第17話 任せるという決定
朝の執務室には、珍しく紙の音だけが響いていた。
エリアナは、一枚の文書に目を通し、赤字でいくつか書き足している。文章は短く、装飾もない。誰が読んでも分かるように、要点だけを残したものだ。
やきがて、扉が開く。
「……呼ばれたな」
ロルフが入ってきた。続いて、商人代表のバルド、倉庫管理者、そしてガイウス。
人数は少ない。
だが、顔ぶれは揃っていた。
「今日は、確認だけです」
エリアナは、そう前置きして文書を机の中央に置いた。
「確認?」
バルドが眉を上げる。
「はい。これまで暗黙にやってきたことを、言葉にします」
ガイウスが、紙を手に取った。
――《判断権の整理について》
簡素な題名だった。
「交渉に関する判断は、商人会が主導する」
読み上げる声が、少し低くなる。
「治安・巡回に関する判断は、兵士長ロルフが最終決定権を持つ」
ロルフが、無言で続きを追う。
「備蓄・配給に関する調整は、管理者が責任を持つ」
最後に。
「私は――」
エリアナが、言葉を継いだ。
「前提条件の整理と、情報の更新だけを行います」
室内が、静まり返った。
「……それは」
バルドが、慎重に言葉を選ぶ。
「つまり、あんたは決めない、ということか」
「はい」
即答だった。
「もう、決めません」
ロルフが、腕を組んだ。
「失敗したら?」
「失敗します」
「責任は?」
「判断した人が、持ちます」
重い言葉だ。
だが、誰も反論しなかった。
「俺は……」
ロルフが、低く言う。
「兵士を預かる立場だ。判断を任されるなら、逃げない」
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
バルドも、ゆっくり頷く。
「商人会も、腹を括る。儲けも損も、自分たちで引き受ける」
エリアナは、その言葉を静かに聞いた。
――これでいい。
「一つだけ、条件があります」
全員が、彼女を見る。
「判断を、隠さないでください」
「隠さない?」
「失敗も含めて、共有してください」
彼女は、淡々と続けた。
「私は、それを“次の前提条件”に更新します」
ガイウスが、小さく笑った。
「……随分と割り切っているな」
「割り切らないと、戻ってしまいます」
「何に?」
「私が、決める側に」
沈黙。
その危うさを、全員が理解した。
会議は、短時間で終わった。
署名はない。
印章も押さない。
だが、誰も軽くは受け取っていなかった。
午後、エリアナは街を歩いた。
兵士たちが、ロルフに何かを相談している。
商人たちが、バルドを囲んで話し合っている。
誰も、エリアナを呼ばない。
――それでいい。
執務室に戻ると、ガイウスが窓辺に立っていた。
「……本当に、遠くに行ったな」
「まだ、ここにいます」
「立ち位置の話だ」
エリアナは、少しだけ考えた。
「前に立たなくなっただけです」
「それを、遠いと言う」
ガイウスの声には、責める色はなかった。
「怖くないのか」
「少しは」
正直だった。
「でも、必要です」
「……そうだな」
彼は、深く息を吐く。
「この街は、もう“指示待ち”ではない」
それが、何よりの証明だった。
夜。
エリアナは、文書を一枚閉じ、新しい紙を取り出す。
――《判断権配置、更新済》
それだけ書いて、灯りを落とした。
王妃にはなれなかった。
だが今、自分は“決めないという決定”を下している。
それは、誰にも奪われない。
自分で選んだ、役割だった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




