序章 扉2話
これは夢だ。
出口を探してもそれに続く道はなく、何もない暗闇を成人期も満たない少女が制服姿で歩いていた。
だが、闇の中に佇む自身には色がついていた。
全身色鮮やかで透き通るような青。
頭から足の爪先、制服に至るまで少女を中心に発光している。
普段とは違う変化に、少女は歩いていた足を止める。
扉だ。
石で出来た重圧な扉にも色がついており、目を奪われるような濃厚な紫色。
前方に建った長方形の扉は大きく聳え、上中央には円形のレリーフが彫られている。模様の中に零から七の数字が円形内側に沿って描かれていた。
少女は突然現れた扉に触れようと、重い足取りで前に出る。
中央ノブに手を置いた瞬間、目の前が白く塗り潰され少女の意識は遠のく。
体は傾き、膝をつきながら冷たい地べたに崩れ落ちる。
また夢が終わる。
何千、何万回と繰り返し見た同じ夢。
現れた扉を開くことによって全てが変わり、終わるのであればそれを望もう。少女は胸の内でそう願った。
朦朧とした頭で最後に聞こえたのは、後で誰かが少女の名を呼ぶ声。
かすれて聞こえにくい、必死に叫んでいるが、相手の声に答えることが出来ないまま少女の目蓋は深く閉じられていった。
◆◆◆◆◆
日に照らされた窓際で、風に揺れる白い薄手のカーテンが少女の瞳に移り込んだ。
夢の世界から抜け出した先は、机と椅子が規則正しく並ぶ学校の教室だった。
机の上で頬杖を突いていた生徒――石月冬華は一瞬の内に苦虫を噛み潰したような顔になる。
すぐ側に、教本を手に持った年配の男性教師が微笑みながら見下ろし立っていたからだ。表情は笑顔であったが、背後で般若のお面が見え隠れしている。
「授業中に居眠りとは、胆が据わってますね。石月さん、良い夢は見られましたか?」
冬華は背筋に悪寒が走る。
「えっと、すみませんでした」
呆れ顔で教師が席から離れると、冬華は小さく溜息をつき窓に映る景色を眺めた。
時刻は昼過ぎ。青い空には雲一つなく、うっすら橙色に移り変わっていた。住宅街やマンション、高層ビルが密集した中、所々に植えられた木々には紅や黄の葉が一枚一枚色づいている。
窓越しに見える木々と一緒に、冬華の姿も窓硝子にうっすら映りこむ。
臙脂色ネクタイ、ベージュのニットベストにこげ茶色のブレザーを着用しており、顔立ちは一般的な女子高校生より少し大人びている。
肩下に伸びた茶色い髪を弄りながらもう一度溜息をついた後、机の上に広げられたノートに目をやるが手に持っていたシャープペンシルは動く気配はない。
先程見た夢の内容が気になって、冬華は授業に集中出来ずにいた。子どもの頃から見る夢、いつもなら気にもとめないが今回は違う。
昔、夢であの扉を見たことがあるからだ。
十二歳の頃、一度だけその夢を見た記憶がある。しかし、その後の記憶が曖昧だった。
色々な考えが頭を過ぎる中、授業終了のチャイムが校内に鳴り響く。後ろ髪ひかれる気持ちを拭えないまま冬華は項垂れた。
「それでは今日の授業は終了です。日直、号令お願いします」
「起立――礼、着席」
生徒が全員着席し、教師が退出すると教室が一声に騒々しく賑わう。
「居眠りなんて珍しい。もしかして寝不足? 高三にもなると勉強疲れで大変だよね」
冬華が机に並べられた教科書を鞄の中に仕舞っていると、前の席に座っていた女子生徒が猫っぽい笑顔を向けながら声をかけてきた。
彼女の名前は葵未来、冬華の幼馴染だ。
「勉強疲れでも寝不足でもないけど、変な夢の所為で気分が悪いのよ」
返事をする変わりに未来は目を輝かせた。
はねたセミショートの黒髪も心成しか上向きだ。都市伝説や超常現象が好きな彼女に、冬華が夢の話をした結果この反応である。
冬華は呆れてじと目になり、眉間に皺を寄せた。
未来とは逆でこの手の話がじゃっかん苦手なのだ。
ファンタジー小説やゲーム、漫画の類も冬華はあまり好んで読むことはない。
「夢の話だよね? あんたの話聞いて色々探してみたんだけどさ」
未来の席にあった通学鞄から一冊の薄い文庫本を取り出してきた。英国の洋書で、日本語訳に直された本だ。
「クレイトンって人が書いた本なんだけど、この話の内容と少し似てるのよ」
未来はこめかみに人差し指を当て、考える仕草をして本を見つめている。
「物語の出だしがあんたの夢と酷似してるの、暗闇を歩いてる所と全身に色がついてるところとか」
冬華が本を手に取り題名を読み上げる。
「Heart of Twilightこれが私の夢に似てるの?」
本の背表紙には黄昏空が描かれいている。
上から群青、紫、茜、そして橙。水彩絵具の淡い色合いがどことなく哀愁を漂わせていた。
「夢を見るってことは心に影響してるって聞くし、ためになるかは分らないけどその本貸すよ」
「……魔法とかが出てくる物語はパスだからね」
冬華が怒気を含んだ声で返答をすると、未来は目を丸くし口元を押さえながら笑いを堪えていた。
「ぷっ、あんたって相変わらず嫌いだよね」
短編のエッセーを纏めた本で、作者の身近な体験を書いた散文だと簡単に説明を受ける。ノンフィクションものなら読めると未来に強く勧められたので、冬華は断るに断れなかった。
「まぁ、それぐらいなら」
流されるまま持っていた本を鞄に仕舞い終えて、冬華は眉を八の字にさせ目を細める。
素直に声に出して言えないが、冬華は未来に心から感謝していた。
身近な人間に夢のことを相談できない。なぜなら、冬華には本当の両親がおらず、育ての親に面倒になっている立場だからだ。
迷惑をかけたくない思いが強く、親切にしてくれる育ての親に気味の悪い話を聞かせたくはないと言えずにいた。そんな中、真剣に夢の話を聞いてくれる友達の一人が未来だった。
「ぼーっとしてどうしたの?」
未来に顔を覗き込まれ、冬華は慌てて違う話題に切り替えた。
「未来って色んな話とか詳しいけど、ネットとかで調べてるの?」
「まぁね、メルヘンに怪談話に超能力、ありとあらゆる情報と学校の噂とかね」
「学校の噂?」
「そうそう、この学校にもあるのよ有名な幽霊の噂話」
未来は幽霊を連想させるポーズを取ってみせている。
「この学校に幽霊? そんなものいる訳ないじゃない。私は、そんな噂話信じないからね!」
「まあまあ、話を聞くだけならいいでしょこれくらい」
強引に噂話の話題に持っていきたいのか、未来のスイッチが入いると止めることは困難だ。冬華は、渋々未来の話に耳を傾けた。
話を聞く限り、この高校には曰く憑きの話がある。
数年前、生徒や教師が学校で数人行方不明になった。原因は謎のまま、行方不明となった彼らはまだ見つかっていない。
事件が起きた数日後、行方不明になった人たちが霊になって彷徨っていると、そんな話が噂となって校内に広がっていた。
当時それに触発された新聞部も調子に乗り、学校新聞に掲示された煽り文句も【異世界の案内人現る!!】と掲載したが、生徒指導の教師に説教を受けたそうだ。
ふと小さな疑問が冬華の頭に残った。
(消えた人間が幽霊?)
生徒や先生が行方不明なだけで死んでいる話はない。
冬華が訝しめなに聞いていた時、教室の扉が勢いよく音を立てて開いた。
「おーい、騒いでないでホームルーム始めるぞ」
冬華は話をいったん止め席に座り直し前を見るとグレーのストライプスーツを着こなした若い教師が軽く手を叩きながら教卓まで歩いていた。
担任の如月だ。外国人のような目鼻立ちが特徴的で、金と茶に近い髪色が目立つ。
「今日は大事な注意事項があるから、先生の話を真面目に聞くように!」
教師は机に両手を当てて話始めた。
「先程、学校周辺に刃物を所持した不審者が現れたんだ」