6羽
星獣、それは聖女の守護獣としてこの世に生を受ける神聖なる獣だ。
聖女一人に付き生涯一匹だけ存在し、聖女の身を守り共に戦うパートナーとなる。幼いころより聖女とともに生活し、その間にある信頼は親や恋人よりも篤いと言われる。
星獣は命がけで聖女を守り、その願いのために力を尽くす。
聖女と星獣、運命で結ばれた二人の絆はどんなものよりも固く結ばれている。
私はベルスキー。レナスさまに仕える誇り高き星獣である。
幼いころより、レナスさまと共にあり、その身を支えてきた。レナスさまの一番の側近であると自負している。
強く気高く美しい。天使の顕現と呼ばれ、もっとも神聖なる聖女である聖姫にすでに幼くして選ばれていたレナスさま。そんなレナスさまの星獣に選ばれたのだから、私自身の力も伊達ではない。
歴代の星獣の中でもっとも速いスピードを持ち、その動きは高位悪魔ですら目にとらえることを許さない。力も現存する星獣の中では最高、巨人の一撃すら受け止めて見せる。魔力も高い。並大抵の魔術師では私には敵わない。
でも私が何よりも誇りにしているのは、レナスさまへの忠誠心だ。レナスさまのためなら命を投げ出しても惜しくない。陳腐な言葉だが、本当にそう思える。
レナスさまを守り支えるためにこそ私は生まれてきたのだ。
後宮の庭を散歩していると犬がいた。
犬だ。しかもふっかふっかのもっふもふの金色の気持ちよさそうな毛並みの犬だ。
マリアベルが近づいてもお利口そうに座ってじっとしている。
それを見てマリアベルは、飛びついた。
「犬だー!」
そのまま犬の首にしがみつくと、抱きついたまま顔をすりすり寄せる。
「わー!もっふもふ!すごーいもっふもふ!おとなしくてお利口だー!」
マリアベルがいくら抱き着いても犬は暴れることなくおとなしく受け止めてくれる。
マリアベルは犬が好きだった。どうしようもないほど好きだった。
田舎暮らしなのでインドア派ながらも動物には慣れていたが、犬は別格だった。
牧羊犬や農家の番犬などを見てずっと飼いたかったが、母さまが犬は家畜の管理のために飼うものと認識していたので、牧畜をやっていない子爵家では飼わせてもらえなかった。だから侯爵家の一員になれた暁には、犬を飼ってやるなどと密かに計画をたてていた。
「はじめまして、マリアベル殿。お話はレナスさまより聞いております。」
夢中で抱き着いているマリアベルの横から、低い男性の声が聞こえてくる。
飼い主の人かと思ってマリアベルは慌てて立ち上がる。
「ご、ごめんなさい。久しぶりにわんちゃんを見たものだからつい。」
顔をあげて飼い主の人にあいさつをしようとしたが、はたと気づく、飼い主らしき人はどこにもいない。
「あ、あれ…。」
「いえ、レナスさまの大切な人であるマリアベルさまに気に入って頂けるのは喜ばしいことです。」
あれ…。犬が口を開いてて、さっきから声がそこから出ているように見える。
「ただ、私は犬ではなく星獣です。」
呆然とするマリアの前で、金色の毛並みを持つ犬は自己紹介をする。
「ごあいさつが遅れて申し訳ありません。私の名前はベルスキー。世界で最も貴き聖女レナスさまを守護する星獣です。」
犬は前足を上げると、それは見事な礼をしてみせた。
***
喋れる犬の登場にマリアはどん引きするかと言えば、そういうことはなかった。むしろテンションが上がりまくった。だって喋れる犬といえば、ファンタジー、犬好きの憧れである。
「それじゃあ、ベルスキーさんは魔法も使えるんだ。」
「はい、特に風と火の魔法を得意としています。」
「すごーい!」
「はは、それほどでもありませぬ。」
ベルスキーは風と火を利用した簡単な魔法(小さな火の竜巻を作る)を見せて、マリアベルを感心させる。マリアベルの反応が近所のお手をする犬をみたときとまったく同じなのは秘密だ。
「私の最も誇るのはスピードですが、力も優れています。マリアベル殿ぐらいなら軽く持ち上げられますよ。」
「えっ。」
その言葉を聞いてマリアベルの表情が固まる。もしかして怖がらせてしまっただろうか。ベルスキーはマリアベルを安心させようと声をかけようとする。
しかしマリアベルは怖がっているわけではなかった。固まった表情がほどけていくと、目がきらきらして頬が紅潮しはじめる。
「じゃ…、じゃあもしかして、わ…私を乗せて走ったりとかできますか…?」
「は…はぁ。それぐらいなら軽いものです。……乗ってみますか?」
たどたどしい言葉に、異様なまでの熱気を感じ取りベルスキーは誘い出されたようにマリアに聞く。
「いいの!?」
犬に乗って走る。それは乙女の夢のひとつ。しかもベルスキーは物語に出てくるような金色の長毛を持った美犬。これに憧れない女の子がいるだろうか。
「ど、どうぞ。」
そういってベルスキーは背中を差し出す。
マリアベルは恐る恐るベルスキーの背中にまたがる。潰してしまわないだろうかと一瞬不安になるのは仕方のないことだ。最近、寵姫の豪華な食生活のせいで体重が気になるわけでは決してない…。
ベルスキーの背中にまたがってみると潰れる気配なんて全くなく、それどころか馬みたいにしっかりと支えられる。出来るとは聞いていたが、一抹の不安があったマリアベルは安心する。
「ゆっくり走りますが、落ちないように背中の毛を掴んでいてください。」
言われたとおりにすると、柔らかいさらさらの毛が手に触れる。さわり心地が良すぎる。そしてベルスキーが地面をけると、周りの景色がゆっくりと流れ始めた。
頬に風を感じる。自分のために優しく走ってくれてるのだろう。振動もまったくと言っていいほど無い。
「うわぁ、すごい。すごいよぉ~。ベルスキーさん。」
マリアベルは珍しく子供みたいにはしゃぐ。
本当に夢みたいだ。喋れる犬、自分を乗せて走れる犬、ふわっふわでつやつやの金色の毛並み。星獣であることなんてまったく忘れている。マリアベルがベルスキーを見る目は恋する乙女のようだった。
「ははは、喜んでいただけて私も嬉しいです。」
ベルスキーも紳士的に笑顔を返す。
マリアベルはふと流れる景色の向こう、レナスの姿を見つけた。
「あ、レナスさまだ。」
遠くにいて表情は見えてないが、こちらを見たまま突っ立っている。
「本当ですな。あちらに向かってもよろしいですかな?」
「あ、ごめんなさい。レナスさまに会いに来たんですよね。私ったら迷惑おかけしちゃって。」
「いえいえ、マリアベルさまへの挨拶もありましたので全然かまいません。むしろ私も楽しかったです。」
「そうですか。よかったぁ~。」
うふふっ、和やかに笑みを交わし、レナスのいる方向へ向かう二人。
そしてたどり着く。
「レナスさま、こんにちは。」
「レナスさま、ご機嫌麗しゅう。」
二人はそろって挨拶する。
「あら、マリア、ベルスキー。凄く楽しそうだったね。」
レナスも笑顔で二人の挨拶に応じる。
「はい、ベルスキーさんは凄いです。私をのせてくれるんですよ!すごく賢いし!もう本当に素晴らしいわんちゃんですね!」
いつになくはしゃいだ様子でベルスキーに抱き着きながらしゃべるマリアベル。
「ははは、星獣なんですけどね。」
ベルスキーも暖かい笑顔で応じる。
「そう、そんなに気に入ったの。良かった。ところでちょっと、ベルスキーと二人で話したいことがあるの。大切な話だからマリアはちょっと後宮に戻っててくれる?」
レナスはそんな二人を見て、笑顔のままで言った。
「あ、そうですよね。ごめんなさい。」
二人は国を治める聖なる王妃と、それに仕える星獣なのだ。やはり他人には聞かせられない重要な案件があったのだろう。マリアベルは少し自分のはしゃぎっぷりを恥じた。
「いえ、気にしないで。またね、マリア。」
「あ、はい。ベルスキーさんまたね。」
でも結局我慢できず、ベルスキーのほうを向き手を振り、マリアベルは去って行った。その姿を、レナスとベルスキーは笑顔で見送った。
***
「それでレナスさま、大切な話とは。」
ベルスキーは笑顔を、きりっとした表情に戻し自らの主人に問うた。
「そうね、まず死ね。」
ドンッ
レナスがそういった瞬間、ベルスキーの今までいた地面が爆ぜた。間一髪、横に移動したベルスキーをレナスが絶対零度の瞳で睨む。マリアベルを前にしていたときの笑顔はどこにも無かった。
「レ、レナスさま…!?」
ベルスキーは呆然と豹変した主人を見る。
「飼い犬に手を噛まれるといこうとはこういうことかしら。」
「わ、わたしは星獣ですが?それに何もしていませんよ…?」
戸惑うように言うベルスキーに、レナスは天使の顔をゆがめ地獄の淵から這い出るような声を出す。
「なにも、してないですって?よく言うわね。マリアと二人っきりで楽しそうに話して。マリアの笑顔を独り占めして。マリアを自分の体に乗せて庭を楽しくドライブ?」
最強の聖姫の放つオーラに、大気が震え地面が揺れる。
「獣風情が小賢しいことを考えるじゃない。さぞかしマリアの太ももの感触は気持ちよかったでしょうね!」
「レ、レ、レナスさま落ち着いてくだされ。私は下心なんてまったくありません!」
「下心があるから私はうまくいかないっていうの!あんたのほうがうまくマリアを喜ばせられるっていいたいわけ!?それは私に対する挑戦状ってわけね!」
ベルスキーはあくまでレナスさまの大切な人であるからこそ、マリアベルに喜んでほしかっただけだった。そしてその純粋な気持ちと犬に似た姿は大きな勝利を呼び起こした。
後宮ではいまだ誰にも見せなかったマリアベルの全開の笑顔。
だが、それは大きすぎる勝利だった。
その笑顔を遠くから見たレナスの嫉妬はとどまることをしらない。もはや言葉が通じる状態ではない。
「星獣が主人を裏切った罪、死をもって償うがいい。」
完全に戦闘モードに入ったレナス、両手に巨大な魔力が膨れ上がる。
「あの…、レナスさま…、話を聞いてくだされ…。」
ベルスキーは涙目になって死を覚悟した。何が悪かったかはわからない。だが、敬愛する主人に今日、この場所殺されそうなことは間違いなかった。
「ベルスキーさーん!ベルスキーさーん!」
その時、てってとマリアベルが再びこちらに走ってくる足音がした。
瞬時に、レナスの放つプレッシャーが消える。
「あ、レナスさまとまだお話してたんだ。」
まだマリアベルが離れてから5分ほどしかたってないはずだが、楽しみなことを控えた子供のように時間間隔がくるってるのだろう。マリアベルはすぐにレナスたちのもとへ戻ってきてしまった。
「ごめんなさい。」
一言謝ると、マリアベルはまた去って行った。
ゴゴゴゴゴゴォ
一瞬でレナスに闘牙が戻り、無言で手刀を構えベルスキーに近づく。
「だから、誤解ですから…。落ち着いて…。」
じりじりと後ろに後退するベルスキー。またベルスキーに命の危険が迫る。
「ベルスキーさーん!」
再び、マリアベルの声が聞こえた。
闘牙が消える。
「ボールが見つかったんです。ボール!」
戻ってきたマリアベルはさらにテンションが上がっていた。手には握りこぶし大の丸い球がにぎられている。
そしてまだレナスとベルスキーがいるのを見てしょんぼりした。
「ごめんなさい、レナスさま。」
「いえ、いいのよ。」
すぐに笑顔を張り付けてマリアに答えるレナス。
「ベルスキーさん、レナスさまと話が終わったらボールで遊びませんか?」
「え、ええっと。」
ベルスキーは答えに詰まる。確実にそれを受けては、自分の寿命はレッドゾーンに突入する。いや、もうすでに半ばつきかけているのだが。
「やっぱりボール遊びみたいなのはしませんか。ベルスキーさんかしこいですもんね。」
「いえ、そういうわけではないのですが。」
ベルスキーは戸惑うように、レナスを見上げた。
それを見て、マリアベルもレナスの方を見る。そしてレナスこそがベルスキーの主人だったことを思い出す。
「レナスさま、私、昔から犬とボール遊びするのが夢だったんです。レナスさまからもベルスキーさんにお願いしてくれませんか?」
普段は見ないマリアベルの上目使い。その威力はレナスにとって絶大だった。
「やりなさい、ベルスキー。」
「は、はい…。」
大丈夫なのだろうか。と思いつつもベルスキーは主人の命令に承諾する。
「わぁ、ありがとうございます!レナスさまぁ!」
マリアはレナスの手をぎゅっと握り、花がほころぶような笑顔を見せた。それは初めて自分に向けられた満面の笑み。レナスは顔を真っ赤に染め何もいえなくなってしまう。
マリアはマイペースに硬直させたレナスの手を離し、ベルスキーの方を向き直り笑顔で言った。
「それじゃあ後で遊びましょうね。」
「わ、わかりました。」
「絶対ですよ?」
「は、はい。」
「レナスさまからもお願いしますね。」
「え、ええ。」
そう言ってマリアベルは本当に去って行った。
その後、ベルスキーの処分は一時保留になり、なんとか命の危機を脱することができた。
***
私はベルスキー。レナスさまに仕える誇り高き星獣である。
幼いころより、レナスさまと共にあり、その身を支えてきた。レナスさまの一番の側近であると自負している。
私が何よりも誇りにしているのは、レナスさまへの忠誠心だ。レナスさまのためなら命を投げ出しても惜しくない。陳腐な言葉だが、本当にそう思える。
レナスさまを守り支えるためにこそ私は生まれてきたのだから。
だが…。
「ベルスキーさーん、くっきーたべます?」
「は、はい。」
「ほら、あーん!」
レナスさまが愛する女性が、手にくっきーをもって差し出してくる。私は、それを口に入れる。
「マリアは本当にベルスキーのことが大好きね。」
レナスさまは今日も笑顔を張り付けてその景色を見つめる。
「はい、大好きです。」
そう言って女性が私に抱き着いたのを見て、レナスさまの瞳に殺意が灯るのが見えた。
「明日もベルスキーさんを連れてきてくれます?」
「ええ、いいわよ。マリアが望むならいつだって。」
あれから、レナスさまはマリアさまの点数を稼ぐために私を利用することにしたらしい。しかし、理性ではそう判断しても感情は納得できていないらしい。
二人っきりになると死なない程度に魔法が飛んでくるようになった。
そして私とマリアさまが仲良くすると(というよりマリアさまが一生懸命私を構い倒そうすると)すさまじい殺意と嫉妬が籠った視線が飛んでくる。
私の胃はキリキリと痛みを訴えるようになっていた。最近、毛並みも悪くなってきた気がする。
私は星獣だ。
レナスさまのためなら命を投げ出すことも恐れない。
だが、主人に女性関係の嫉妬で殺されるのと、精神的なストレスで病気になって死ぬ未来はとても受け入れがたいものに思えた…。