んだんだから』
月宮がなぜあんなことを言ったのか皆目見当がつかないが、今の話と関係していると冬華は冷静に考えた。
(じゃあ、私を捕まえようとしていたあの不審者って、これが原因で狙ってきたの?)
黒いマント姿の人物。
何者か分からない不審者は先生に危害を加え、冬華を捕らえようとしていた。その時、目の前にいるニクロムに助けられたのだ。では、彼はどうやって異世界に渡ったのか。
「今まで準備をしていたって言ってたけど。あの時、学校にいたよね? 私のことも助けてくれたし、そんな時間あったんだ」
ニクロムは眉を八の字に曲げ困惑した表情になった。
その反応に冬華は違和感を覚えたが、気にせず話しを続ける。
「でも、貴方がどうしてここにいるの? 私と一緒で、巻き込まれたとか」
「そのことなんですが。そもそも、私はゴッドラビリンスから出ることが出来ません」
冬華は思考が一瞬で止まり混乱する。
目の前のニクロムは別人だと言うのか。信じられないと、首を横に振った。
「出られないって、じゃあ、あの時のことは? 先生と月宮がどうなったのかも」
「申し訳ありません。私の記憶には……」
ニクロムは苦しそうな顔で頭を下げていた。彼の様子や態度を見る限り、本当に知らないようだ。
冬華はガクリと肩を下げ落ち込む。
格好は違うが、紫がかった銀髪や紫水晶色の瞳、細身の体に大きな眼鏡は彼と同じなのだ。
反論した所で記憶にありませんと同じ言葉が返ってくるだけ、冬華は諦めるしかないと小さく呟き溜息をつく。
ニクロムは眉を下げ押し黙っていたが、明るく微笑み話し始める。
「私は、冬華さんを助けた人間ではありません。ですが、これからは私たちが貴女を守っていきたいと思っています」
「私たち?」
「はい。私たち黒葉――……紋章樹黒葉管理局です」
黒葉。紋章樹黒葉管理局。
聞き覚えのない名称に頭を悩ませた冬華だが、幾つか関連する言葉を思い出す。
紋章樹と葉っぱ、その二つだ。
(私が牢屋にいた時に聞いた葉っぱ共って、ニクロムたちの事? 紋章樹って名前も何処かで聞いたような)
追いつかない思考に目を回している内に、話は移り変わる。
「外を見て下さい。遠くに大樹がありますよね。私たちはあの場所に向かっているんですよ」
ニクロムは窓に写した景色に視線を向けていた。冬華も視線の先を覗き見る。
「あれは紋章樹。この世界、ゴットラビリンスは紋章によって人々は生きています。人、土地、自然、生命の宿る全てに力を分け与えているのが紋章樹です」
先程見た大樹を冬華は目をこらし確認すると、円形の街中心に白く太い幹が生え、枝葉は淡白い紫色の宝石がごとく光輝いている。
「私たちは紋章樹を管理し、関連ある事柄があれば対処する組織なんです」
冬華は何度か瞬いた後、苦い表情をする。
「……大樹がその剣と関係があるから私を助けた?」
「はい。ゴッドラビリンスでは、世界の均衡を守るため儀式を行っています。特別な力を持つ二本の剣が一組の男女を選び、紋章樹に誓い、契約する婚礼の儀――」
口を半開きにして聞いていた冬華は、ハッと我に返った。
「ちょっ、ちょっと待って。今なんて?」
「えっ、えっと。世界の均衡を守るため儀式を行っています?」
「その先!」
「紋章樹に誓い、契約する婚礼の儀。ですかね?」
開いた口がふさがらない。冬華は放心状態になり石のように固まる。
「――……それってつまり、結婚!?」
冬華は大きな声で叫んだ。
唐突な出来事にニクロムは目を白黒させ、沈黙を守っていたホープもビクッと肩を震わせ驚いていた。
「貴女は世界の均衡を支える剣に選らばれた、青き剣の花嫁なんです」
ニクロムの言葉に気が遠くなり、冬華は顔面蒼白になる。元の世界に帰してと、切実に願ったのだった。