一章 青き剣の花嫁7話
憂鬱な気持ちをかき消すように、肉が焼ける香ばしい良い匂いが立ち込んだ。
匂いに釣られて冬華が一階の奥、手狭な食堂に顔を出してみると、ニクロムが白いフリルエプロンを着ながら料理を作っていた。ちょうど料理が完成したのか、フライパンの中にあった目玉焼きとソーセージを平たい皿に移している。他に並べられた皿には、新鮮そうな野菜サラダと白い湯気が昇る黄色いスープ、焼き立てであろうふっくらした丸いパンが木目の長テーブルに置かれていた。ただ、ニコニコ笑顔で楽しそうにしている反面、動くたびヒラヒラするエプロンが一際目立っている。
あまりの手際の良さに呆然と眺めていると、不意に彼は冬華の方に視線を送っていた。
「あ、おはようございます冬華さん。昨日はちゃんと眠れましたか?」
窓硝子を背に、柔らかく微笑むニクロムに冬華は挨拶を返そうとしたが、お腹の鳴る音が部屋に盛大に響いた。
「お、おはよう――……」
恥ずかしい気持ちを冬華は俯いたまま必死で隠した。赤い顔のままニクロムの様子を確認すると、彼は笑顔で手招きしている。
「あはは、お腹空きましたよね。さあ、朝食を用意しましたのでこちらに座って食べましょう」
冬華は眉を八の字にさせて食堂に入る。
ニクロムはエプロンを取り外してキッチンにある水道を使って手を洗い始めていた。洋風な世界の割には、周りにあるものは現代に近い造りなのだと冬華は感心する。流石に電化製品は置いてはいないが不便はなさそうだ。ガス、水道は何処に繋がっているのかは気になったが、ニクロムが昨日言っていた紋章を用いているのではと考えた。
冬華は食事が置いてあるテーブルの前の椅子に座ると、ニクロムが手に小さなポットを持ちながら戻ってくる。可愛らしい花柄の白い陶器ポットからティーカップに熱つい琥珀色の液体を丁寧に注いでいく。芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、荒んでいた気持ちが少しだけ和らぐ。
「紅茶の茶葉が手に入ったんでさっそく淹れてみました。熱いから気をつけて飲んでくださいね」
「ありがとう。いい香りだね。紅茶ってこの世界にもあるんだ」
「そうなんですよー。私の知り合いでお茶に詳しい人がいるんですけど、その人に分けて貰ったんです。お茶って不思議なんですよ。葉っぱはみんな一緒なのに作り方一つ違うだけで色んなお茶になるんです。なんだかすごいですよね」
ニクロムは感情のこもった、どこか儚げな笑みで呟いていた。
冬華はその姿を見て、ニクロムについての違和感が分かったような気がしたのだ。
(ニクロムって何時も笑ってるイメージだけど、なんだか、たまに笑顔がぎこちない気がする)
はたから見れば変な所はないが、時々無理に笑っているようなところが冬華は気になった。
(初めて見た表情は悲しそうな笑顔だったな。あの笑顔が頭から離れないんだよ。でも、あそこにいたニクロムは一体何だったんだろ? 本当に別人なのかな)
気難しげに冬華が考えていると、ニクロムは手に持っていたポットをテーブル置いてから話しかけてきた。
「そういえば、二階で物音が聞こえましたが。何かありましたか?」
冬華は手に持とうとしていたカップを落としそうになったが、辛うじて持ち直した。二階での出来事を思い出し、動きがぎこちなく挙動不審になる。
(平常心、平常心。あれはただの人間。ただの男性……)
冬華は溜め息をついて、ニクロムに落ち着いて返答する。
「う、うん。何もなかったけど、二階に人がいたんだよね。他に誰か住んでるの?」
「人ですか? 今日一人戻ってくる予定はありますがもう帰ってたんですね」
「あ、でもその人どっか行っちゃって」
ニクロムは目を丸くして、驚いた表情で頭を傾けていた。意外だ、とでも言いたげな顔で顎に手を置き、考える素振りをしている。
「彼は、冬華さんに挨拶はしたんですか?」
「されてないけど、私がその前に逃げちゃったし……」
「に、逃げたって。何かあったんですか?」
「たいしたことは無いんだよ。びっくりしただけで大丈夫だから」
「そうなんですか? まったく、顔も見せないで何処ほっつき歩いてるのやら」
ニクロムの口ぶりから察するに、この館に住んでいる人間なのだろう。先程、食堂に来る前に浴室を立ち寄ったが金髪男性の姿はなかった。今会っても気まずいし、顔を会わせる機会があるならその時にでも謝罪すればいいと冬華は頷いた。
「彼の口からちゃんと紹介させますからね!」
「う、うん」
まるで母親が子どもに対して言い聞かせるような話し方に思わず吹きかける。
ニクロムと金髪の男性は家族みたいなものなのだろうかと、勝手に考えていた。
(さっきの人、ニクロムと兄弟とかなのかな? 家族か、本当の家族ってどんな感じなんだろ?)
冬華は夢の出来事を再び思い出す。
父親と名乗る男の存在と青い万年筆、これが家族を探す手がかりになるかは分からないがこの世界でやらなくてはいけないことが増えた。
(この世界を調べたら、もしかしたら私の両親が分かるかもしれない)
冬華はカップに注がれたお茶を両手で飲みながら今後の目的を確認する。元の世界に帰る方法を見つけ尚且つ両親を情報を見つけ出すこと、聞かなくてはいけないことが多い。そして、それと同時に悩みもつきない。
まずはこの世界の文字を勉強しなければ話は始まらない。どうしたものかと冬華がスープを飲みながら百面相をしていると、ニクロムが困った顔で覗いていた。
「あの、ご飯お口に合いませんでしたか?」
「え?! 大丈夫だよ、すごく美味しいよ。コックさん顔負けだよ、うん」
冬華は素直に返事を返す。
ニクロムの作るご飯は本当に美味しかったからだ。
今飲んでいる黄色いスープはコクがあり、甘みと塩加減もちょうどいい。何の野菜を使用しているか分からないがレシピがあったら教えてもらいたい程だ。緑色の野菜もみずみずしく、所々にあるキュウリに似た赤い謎の野菜も食べてみると、塩気はきついが中々やみつきになる味だ。焼きたての目玉焼きとソーセージも家にいた頃を思い出し、懐かしさを感じていた。
「そうですか? 冬華さんに褒められると少し照れてしまいますねー。お替りいっぱいありますから沢山食べてくださいね」
ニクロムは意気揚々に側にある木で出来たカートを滑らせた。台の上には皿に大量に盛られた一口サイズのサンドイッチ。ハム、野菜、卵、チーズらしき色々な具が挟んであるので食べ飽きることはないが、冬華の胃に全ては入らないだろう。
ニクロムと会話を交えて食事は進んでいったが、肝心なことはまだ聞けずにいた。
彼には色々聞かなくてはいけないことがそれこそ沢山あるが食事の時ぐらいは頭を空っぽにしようと、冬華はカップを置き、パンをちぎりながら食す。温かいパンは柔らかく、ほんのり甘い味がした。
(万年筆とか白い本については後にしよう。せっかく作ってもらったんだからありがたくいただかないと)
先程まで白い本のことで頭が一杯になっていたが、ニクロムの心配りと明るさのおかげで少しだけ前向きになれた。原因を作ったのは彼なのだが、そこは片隅に追いやることにする。
「ニクロム、ありがとね」
「……唐突な感謝の言葉に私、ちょっとだけ驚いてしまったのですがどうしました冬華さん?」
皿にサンドイッチを盛りつけをしていたニクロムはキョトンとした顔をしている。
「まあ、色々。昨日の夜、一緒にいてくれたこともあるし……」
「ああ、そのことですか。あの時はかってに女性の部屋に入ってしまったので、むしろ感謝より罵倒されてもおかしくはないのですが」
ニクロムは苦い顔でお腹を擦った後、冬華にサンドイッチが盛られた皿を手渡してくれる。
「えっ、今更なに言ってるの?」
「今更とはなんです! 良い娘さんが危険すぎます! 私も一様、男なんですよー」
ニクロムのやる気のない声に、冬華はイラつき額から血管が浮き出た。
「じゃあ、なんでお世話役が女性じゃないのよ! あの時私がどれだけ意義申し立てようと思ったことか」
「う、と、とにかく。気をつけないといけないんです。分かりましたか?」
「せっかくお礼言ったのに、もうニクロムに感謝しないんだから!!」
「え、ちょっと待って下さい冬華さん。私も別に嬉しくないわけじゃないのでそこはどうかご勘弁をっ! お願いしますよー」
ニクロムとのやり取りに冬華は笑みをこぼす。
ここに来てからあまり笑うことがなかったが、今だけは普通の女の子に戻れた気がして安堵していた。




