第50話 王妃にはなれませんでしたが、私は私になりました
朝の市場は、いつもより少しだけ賑やかだった。
新しい商団が入ったらしい。
荷車の音と、値を交わす声が重なる。
エリアナは、籠を片手に通りを歩いていた。
誰も、道を開けない。
誰も、深く頭を下げない。
それでいい。
果物の値を聞き、少しだけ迷い、二つ選ぶ。
ただの買い物だ。
倉庫の方角から、短い叱責が聞こえる。
「順番を間違えるな」
ロルフの声だ。
だが、そのあとに続くのは別の声。
「次はどうする?」
ミーナだ。
「優先枠は維持。ただし時間をずらす」
「分かった」
指示は簡潔で、迷いがない。
エリアナは足を止めず、横目で見る。
誰も、彼女を見ていない。
それが、誇らしい。
城へ戻る途中、ガイウスが並んだ。
「暇だな」
「ええ」
「物足りないか」
少し考えて、首を振る。
「いいえ」
「本当に?」
「ええ」
風が、ゆるやかに吹く。
「お前は、王妃になれなかった」
唐突な言葉。
「はい」
「後悔は?」
エリアナは、遠くの空を見上げた。
王都の方向に、かすかな雲がある。
「ありません」
はっきりと答える。
「王妃になれなかったから、今があります」
ガイウスは、小さく笑う。
「肩書はなくなったな」
「はい」
「それで?」
エリアナは、市場の喧騒を振り返る。
決裁は回っている。
議論は進んでいる。
誰も彼女を中心にしない。
「それで、いいんです」
執務室だった部屋は、今は記録棚になっている。
机の上に、最後の記録帳。
頁を開く。
最後の一行。
——《設計完了》
少しだけ考え、書き足す。
——《自分を含めない》
筆を置く。
王妃にはなれなかった。
けれど私は、
誰かの上でもなく、
誰かの代わりでもなく、
ただ自分として立っている。
街は回っている。
王都も、きっと回っている。
並び立つ灯りは、どちらも揺れている。
それで、十分だった。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
この物語は、婚約破棄から始まりました。
けれど本当に描きたかったのは、「逆転」でも「ざまぁ」でもなく、
**“降りる勇気”**でした。
必要とされることは、嬉しいことです。
中心に立つことは、誇らしいことです。
けれど、いつまでも自分がいなければ回らない状態は、
本当の意味での成功ではないのではないか。
そんな問いから、この物語は生まれました。
エリアナは王妃にはなれませんでした。
けれど彼女は、場所ではなく「在り方」を選びました。
そして、街も王都も、彼女がいなくても回っていきます。
それが、この物語のいちばんの“逆転”だったのかもしれません。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
もし少しでも心に残るものがあれば、嬉しく思います。
またどこかで、お会いできましたら。




