六道の辻
「飴、買うて」
イガキの上着の裾をぎゅっと握って、買ってくれるまで動かないと駄々をこねる式子に、イガキはため息ひとつ、それからしょうがないと笑って、式子の前に立って歩き出した。
「買うてくれるん?」
「いいよ。ただし、全部一人占めとかしないようにね」
「そんなん、するわけないし」
門前にある飴屋に入って、イガキがふたつ、飴が入った袋を取る。二つも買うん? と目を輝かせた式子に、彼は一声、
「そうだけど、一個は式子のじゃないからね」
と釘を刺す。わかっとる。式子は少々いじけてしまったようだ。イガキは苦笑して、今しがた店主から受け取ったばかりの飴の袋を式子に渡した。
「おおきに」
一瞬にして明るくなった表情。クスリとイガキが笑って、どういたしまして、と式子の頭をぐりぐり撫でる。いつもはそれに対してなにかしら文句を言う式子なのに、今日は飴に釣られたらしく、無言のまま大口を開けて黄金色した透明なそれを頬張った。
「おいしい?」
大きく頷いて、極上の笑顔。よかった、とイガキが破顔した。
「まぁ、式子は飴食べても育たないと思うけど」
「なに言うたはるん。しきし、これからまた大人になるやんか」
式子が頬を膨らませる。ゴメン。イガキは彼女の頭をくしゃくしゃと掌で撫でた。
「また子供扱いするし」
「まぁ、式子は子供でいいよ」
「イガキっ」
頭の上に置かれた彼の手を振り払って、それからその大きな目でねめつける。苦笑。ゴメンと呟いて、イガキは式子の手の中にある袋から飴を一つとって口に入れた。黄金色したベッコウ飴は、イガキの口の中でゆっくりゆっくり優しく溶けていく。
式子は、といえば、とった飴が小さかったらしくがりりと噛み砕いて呑み下して、早速二つ目の攻略にかかっている。
「式子」
イガキに呼ばれて、袋の飴を選んでいた式子が顔を上げる。イガキはもう一つのほうの袋を式子に差し出していた。
「こっちもくれるん?」
「違うよ。これを渡してきて欲しいんだ」
ほら、あの人に。指示されたほうを向けば、白い着物の女が六道の辻に立っている。
ここからでは顔立ちまでははっきりとしない。ただ、見た目からまだ年若い女であるようだった。
いつからそこにいたのだろうか。少なくとも式子は、イガキに言われてようやくその存在を把握したのだけれど。イガキはいつから気付いていたのだろう。
二袋飴を買ったということは、きっと、ずっと前から既に気づいていたのだろう。
闇に溶け込むようなその姿に、式子は違和感を覚えた。白い着物など珍しくはないが、あの人が着ているそれは――。
「あの人、」
「飴を買いに来たんだよ」
式子みたいにね、とイガキが微笑った。そんなことを聞きたいわけではなかったのだが、なんとなく式子はそのイガキの言葉に納得した。
「自分で買わへんの?」
「でも、せっかく二つ買ったんだし」
「お金ないん?」
「二つもいらないでしょう?」
渡してあげて。もう一回イガキに言われて、袋を渡されて、背中を押されてしぶしぶ向かう。途中でどこかに隠してしまおうとも考えたが、後ろを振り向けばイガキが冷静な笑顔でじっと見守っている。逃げ場はないらしい。
イガキはちゃんと、式子が彼女にそれを渡すところまで見届けて、それからそっと彼女が来た道の先を見つめた。
彼女にとって飴はもう必要ないはずなのに。それでも時々ここに来てしまうのは、未だわが子のことが心配なのか、忘れられないのか。
「息子さんは、立派に成長されましたよ」
こんなに距離があっては聞こえるわけもないのは重々承知の上で零れ落ちてしまった言葉。彼女が開放されるのはいつの日か。
「イガキ」
式子の声で引き戻される。慌てて口元に笑みを戻して、ちゃんと渡してきた? と聞いてみる。式子が大きく頷いた。
「おおきに、って言ってはった。あの人」
「よかったね」
イガキがその大きな手で式子の頭を撫でた。式子は特に嫌がりもせず、
「イガキ」
「ん?」
「頭、撫でんでもええし。飴ちょうだい」
イガキの顔が一瞬だけ固まって、それからゆっくり苦笑を浮かべて、じゃあご褒美にその飴、全部食べていいよ、と伝えると、式子はすごい喜んで飛び跳ねて、また下駄なくすよ、とたしなめる。
「そろそろ行こうか」
式子の手を取って、清水に背を向けて歩き出す。落ち着いた靴音と、軽快に鳴る下駄の音とが合わさってなにか独特の音楽を奏でていた。
それから二人の姿がどこかを曲がって消えたあたりに、辻でカサカサと袋がなる音が響いて、それはそのまま二人が曲がったのとはちょうど逆のほうに、カサカサ、カサカサ。乾いた音。ゆっくりと吸い込まれていった。




