第27話 短い不在
出立は、朝だった。
城門の前に荷車が一台。馬は一頭。控えめな旅支度にしては、随分と簡素だ。見送る者も多くはない。そもそも、知らせを広げていない。
「……本当に行くのか」
ガイウスが言った。声は低いが、止める響きではない。
「三日だけです」
エリアナは、手綱ではなく書類袋の紐を確かめる。目的は視察同行――レティシアの帰路に合わせ、第三都市同盟の流通資料を受け取るためだ。名目はそれで十分だった。
「仕事は?」
「回ります」
自分で言っておいて、少しだけ胸の奥がざわつく。
――回るはずだ。
事実として、回るように作った。判断権は分散し、手順は共有され、失敗も記録され、更新されている。あとは、動くだけ。
それでも、不在は不在だった。
ロルフが城門の影から現れた。兵士長らしく簡潔に頷く。
「見送りはこれで十分だな」
「はい」
「……こっちは任せろ」
「お願いします」
いつもなら、ここで余計な言葉が入りそうなものだが、ロルフは言わない。代わりに、短く続けた。
「判断は、こっちでやる」
それが、彼の誓いだった。
バルドは市場へ向かう途中らしく、外套をひるがえして近づいてきた。
「三日なら、損は出ない」
「商人の言い方ですね」
「商人だからな」
バルドは笑い、すぐ真顔になる。
「……こっちも、回す。心配するな」
「はい」
エリアナは頷いた。言葉を重ねない。重ねた瞬間、依存が戻る気がした。
荷車が動き出す。
城壁の上から見える街は、静かに朝を迎えていた。灯りが消え、代わりに人が動き始める。いつもと同じ、ただの一日。
――その「ただの一日」が、どれほど難しいかを、彼女は知っている。
◇
城門が見えなくなったところで、レティシアが並走してきた。彼女の馬は癖がなく、歩みも一定だ。
「見送りは、簡素ですね」
「それで良いのです」
「未練は?」
レティシアは淡々と聞く。詮索ではなく、確認に近い。
「未練ではなく、責任があります」
「責任があるなら、留まるべきでは?」
「責任があるから、離れます」
レティシアが、わずかに眉を上げた。
「矛盾しています」
「矛盾ではありません」
エリアナは前を見たまま答える。
「不在で壊れるなら、まだ整っていない。壊れないなら、次へ進めます」
レティシアはそれ以上言わなかった。肯定も否定もせず、ただ馬を進める。彼女にとっては、それが最大の同意だった。
道中、流通資料の受け渡しは滞りなく終わった。形式的なやり取りと、必要最低限の確認。それだけ。
夕刻、簡易宿で休む頃、エリアナの指先は妙に落ち着かなかった。
何度も、リュネアの方角を見る。
手紙は飛ばさない。報告も求めない。求めれば、守るべき「不在の意味」が揺らぐ。
――それでも。
夜の灯りが消えたあと、静かに寝台へ横たわりながら、胸の奥で何度も同じ言葉を繰り返す。
回る。回るはずだ。
◇
一方、リュネアでは。
エリアナが去った翌日、南区の倉庫街で小さな混乱が起きた。
夜間搬入の共同手順に、わずかな行き違いがあった。時間の取り決めが曖昧だったのだ。誰が先に並び、誰が後になるのか。荷を降ろす順番。警備兵の誘導。
「話が違うぞ」
「いや、昨日はこうだった」
声が上がり、周囲の人が足を止める。
以前なら、誰かが「エリアナを呼べ」と言っただろう。
だが、今日の空気は違う。
「兵士長に聞け」
誰かが言い、もう一人が続ける。
「商人会にも知らせろ。ここで揉めても荷が遅れるだけだ」
ロルフは、巡回の最中に呼ばれた。現場を見ると、まず一度だけ深く息を吐いた。
「……止めろ」
声は大きくない。だが、周囲の動きが止まる。
「揉めるなら、昼にやれ。夜は“運ぶ”時間だ」
商人が噛みつく。
「だが、順番が——」
「順番は、今決める」
ロルフは、即座に言った。
「バルドを呼べ。今ここで、商人会の代表を出せ」
数分で、バルドが到着した。外套の端を握り、状況を一瞥する。
「……時間割が曖昧だ」
「そうだ」
「なら、今決める」
バルドは、紙と炭筆を取り出した。
「一時間刻みで区切る。優先枠は、腐りやすい品だけ。残りは順番制。例外は作らない」
「警備は?」
ロルフが問う。
「搬入開始の十五分前に兵が立つ。遅れた分は次枠に回す。揉めたら、その場で止める」
短い言葉が、次々に積み上がっていく。
誰もエリアナの名を出さない。彼女のやり方を真似る者もいない。代わりに、彼らは彼らの言葉で決めた。
結論は、完璧ではなかった。きっと明日、また微調整が必要になる。
それでも。
搬入は再開された。
荷は動き、灯りが揺れ、倉庫街は夜の仕事へ戻った。
遠くで見ていたミーナが、胸の前で小さく拳を握った。
「……回ってる」
言葉は小さかったが、確かな実感だった。
◇
三日目の夕方。
エリアナは城門の前に戻ってきた。
見送りは少なかったが、戻りを知っている者はいる。城壁の上で兵士が手を振り、門番が簡単に敬礼する。
ガイウスは執務室にいた。机の上には整理された報告書が一束。彼は目を上げ、何も言わずにそれを差し出す。
エリアナは、一枚目を開いた。
南区倉庫街・夜間搬入手順の更新。
商人会と兵士長の共同決裁。
損失は小。混乱は収束。
彼女は、紙を閉じた。
「……回りましたね」
「回した」
ガイウスの声は短い。誇らしさも、疲れも混じっている。
「呼ばなかったな」
「呼ぶ理由がない」
その返答に、エリアナの胸の奥が静かに温かくなる。
――本当に。
ロルフが入ってきた。表情はいつも通り硬いが、どこか違う。
「問題は片付けた」
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
ロルフは、少しだけ目を逸らして言った。
「……お前がいない方が、早く決まることもある」
エリアナは、少しだけ笑った。
「それは、良いことです」
「……くそ」
ロルフは小さく悪態をつき、部屋を出ていった。
バルドは最後に顔を出し、いつものように淡々と言う。
「損失は許容範囲。次はもっと減らせる」
「はい」
全員が、自分の言葉で語っていた。
エリアナは、執務室に一人残り、記録帳を開いた。
――《不在:三日。問題:小。対応:街内で解決》
そして、少しだけ筆を止める。
胸の奥に残っていた不安が、ゆっくりとほどけていく。
王妃にはなれなかった。
だが今、自分は“いなくても壊れない”という成功を受け取っている。
それは、少し寂しくて――
とても誇らしい。
エリアナは灯りを落とし、窓の外を見た。
街の灯りが、点々と揺れている。
今日も、ただの一日が終わっていく。
それが、何よりの証明だった。
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