第5話 守る理由
ロルフは、自分が苛立っていることを自覚していた。
朝の点呼は滞りなく終わった。
配給も、予定通り届いている。
兵士たちの動きも悪くない。
――それなのに、気に食わない。
「兵長」
部下の一人が声をかけてくる。
「どうした」
「最近、補給が安定してますな」
ロルフは鼻を鳴らした。
「当たり前だ。前が異常だっただけだ」
そう返しながらも、内心では否定しきれなかった。
確かに、以前は酷かった。
食糧は届いたり届かなかったり。
装備の修繕も遅れ、兵の不満は溜まる一方だった。
それが今は――。
「兵長、今日の巡回ですが」
「南門を重点的に見ろ。最近、人の流れが増えている」
「了解!」
兵士が走り去る背を見送りながら、ロルフは腕を組んだ。
人の流れが増えている。
それは、治安が良くなっている証拠でもあった。
「……ちっ」
脳裏に、あの女の顔が浮かぶ。
エリアナ・フォルツ。
王都から来た、細身で静かな女。
最初に見たときは、正直、場違いだと思った。
この街は、理屈だけでどうにかなる場所じゃない。
――そう、思っていた。
昼過ぎ、巡回から戻った兵士が報告に来た。
「兵長、南区で小競り合いがありました」
「怪我人は」
「軽傷が一人。すぐ手当てしました」
「原因は?」
「配給の列に割り込もうとした男がいて……」
ロルフは眉をひそめた。
「以前なら?」
「暴動になってたかと」
ロルフは、何も言えなかった。
夕方、執務室に呼ばれた。
ガイウスと、エリアナがいる。
「状況はどうだ」
ガイウスの問いに、ロルフは簡潔に答えた。
「落ち着いている」
「理由は?」
ロルフは一瞬、言葉に詰まった。
理由など、考えたこともなかった。
だが――
「……先が見えるようになった」
エリアナが、わずかに顔を上げる。
「配給の時間、巡回の頻度、補修の予定。全部、事前に分かる」
「それが?」
「兵はな、腹が減るより、先が見えない方が不安になる」
ロルフは、そこで初めてエリアナを正面から見た。
「……あんた、それを分かってやってるのか」
「当然です」
即答だった。
「兵士は“守る人”です。不安定な状態では、守れません」
ロルフは、ゆっくりと息を吐いた。
戦場で、多くの仲間を失ってきた。
そのほとんどは、無謀な命令や、遅れた判断のせいだった。
「俺は……」
言葉を探し、ロルフは唇を噛む。
「俺は、あんたが嫌いだ」
エリアナは、驚きもしなかった。
「承知しています」
「だがな」
ロルフは、机の上に拳を置いた。
「この街を守るなら……あんたのやり方は、間違ってない」
沈黙。
ガイウスが、わずかに目を細めた。
「それは、協力すると?」
「勘違いするな」
ロルフは、ぶっきらぼうに言った。
「俺は兵士だ。守るべきものが明確なら、それに従う」
エリアナは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はいい」
ロルフは踵を返しかけ、足を止める。
「……一つ聞かせろ」
「何でしょう」
「王宮では、こんなことを?」
エリアナは、少しだけ考えた。
「似たようなことを」
「評価は?」
「されませんでした」
ロルフは、鼻で笑った。
「馬鹿な話だ」
夜、兵舎の屋根の上で、ロルフは空を見上げた。
星は少ない。だが、雲は切れている。
「守る理由、か……」
街を守る理由は、王命でも、給金でもない。
ここで生きる人間が、明日を信じられるかどうかだ。
それを整えているのが、
あの、静かな女。
ロルフは、ゆっくりと目を閉じた。
王妃にはなれなかった女が、
今は、街を守る理由を作っている。
――皮肉だが、悪くない。




