第3話 まず、並べ替える
エリアナが最初にやったことは、命令でも改革でもなかった。
人を集めることですらない。
――紙を、並べ替えただけだった。
「……何をしている?」
代官執務室の隅で、床に書類を広げているエリアナを見て、ガイウスは率直な疑問を口にした。
「分類です」
「見れば分かる。だが、そんなことをして何になる」
エリアナは答えず、黙々と手を動かし続けていた。
税収報告、兵站記録、住民名簿、倉庫台帳、過去の通達。内容も年代もばらばらな紙束が、床一面に広がっている。
「これ、いつの書類ですか?」
「三年前……いや、四年前かもしれん」
「こちらは?」
「先月だ」
「同じ棚にありましたね」
ガイウスは言葉に詰まった。
書類は確かに保管されていた。紛失しているわけではない。だが、使える状態ではなかった。
「まず、現状を一枚にまとめます」
エリアナはそう言って、白紙を一枚取り出した。
「今のリュネアは、“何が足りないか”が分からない状態です。分からないから、誰も判断できない」
「……判断は、俺の仕事だ」
「はい。でも判断材料がなければ、止まるしかありません」
ガイウスは反論しなかった。ただ腕を組み、彼女の作業を見守った。
エリアナは一日を、それだけに使った。
数字を書き写し、日付を揃え、重複を除き、抜けを探す。途中、兵士が昼食を運んできても、彼女は手を止めなかった。
「食べないのか」
「後で」
夕方になった頃、ようやく一枚の紙が出来上がった。
そこには、収入と支出、倉庫の在庫、兵士の配置、住民数が簡潔にまとめられていた。
「……これが、今の街?」
「はい」
ガイウスは紙を受け取り、目を通した。
沈黙が落ちる。
「思っていたより……悪くないな」
「壊滅ではありません。ただ、“無駄が重なっている”だけです」
エリアナは指で紙を叩いた。
「例えば、兵士の食糧。前線がないのに、戦時配給基準のままです」
「前任が決めた」
「変えられていないだけです」
次に、税。
「徴税時期が農繁期と重なっています。人が逃げるのも当然です」
「……確かに」
「直しますか?」
ガイウスは少し考え、頷いた。
「やれ」
その言葉に、エリアナはほっと息を吐いた。
翌日から、街は少しずつ動き始めた。
兵士の食糧配分が見直され、余剰が市場に回る。税の徴収時期がずれ、農民の顔色が変わる。
劇的な変化ではない。歓声も上がらない。
だが、止まっていた歯車が、静かに噛み合い始めた。
「お姉さん、今日ね、ごはん早かった」
ミーナが、笑いながらそう言った。
「そう」
「前は、いつ来るか分からなかったんだ」
その一言に、エリアナは胸の奥で何かが繋がるのを感じた。
問題は、食糧不足ではなかった。
“いつ来るか分からない”ことだったのだ。
執務室に戻ると、ガイウスが待っていた。
「なあ」
「はい」
「お前、王宮では何をしていた」
エリアナは少し考えてから答えた。
「同じことを」
「……評価は?」
「されませんでした」
ガイウスは鼻で笑った。
「愚かだな」
「そうでしょうか」
「少なくとも、この街では必要だ」
その言葉に、エリアナは一瞬だけ目を伏せた。
「ここは、私が決める場所ではありません」
いつもの口癖だ。
だが、今日は続きがあった。
「でも――回るようには、できます」
ガイウスはその言葉を否定しなかった。
机の上には、昨日まで雑然としていた書類が、きれいに分類されている。
たったそれだけのことで、街は息をし始めていた。
エリアナは、静かに思う。
王妃にはなれなかった。
けれど、こうして世界が動く音を、
自分は確かに聞いている、と。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




