第9話 戻るという選択肢
王都からの使者が到着したのは、昼前だった。
城門前に立つその一団は、無駄のない装いをしていた。派手ではないが、身分の高さは隠しきれていない。街の者たちは、遠巻きにその様子を眺めていた。
「……来たな」
ガイウスが低く呟く。
「ええ」
エリアナは、表情を変えなかった。
執務室に通された使者は、三人。先頭に立つ男は、王宮書記官の制服を着ている。
「エリアナ・フォルツ殿」
「はい」
「王太子殿下より、正式な要請を預かって参りました」
その言葉に、室内の空気がわずかに張り詰める。
書記官は巻物を広げ、淡々と読み上げた。
「フォルツ殿に、王都へ戻っていただきたい。地位は、王政補佐官。王宮内における行政調整を一任する」
それは、破格だった。
王妃ではない。
だが、実務の中枢だ。
「待遇は、これまで以上を保証します。住居、裁量権、人員――すべて整える、と」
ガイウスが、思わずエリアナを見る。
――楽だ。
ここに比べれば、圧倒的に。
「理由を、伺っても?」
エリアナは、静かに尋ねた。
「王都の行政が、滞っております」
正直な答えだった。
「誰かが怠けているわけではありません。ただ……」
書記官は一瞬、言葉を選んだ。
「調整が、必要です」
エリアナは、小さく頷いた。
「分かりました。検討します」
即答しなかったことに、書記官は安堵したようだった。
「期限は?」
「三日以内に」
使者たちが去ると、執務室は静まり返った。
「……正直だな」
ガイウスが言う。
「はい」
「嫌じゃないのか」
「嫌、という感情はありません」
エリアナは椅子に腰を下ろした。
「条件としては、理想的です」
「だろうな」
彼女は、机の上に置かれた街の帳簿に視線を落とす。
「王都に戻れば、効率的に仕事ができます。制度も、人も、資源も揃っている」
「……ここより?」
「はい」
ガイウスは、黙り込んだ。
それは否定しようのない事実だ。
「それでも、迷っている」
エリアナの声は、静かだった。
「なぜだ」
「ここでは……」
言葉を探す。
「成果が、生活として見えるからです」
ガイウスは、思わず息を詰めた。
「数字ではなく?」
「数字も、もちろん見ます。でも」
彼女は、窓の外を見る。
「ミーナが笑っている。商人が次の予定を話している。兵士が、先を気にせず巡回している」
小さな変化。
だが、確かな実感。
「王都では、それが遠すぎました」
ガイウスは、何も言えなかった。
その日の夕方、エリアナは街を歩いた。
声をかけられる。
「お疲れさまです」
「最近、助かってます」
「明日の配達、予定通りです」
誰も、引き留めない。
ただ、日常として彼女を受け入れている。
――それが、重かった。
夜、執務室で一人、エリアナは書簡を見つめていた。
王都に戻れば、評価される。
責任も、裁量も、名誉もある。
ここに残れば、目立たない。
だが、確実に誰かの明日を支える。
「……王妃には、なれなかった」
独り言のように呟く。
それを、今さら悔やんではいない。
問題は、次だ。
――私は、どこで生きたいのか。
扉がノックされた。
「入っていいか」
ガイウスだった。
「どうした」
「……一つだけ、言っておく」
彼は、真剣な顔をしていた。
「選ぶのは、お前だ」
エリアナは、ゆっくりと頷いた。
「だが、どちらを選んでも」
一拍置く。
「俺は、代官として、この街を守る」
それは約束であり、覚悟だった。
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
ガイウスは、背を向けて去る。
残されたエリアナは、書簡を畳んだ。
三日。
それは、短いようで、長い時間だった。
王都か。
リュネアか。
どちらも、正しい。
だからこそ――
この選択は、簡単ではなかった。
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