二章 白紙のページ12話
視界は白一色に広がり、周りの状況が把握出来ず体は宙を舞っている。
冬華は空中に浮いた紋章陣に吸い込まれていた。
転んだ瞬間、閃光とともに冬華は紋章陣に体を捕らえられ自由を奪われている。ぼんやりした空間ではあるが風の抵抗を受けて急速に移動をしていた。
冬華は自分が置かれている状況を整理し、徐に口を開く。
「これって、ニクロムが教えてくれた転送装置に似てる」
紋章機械と呼ばれる紋章石を改良して施された代物。
館を訪れる際、拝見して馴染み深くなった物だが、転送装置を発動したのは占い師だ。
ハリスとの戦闘で見落としていたが彼の目的が冬華だったなら、思い浮かぶ答えは目に見えて分かる。
魔族側の刺客か、はたまた違う人物の依頼かなのかは検討できないが目的は似通っているだろう。
そんな考えをめぐらせて、冬華は首を縦に傾かせながら顔はどんどん青くなっていく。
「え、てことは私、連れ去られてるよねこれ。このままじゃ駄目だ、早く何とかしないと!」
湖で体験した転送は一瞬だったが、大がかりな転送は時間がかかる様だ。
なら、のんびりしている暇はないと考え冬華は両手足をばたつかせた。だが、身動きを取るが前進する気配はない。なら声はどうかと喉を動かす。
「ハリスさん! カイン! 返事をして!!」
ハリスたちに呼びかける声もむなしく、白の中に溶けて消えていく。
何度も呼びかけて声がひりつくのも構わず叫んだ。
「誰でもいいから、返事、してよ――」
半ば諦めかけたその時、ふと手に握る短刀を見て冬華は眉をつり上げた。
『ちっ、何まごついてんだ。弱腰のままなら一生そこでへばりついてろ、口だけ女』
カインの言葉が脳裏を掠め、冬華の心に火をつける。
「弱気は損気。諦める前に行動!」
冬華は意気込んで懐の紋章石を取り出そうとした、その時だった。
『威勢が良くなったね。これは良い兆候だ』
「え?」
澄んだ声が冬華の脳内に響いた瞬間、体に自由が戻って来る。
そして、体から眩いほどの青い光が大きく膨らみ、球体となって降下していく。
「だ、誰? て、これ、もしかして落ちてる?」
謎の声はそれ以降言葉を発することはなかった。
冬華の浮遊した体は暗い鬱蒼とした森に落ちて、緩やかに枝葉の間を通り過ぎていく。だが、青い球体は唐突に消えて急下降していた。
「うわああああぁ!!」
冬華は硬い土の上にうつ伏せになって激しく倒れた。体を強く打ちつけたのか息がしにくく体が重い。
その拍子に手に持っていた短刀が地面に転がり落ちる。
「あ、うぅ、痛い……」
今になって、転んだ時に出来た膝の痛みが再びやって来る。それどころか、足に新たに出来た打ち身や切り傷がジクジク痛みはじめた。
「あはは、紋章陣からは、抜け出せたみたい。でも、状況は極めて、危険だね」
冬華は乾いた笑いしか出なかった。
薄闇の中、野生動物がいるであろう森に一人。
太いのから、細い幹まで疎らな木立の先には何があるのか予測も出来ない。冬華は額に汗を流しながら眉間に皺を寄せる。
「念の為、紋章石を確認、しとこう」
上着に手を伸ばした瞬間、内ポケットから白い光が漏れ出していた。
それは微かだが点滅を繰り返し、冬華に取って欲しそうに訴えかけている。
冬華は恐る恐る内ポケットから光る物を取り出す。
光の正体は紋章石がついたイヤリングだった。真珠に似た球体の紋章石に金色の装飾が取りつけられており、裏を返せば小さなボタンやダイヤルがある。
冬華がボタンを押すとノイズ音が流れてきた。
『――……冬華さん、冬華さんですか?! 私です、ニクロムです!!』
イヤリングから声が響くと冬華は両目を瞬かせる。
「ニク、ロム!?」
『よ、良かった通じてくれた。本当に良かった。一か八の賭けでしたが、通信紋章石が反応したようですね。それよりも冬華さん、無事なんですか? 状況はどうなっているんです? 周りに人はいますか?』
「ご、ごめん、今は足と体が動かないんだ。声は、辛うじて出せるよ。周りに人はいない、みんなとはぐれちゃったんだ。ここが何処か分からないけど暗い、森しかないよ」
冬華の言葉を受けてニクロムは沈黙していた。
イヤリング越しのニクロムがどんな表情をしているのか分からない。
冬華は固唾を呑んで相手の言葉を待った。
『冬華さん、メモ帳持ってましたよね。それを二枚破いてイヤリングの音量を上げて下さい』
「う、うん」
何を言うかと思えばニクロムはメモ帳の紙を所望してきた。
冬華は戸惑いながらも素直に頷く。メモ帳を取り出して二枚破き、イヤリングのダイヤルを少しだけ上げる。
紙とイヤリングを地面に置くと冬華はニクロムに話しかけた。
「準備、出来たよ」
『はい、ありがとうございます。では、はじめますよ』
ニクロムの真剣な声とともにイヤリングがカタカタ振動する。
『――……言葉を文字に変え、紙片を通して私の目となり具現せよ』
ニクロムは間を置き言葉を紡ぎはじめる。
すると、ニクロムから発せられた声が紫色の文字へと変わり、それに反応して紙がカサカサと震えだし宙に浮いていた。
紙が紫色の文字を吸収しはじめ、みるみる形を変えていく。
(魔法? これも黒葉の能力なのかな)
冬華は呆然と口を開いていると、二枚の紙は文字を吸収し終えている。
紙は紫色の蝶へと姿を変えていた。
一匹は前方を進み、もう一匹は冬華の周りを飛んでいる。
『周辺の状況を蝶に探らせます。一匹置いていきますので待ってて下さいね』
ニクロムの優しい声に冬華は自然と笑みをこぼした。
「ニクロム、ありがとう」
『感謝、される筋合い、私にはありません。こんなことになって、これは私の責任です』
「え、何言って――」
『……すみません、冬華さん。今からちょっとだけ集中するのでお話出来ませんが、何かあったらイヤリングで声をかけて下さい』
冬華の言葉を待たずにニクロムは遮っていた。ニクロムの様子に疑問を覚えたが今は首を縦に振るしかない。
「う、ん。待ってるよ」
『はい、行ってきますね』
暫くして、イヤリングから光が消える。
冬華はニクロムの通信が切れるのと同時に、視界が霞みはじめていた。
怪我のせいなのか、体がだるくなっていき朦朧としている。
(いけない、助けが来るまで、意識を保たないと)
重たい目蓋を必死に開けよう力んでいると、一人分の足音がこちらに近づいて来ていた。
目の前で飛んでいた蝶が忙しなく飛びはじめる。
冬華は首を動かし蝶の動向を目で追うと、暗闇の中に光が一つ揺らめいていた。それが、土を踏みしめる音とともにどんどん近寄ってくる。
(あ、もう、限界――……)
冬華の目蓋はゆっくり閉じられ、意識は遠のいていった。
◆◆◆◆◆
朝の日差しを受けて目が覚めると、そこには知らない天井が映った。
ベッドで横たわっていた冬華は目を瞬かせ、痛みの残る体を抑えながら起き上がる。自身の姿をよく見ると大きめな白いシャツに着替えられており、至る所に包帯が巻かれ手当てされていた。
「誰かが、してくれたのかな」
冬華は四角い間取りの木造部屋をぐるりと見渡して、正面の窓を確認した。そこには、紫色の二匹の蝶が窓付近を飛び回っている。
(二匹いるってことはニクロムが人を呼んできてくれたんだ。良かった)
冬華は、近くに人の気配を感じて首を横に傾けた。ベッドの側には女の子が机に突っ伏して眠っている。黄緑色の髪と飾り紐についた橙色の石が日に当たりキラキラ輝いていた。
(あれ、この子管理局の玄関ロビーにいた……)
見覚えのある髪色に、冬華は女の子に触れようと手を伸ばす。
が、女の子は急に顔を上げて、冬華の腕を掴んでいた。
「冬華!!」
女の子は唐突に冬華を呼び、猫っぽい形の両目を大きく見開かせている。
腕を掴まれたことと名前を呼ばれたことが衝撃的で冬華は混乱していた。
「あ、え、あのどちら様、ですか?」
「私、未来だよ! すごく、すごーく、会いたかったんだから!」
「え、ええっ!!?」
容姿、髪、瞳の色から全てが異なる未来の姿に、冬華は驚きの声しか出せなかった。




