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God of Labyrinth  作者: 無月
序章 扉
3/67

序章 扉3話


 不審者が学校周辺に出没した。

 

 担任、如月の話によると午後三時頃。

 人通りの多い住宅街で刃渡り三十センチのナイフを所持したマント姿の人物が歩道橋下で目撃され、現在行方を捜索中。大勢の人間がその場にいたが、不自然な格好にもかかわらず不審者の顔を見た者はいなかった。大きなフードを顔まで覆い、地につくくらいまである黒いマントで体を隠していたようだ。

 幸い怪我人もいなく大きな事件に発展はしなかったが、危険が去ったわけではない。校内の生徒は教師の指示に従い帰宅することとなった。


「葵さん、話があるんだけど?」


 冬華と未来も急いで準備を終えて帰ろうとしていた時、窓際にいたやせ細った男子生徒に呼びとめられる。

 月宮要(つきみやかなめ)

 物静かで寡黙な生徒。それが彼の立ち位置だったためか、その場に居合わせた冬華は驚きを隠せなかった。


「今じゃないと駄目なの?」

「そうだよ。今じゃなかったら君に話しかける理由もない」


 月宮の上から目線な物言いに悪びれる様子もなく、黒縁眼鏡のレンズ下に窺える切れ長な瞳は冷徹さを帯びていた。

 

「そんな訳だから、石月さんはどっか行っててくれない?」


 邪魔とでも言いたげな顔で睨まれ、冬華の表情が険しくなる。


「ちょっと、さっきから何?」


 少しきつめな声で月宮に食いかかると、未来が慌てて前に出てきた。


「まあまあ、落ち着きなよ冬華。私は大丈夫だからちょっとの間待っててよ」

「うん、分かった……」


 未来は手をヒラヒラ振りながら笑顔で見送っている。

 月宮の姿も見えたが、赤茶の長い前髪と分厚い眼鏡で隠れていて遠目からでは表情は分からなかった。

 冬華は内心もやもやしながら扉を閉め教室から出る。すると、丁度廊下を早足で歩いていた担任の如月と鉢合わせした。何だか慌てた様子で肩で息をしている。


「石月、こんな所で何してるんだ? さっさと帰れって言っただろ」

「待ち人がお話中で帰れなくなったんです」

「待ち人?」


 冬華は教室を指さす。教室から微かな声が聞こえ、如月は今現在の状況に納得したのか何度も頷いていた。


「ああ、なるほどね」


 如月は悩む素ぶりをしながら自身の顎に手を置き、よしっと言いながら冬華に視線を向けていた。


「うーん一人で帰らすのもあれだよな。よし、時間が空いてるんだったらちょっと手伝ってくれないか?」



 ◆◆◆◆◆



 本と埃の匂いが充満する図書室、冬華は俯きながら本を棚の中に仕舞っていた。

 手伝いとは世界史の授業で使った本整理。すぐ終わる作業とのことなので暇を潰すのに利用させてもらうことにしたのだ。

 

 放課後の図書室は薄暗い。

 全体が四角い間取りに簡素な造りの室内、黒塗りの材木製本棚が所狭しと配置されている。カーテンの隙間から覗く空は、橙色と紫色のグラデーションを作り始めていた。

生徒も数人いたが、何台かある机や椅子を利用している者はいない。不審者が怖くて早々に帰る生徒が多いのだ。例の怪談話を知る生徒は、異世界の案内人が現れたと噂する始末。大袈裟な格好の不審者に皆気が動転していた。

 冬華は馬鹿馬鹿しいと悪態を突きながら、本を抱え指定の欄を探す。


「いやー悪いな石月。本、重くないか?」


 如月の申し訳なさそうに謝罪する声が聞こえる。正面本棚越しに、冬華も本を素早く棚に入れながら返答した。

 

「重くはないですけど。これが終わったら教室に戻りますからね」


 冬華はげんなり顔でことの作業に取り込み続けた。

 残った歴史の資料を片手に、ちらりと題名を見る。古代ローマの全貌、ブリテン王国の歴史、ナポレオン戦争等々。


(英国の歴史書が多い。違うクラスで使ったものかな?)


 最後にあった本が手元から消えると、冬華は一息つく。

 自分の分が終わったことを知らせようと、如月のいた場所に移動する。

 如月は冬華のいた向かいの本棚の列に立っていたが、難しい顔をしながら考え込んでいた。


 冬華は出かかっていた声を押し戻す。

 

 真剣な目つきで本棚を凝視する如月は声をかけられない雰囲気を作り出していたのだ。

 不審者事件のことでも考えているのだろうか。冬華は頭を傾けて自問自答していると、こちらに気がついた如月がいつもの調子で話かけてきた。


「おいおい、何そんな所でつっ立ってるんだ? もしかして石月、俺に見惚れてたな!」


 如月は「モテて困るなー」と言いながら本棚を背にし、格好つけながら腕を組んでいる。見た目の派手さのせいか余計軽薄そうだ。

 そんな教師の姿を見て、先程躊躇していた自分を忘却の彼方に追いやることを冬華は決意した。

 

「生徒相手に何言ってるんですか!? 怒りますよ!」

「うわ、相変わらず辛辣な言葉で先生泣くぞ」


 如月は縮こまりながら手を顔で覆い当て、泣き真似をしている。これが高校の教師なのかと、呆れた目で冬華は如月を眺めた。

 

「……私、作業が終わったので帰ります」

「お、おう。時間取らせて悪かったな、気をつけて帰れよ~」


 何事もなかったかのように泣き真似を止め、如月はヘラヘラと調子の良い笑顔で自分の作業に戻っていった。

 そんな如月の後姿を薄目で見た後、冬華は図書室を出て廊下を足早に歩きながら教室に向かう。

 未来のことも気になるが、冬華が気になったのは月宮の行動だった。

 人が苦手なのか、何時も一人で行動していた月宮が唐突に未来に話しかけた行為。別段不思議なことではないのだが、月宮がクラスの人間と話している姿を見たことがなかったせいもある。

 階段を上り廊下を歩いていると、教室前で月宮が扉にもたれかかりながら本を読んでいた。辞書程ある分厚い本を閉じて、冬華に視線を向けている。


「話は終わったよ、葵さんは下駄箱で待ってるってさ」

「貴方は帰らないの?」

「いや、まだ帰れない。それにしても驚きだな、珍しく持ってるんだね」


 月宮と一瞬だけ目が合うと、彼は本を腕に担ぎ、少し猫背な姿勢で歩き始めている。去り際の呟きに、冬華は思わず聞き返す。


「珍しくって、何の話?」

「気にしなくていいよ、独り言だから」


 ぼんやりした顔で廊下を歩き続ける月宮に、冬華は本能的に冷や汗が出る。


(月宮は私の何を知ってるの?)

 

 冬華は反射的に月宮とは逆方向に向き、廊下を走り階段をいっきに駆け降りる。下駄箱の前に辿り着いた時には、息を乱しながらコンクリートの壁に両手を突いていた。

 周りにいた生徒も、何事かと冬華に視線を向け騒がしくしている。


「冬華、あんた息切らせてどうしたのよ!?」


 声がすると、下駄箱の陰から未来が現れた。心配そうな表情で冬華の側に駆け寄って来る。

 冬華は額の汗を拭い、苦笑いで返事をした。


「あはは、大丈夫。何ともないから」

「そうなの? でも、私がここにいることよく分かったね」

 

 一拍置いて、冬華は未来を凝視した。


「え? 未来がここで待ってるって、月宮に聞いたんだけど」

「私、そんなこと月宮に言ってないけど」


 冬華は唖然としながらその場に立ち尽くし、動くことが出来なかった。



 ◆◆◆◆◆


 

「きっと月宮はエスパーなんだよ!」


 学校付近の森林公園前にある橋で、未来は興奮気味にはしゃいでいた。

 目の前に広がる川の流れを、赤錆びた鉄橋の柵越しに見ながら冬華は右から左に聞き流す。

 未来は頬を膨らませながら眉を吊り上げていた。


「ねぇ、話聞いてるの? もしかして、月宮に何か言われたりした?」

「……言われたかは微妙だけど、未来はどうなの?」


 未来は困惑な表情を浮かべて首を傾げている。


「あ、いや、何もなかったとは言えないけどね……」


 彼女もこのことついて余り触れられたくない様子だ。

 お互い顔を見合わせ苦笑いをしてから、二人で大きな溜め息をついた。

 冬華は肩をすぼませて声を漏らす。


「この話は終わりにしよう、疲れるだけ」

「そう、だね」

 

 話し終え静かになると、冬華は毛先を弄りながら今ある思考を頭の片隅に追いやり、上流から下流に流れる河の風景を眺めた。夕日に当てられた河は光の反射で輝いてる。

 

 冬華はこの景色が好きなのだ。

 小さい頃、育ての母がここに連れてきてくれた記憶があり、冬華のお気に入り場所となっていた。

 辛いことや考えごとをしたい時はこの場所で景色を眺め川のせせらぎを聞く、それが彼女の日課だ。

 鉄柵から手を離し、伸びをした次の瞬間、冬華の顔色が徐々に青くなる。

 

「どうしたの冬華? 顔色最悪だよ」


 冬華は右肩にある鞄の中身を何度も確認し、だらだらと汗をかきながら涙目になっていた。


「宿題」

「え?」

「明日提出の宿題、学校に忘れた」

「なんだ~そんなことかって、えっ!?」


 冬華は頭を抱え途方に暮れた。早く回収しなければ学校が閉まってしまう、冬華は焦りながらフラフラと歩き出す。


「ちょっと、何処行くの!」


 未来の呼びかけに、冬華の歩みは止まった。


「学校だよ。今回は範囲が広いから家で勉強しないと間に合わないし」


 たかが宿題と思うかもしれないが、冬華にとってそうではない。

 宿題を恐れている訳ではない、宿題を忘れた者へのペナルティが彼女たちのクラスにはあるのだ。

 

(宿題を忘れた人は強制居残り授業。さすがにきついよ)

 

 視線を下に、冬華は渋い顔でうめいた。


「確かにそうだけど、私も一緒に行こうか?」


 未来の申し出に甘えそうになったが、流石に申し訳ないと冬華は頭を振った。左腕につけた皮時計を見る。走れば次に乗るバスの時刻までには間に合うだろうと頭で考えた。

 この場所から学校までのルートは把握ずみ、遅刻対策用に作った近道を利用すれば数分で戻れる。そう確信した冬華は、掴まれた腕をほどき助走の体勢に入る。


「いや、一人で平気だよ。私が戻らなかった時は先に帰ってて」

「本当に大丈夫なの?」


 大丈夫と言いながら冬華は走り出す。

 公園に続く長い橋を走っていく内に、未来の姿がどんどん小さくなり見えなくなっていく。

 冬華は走ることに専念した。

 本来、学校の通学路は森林公園を遠回りする形なので走っても十五分かかるが、直進していけば十分で近道が出来る。ただ、森林公園には最大の難所があった。


(これを抜けて行かないとゴールは見えないか)


 森林と名乗るだけあって、周りは木々が鬱蒼と茂り、草は生え放題で通る道は整備されていないのだ。怪我でもしたら大変と、生徒は立ち入り禁止とされている。

 学校の校則を気にしない生徒にとっては、ここは近道により適した道なのだ。そのため、冬華は事前に安全なコースを頭に入れていた。

 高低差の激しい地面を軽快に走ったり飛んだり、忙しく前に進むにつれゴールが目の前に見えてきた。


「よし、もう少しでっ……うわっ!」


 木の根に引っかかったのか、盛大に前のめりに体勢を崩す。

 地面との衝突に身を丸めて目を閉じる。鈍い音はしたが、痛みが訪れることはなく。温くて柔らかなものの上に冬華は伸しかかっていた。


「うぐぐ、そろそろどいていただけると助かるんですが」

 

 下から声が聞こえる。

目で確認すると、うつ伏せ状態の男の上に倒れこんでいた。冬華は慌てて立ち上がる。


「ご、ごめんなさい!」


 男はゆっくりとした動作で起き上がっていた。

 ダークグレイのトレンチコートは草と葉まみれ、紫がかった銀髪は中途半端に伸びてぼさぼさだ。今にも折れそうな色白でひょろひょろな体と、堀の深い中世的な顔立ちは外国人のようだった。

 男は屈みこんで何かを探し始めている。それに便乗して冬華も自分の足元を見ると、大きな眼鏡が葉に埋もれていた。

 冬華は眼鏡を拾い上げ男に手渡す。


「これ、貴方の眼鏡ですか?」

「え? あ、ありがとうございますお嬢さん」


 男が眼鏡を受け取ると、流暢な日本語で礼を返してきた。

 眼鏡をかけ直し立ち上がった男と冬華は目が合う。彼は紫水晶のように透きとおった双錘が瞬かせ、驚いた表情で冬華を見返していた。


「――……冬華、さん」


 木々が風でざわつく、それと同時に冬華の心拍数も乱れる。


「どうして、私の名前を知ってるの?」


 男は悲痛な表情で顔を歪ませ、今にも泣き出しそうな顔で体を震わせていた。

 冬華は心が痛んだ。この心の痛みが何なのか分からず、一歩後ずさる。

 男は悲しい笑顔を向け、右手を胸の位置で握りしめながら真っすぐ冬華を見つめていた。


「貴女は、過去と未来どちらを選びますか?」


 その声と共に風が吹き荒れる。

 紅と黄の葉が大量に舞い上がり、カサカサと響く葉音で冬華の視界と聴覚を一時的に奪う。

 数秒間吹いていた風が収まる。

 目を開けると、その場にいた男は忽然と消えていた。

 自分の体についた葉を払いながら周りを見渡すが、不揃いの木々と無造作に生えた草以外、人らしき人物はやはりいない。

 

「……もしかしてあの人が不審者?」




 ◆◆◆◆◆




 校内は静寂に満ちていた。

 

 冬華が学校に辿り着いた頃、下校時刻が過ぎていたため生徒たちは人一人いない。だが、生徒がいないだけでここまで静かなのか。

 薄暗い中、点々と点いた蛍光灯の灯りを頼りに、廊下を突き進みながら冬華は考え込んでいた。教員室にだって人はいるはず、それなのに声も聞こえない。

 

(不気味ね)

 

 微かなざわめきや物音さえない。しかし、冬華の足音だけはうるさい位に響き渡っている。

 まるでこの空間だけ、違う世界に切り離されたようでおぼつかない。そんな事はありえないと、冬華は小さく呟ながら歩き続けた。

 長い廊下を抜け二階に向かう階段を上り始めた時、後ろから大声で誰かが叫んだ。

 

「おーい、石月!」

 

 聞き覚えのある声がすると、右手に懐中電灯を持った如月が足早に近寄ってくる。

 見知った人物の姿を見て、冬華は心成しか安堵した。


「お前、なんでこんな時間に学校にいるんだ?」

「えーと、宿題忘れちゃって」

「宿題? こんな緊急時に何言ってんだ。暗いんだから今すぐ帰れ」


 如月は強い口調で注意をし、短い溜息を漏らしていた。

 

「不審者が出てからじゃ遅いんだぞ」


 不審者。

 その言葉を聞いて不意に、先程出会った男の事を冬華は思い出した。

 切ない表情で見つめる瞳。舞い散る葉に紛れ、忽然と消えた男。忘れたくても忘れられない非現実的な出来事。

 

(そもそも、なんで私の名前知ってるの?)


 彼は冬華の名前を知っていた。

 どうして、なぜと考えればきりがない。冬華は今すべきことに目を向け、思考を切り替え如月を睨んだ。

 

「宿題提出しないとしつこく怒るくせに」

「何で俺の顔見るんだ?」


 如月は少ししてから真顔になり、頭を抱え込んでいた。

 

「その宿題、昨日俺が出したやつか……」


 冬華は「はい」と小声で返事をすると、如月は両手を腰に当て唸り声を上げていた。


「仕方ない、俺も一緒についてってやるから取りに行くぞ」

「いいんですか?」

「まあ宿題出したの俺だしな、忘れたのは教室か?」

「あ、はい」


 二人で階段を上り二階にたどりつくと、廊下は暗く蛍光灯の電気は点いていなかった。下校時刻を過ぎれば一から三年生の教室と廊下は自動的に主電源が消える。

 如月が懐中電灯を構えて小さな灯りを照らし、三階の階段を上り始めていた。


「足下暗いから気をつけて進めよ」


 前に進む如月の声を確認しながら手摺りに掴まり、冬華は階段を上る。まったく暗いというわけではないが、この足取りだとバスの時間には間に合わないだろう。


(未来は帰っちゃったかな、あんなに走ってここまで来たのに)


 何の為に森林公園を通ったのかと考えて、冬華は苦笑いする。

 

「石月、何変な顔してんだ? 教室目の前だぞ」

 

三階の教室前にたどり着くと、如月は懐中電灯を冬華に手渡してくれた。

 

「これ貸すから早く取りに行ってこい」

「ありがとうございます」


 小さく礼をして、冬華は扉を開けて教室に入る。

 スライド式の扉を閉めて全体を見渡す。案の定、部屋全体は黒く塗りつぶしたように暗い。 

 年期の入った黒板に木造の机、教室の後ろに備えつけられた鉄製ロッカー。閉め切ったカーテンはなぜか微かに揺れている。見慣れた物全てが別物のようで薄気味悪い。

 懐中電灯を傾け冬華は席を探した。

 早歩きで近づき、机の中を確認する。提出プリントの入ったファイルを見つけて急いで鞄の中に押し込んだ。

 一安心と胸を撫で下ろし、教室を後にしようと歩き始めた時。廊下の方でゴツっと鈍い音が冬華の耳に入り込む。


「何の音?」


 冬華は不審げに顔を顰める。

 廊下で何かあったのか、恐る恐る扉に近寄った。

 

「先生、今変な音がしませんでした?」


 冬華は扉を徐に開けると、懐中電灯越しに信じられない光景を目の当たりにする。


「えっ……」


 そこには俯せで倒れた如月の姿だった。

 頭から赤黒い血を流し、廊下に数滴飛び散っている。そして、その場に一人の人物が立っていた。


 黒いマントとフードで体と顔を覆い隠し、手にナイフを持った人物。


 ナイフの柄に血が付着していた。

 マント姿の人物はナイフを衣服に隠しながら、冬華の方に視線を向けている。

 冬華は逃げようと試み体を動かしてみたが、恐怖と緊張で体が硬直していた。マントの人物は少しずつ距離を縮めてくる。

 

「こっちに、来ないで!」


 冬華は、握りしめていた懐中電灯を勢いよく投げる。だが、マントの人物は右腕を振りかざし、目にも留まらぬ速さで懐中電灯を床に叩きつけていた。

 粉々に砕け散った豆電球を踏みつけ、冬華の左腕を強い力で掴み上げている。

 冬華は苦痛に歪んだ顔でマントの人物を睨む。

 掴まれた腕を外そうと藻掻くが、後ろから羽交い絞めにされ身動きが取れない。相手の足を踵で踏みつけ逃げようとするが上手くいかず、冬華は目を瞑った。

 

「冬華さん!」


 諦めかけたその時、前方の階段側から叫び声が響き渡った。


 冬華は叫んだ人物を横目で見る。

 暗闇に薄紫色に光る銀髪と大きな眼鏡。細身の体に着込んだトレンチコートと、腕には分厚い本を抱えた男が息を切らして立っている。

 銀髪男は鋭い剣幕でマントの人物と対峙し、本を縦に持ち正面に構えていた。

 

「彼女から離れなさい」


 マントの人物はびくりと体を震わせていたが、冬華を拘束する腕は緩みそうにない。

 状況が変わらないのを見てか、男は早口で何かを呟やいていた。

 瞬間、マント姿の人物の周囲に透明な細い糸が何重にも現れ、腕や足、体中に絡まり床に倒れ込んだ。

 冬華は拘束から逃れ、尻餅をつき呆然としながらその場を眺めていた。

 あまりの出来事に目を白黒させ冬華は混乱していると、反対側にいた男は眉を釣り上げ必至で本を握り締めている。


「ここから逃げて下さい。早くしないと連れて行かれる!」

「はっ、え? 何言ってるの?」

「私が時間を稼いでいる内に早く!」


 拘束されている相手は糸を着実にナイフで切り落としている。冬華の表情は強ばり、慌てて立ち上がった。

 その時、冬華の視界に如月の姿が映り込む。

 俯せで倒れている先生は大丈夫なのかと思案していると、男は額に汗を流しながら微笑んでいた。


「彼は私が助けます。だから、行って下さい」


 冬華は顔を歪めた。

 目の前にいる男は名前も知らない赤の他人だ。

 男の言葉に確証はないが、彼はこの危機的状況から冬華を助けてくれた。その事実だけを頼りに冬華は拳を握りしめて頭を下げる。


「……ごめんなさい」


 冬華は後ろを振り向かず全速力で走った。

 足を縺れさせながら三階、二階の階段を下りる。だが、一階の階段前で立ち止まってしまう。目の前に階段などなく、底抜けした真っ暗な闇だけだったからだ。

 冬華は息を呑む。

 試しに鞄の中に入っていた鉛筆を投げ入れてみる。いつまで経っても地面に着く音が聞こえない、冬華は青ざめた顔で立ち尽くす。二階廊下の階段で座り込み、頭を抱えた。

 

「外に出るどころか二階から下に行けない!」


 途方に暮れる暇などなかった。

 冬華は立ち上がり、再び出口を探し始める。


「何で、こんなことになっちゃったのよ」


 冬華の掠れた声は虚しく廊下に響く。

 反対側階段も暗闇に閉ざされ、窓の鍵は掛かっていないのに開かない。

 八方塞がり、出口に続く道は絶たれていた。冬華は縋るように折りたたみの携帯電話を開いて確認をした。


 圏外。


 画面に映る文字を見て、冬華は携帯電話を閉じ下を向く。


「これが夢なら……」


 皮肉っぽく言って、冬華は自分の頬を抓る。鈍い痛みを感じ、涙目で頬を撫でる。


「現実逃避しても意味ないのに、こんな時だけ夢に頼るなんて呆れる」


 覚めれば終わる夢。

 何時もならそれで終わっていた。

 冬華はそれに甘えようとしたのだ。現実から逃れるために。


(嫌いだなんて言っておきながら、これが夢なら良いだなんて都合良すぎ)


 冬華は前を向き歩き始める。

 

「まだ、出口を見つけるまで諦めないわよ」


 意気込みを入れると、唐突に後方から薄い光が漏れ始める。

 鮮やかな青い光。

 冬華は青い光を見て内心冷やりとしたが、足は吸い込まれるようにそちらに向かっていた。

 光の根源に辿り着き、携帯電話の光を頼り部屋を確認する。

 図書室。

 青い光は図書室の扉の隙間から漏れていた。

 冬華は震える手でノブに触れる。

 

「扉を開けるだけじゃない。私、何戸惑ってるのよ」


 数分してから冬華は図書室の扉を開ける。

 部屋に入り周りを見渡す。一番奥の本棚、窓側に面した場所で光っていた。本棚の側に寄ると青い光は煌々と輝き、その存在を示す。五段目の棚に、分厚い古い本が光を放ちながら正面に立てかけてある。あちこち傷んでいたが丈夫に出来ており、表紙の中央に二つの円と剣が描かれていた。


 冬華はその本を手にし、題名を読み上げる。


「God of Labyrinth?」


 一枚ページを捲ると、紫色のインクで記された文字が数行書かれている。


 遥か遠い昔、神は本の中に世界を創った。

 

 その名はゴッドラビリンス。

 紋章と呼ばれる力を媒体とし、豊かな自然や土地、資源を生み出していた。

 この世界は人々が物語の主人公であり、その生涯を終えると――なり紋章樹に集められる。


 ――のは神に選ばれた七人の――たち。

 神は二人の読み手に二本の剣を渡し、紋章樹を守る役割を与えた。


 世界は平和であったが異変が起き始める。紋章樹を――が現れたのだ。

 読み手たちは神と協力し――めた。だが、それだけでは終わらない。


 神は――してしまう。

 施した――ではなく、時が経つにつれて――たのだ。

 ――時、剣の選定者を――なかった。


 字が所々読めない本を、冬華は眉を顰めながら流し読んだ。

 パタンと本を閉じて棚に戻そうと腕を伸ばす。だが、その本が棚に収まることはなかった。


「そう、神の迷宮だ」

「えっ!?」


 冬華は驚いて後ろを振り返る。

 そこに立っていたのは見覚えのある人物だった。


「月宮、何でここに?」


 背後にいたのは月宮要。

 冬華は眉を寄せて、仁王立ちしている月宮を見つめる。

 

(まさか、ずっと学校にいたの?)


 夕方、月宮は用事があると言って居残りしているのは知っていたが、こんな遅い時間までいるのは予想外だった。

 彼は黒縁眼鏡のレンズを光らせ、口角を釣り上げにやりと笑っている。


「この本に出口はない。永遠に彷徨い続け、何度も繰り返す。神が創った迷宮さ」

「何訳分からないこと言ってるの! 早くここから逃げないと不審者がいるんだって!!」

 

 冬華は光る本を持ちながら月宮の肩を掴む。


「月宮もここにいたら危ないよ。私と一緒に学校から出ようよ」


 不気味な笑顔を貼り付けたまま、冬華の話を無視して喋り続けている。


「だが、永遠なんてこの世に存在しない。物語も終わりを迎える」


 月宮の声に反応して、より本は輝きを増す。青い光は目を覆うような眩しい白い光に変わった。

 

「今回、君はどんな色に変わるんだろうね?」

「い、色?」


 冬華の手に持った本は重力を無視して空中に飛んだ。本はぱらぱら捲られ、開いたページの中から細長い葉の形をした白い栞が現る。上中央に、虹色に輝く小さな石がついた栞だ。


「さあ、栞を持って新たな物語を紡ごう。剣は君を選んだんだから」


 冬華は全身に鳥肌が立つ。

 

 あの栞を受け入れてはいけない。


 冬華の脳裏にその言葉が焼きつく。

 触れれば取り返しがつかない、後には戻れないと、冬華は反射的に月宮を突き飛ばした。


「いやっ、私は、ここから出たいの。物語なんて知らないし関係ない!!」


 冬華が張り裂けた声で叫ぶと視界がぼやけ始める。周りはぐにゃりと歪み、室内は原型を留めてはいなかった。しかし、月宮だけぶれることなくその場に立っている。


「もう時間だよ、また何処かで会えると良いね」


 冬華が口を開こうとした時、目の前は白に塗り潰された。意識は薄れ、床に倒れ込む。

 もうなにも見えない、だが、耳には微かに誰かの声が聞こえる。


「――……さん」


 誰の声だろうと考えながら冬華は意識を手放した。

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