第16話 整え直すという仕事
失敗の翌朝、街はいつも通りに動いていた。
市場は開き、配給は行われ、兵士は巡回に出る。
昨日と比べて、何かが劇的に変わったわけではない。
だが、エリアナには分かっていた。
――確実に、一段階進んだ。
執務室に集まったのは、ガイウス、ロルフ、商人代表のバルド、それから倉庫管理者だった。人数は少ない。議題も一つだけ。
「昨日の判断について、振り返る」
ガイウスの声は、淡々としていた。
責める響きはない。
だが、誤魔化す気配もなかった。
「まず確認する」
エリアナが、机の上に紙を一枚置いた。
「判断は、妥当でした」
ロルフが、即座に頷く。
「俺もそう思う」
「商人側も同意します」
バルドも続く。
「譲歩しなければ、即時封鎖もあり得た」
「はい」
エリアナは、次の紙を出した。
「結果は、部分的な失敗です」
沈黙。
誰も、その評価に異を唱えなかった。
「ここが重要です」
エリアナは、静かに言った。
「判断が間違っていたのではない。想定が、足りなかった」
「どこだ」
ガイウスが問う。
「時間です」
エリアナは、はっきり答えた。
「私たちは、“短期で動く前提”で考えていました。ですが、グレイシャ側は中期戦を選んだ」
「向こうの方が、余裕があったということか」
「人口と備蓄量を考えれば、当然です」
ロルフが、腕を組んだ。
「……じゃあ、俺たちは不利か」
「いいえ」
エリアナは、首を振る。
「不利ではありません。役割が違うだけです」
全員が、顔を上げた。
「リュネアは、小回りが利きます」
彼女は、街道図に指を置く。
「流通路を一本に依存していない。判断も、分散している」
「つまり?」
「長期戦に、付き合わない」
その言葉に、ロルフが低く笑った。
「逃げるってことか」
「避ける、です」
エリアナは訂正する。
「正面衝突は、選択肢にありません」
バルドが、ゆっくり頷いた。
「……迂回路の活用を、もう一段階進めるか」
「はい」
「費用はかかる」
「短期的には」
エリアナは、紙をめくる。
「ですが、依存度が下がれば、次回は交渉材料になります」
沈黙の中で、ガイウスが言った。
「つまり、今回の失敗は――」
「データです」
即答だった。
「次に備えるための」
その言葉に、空気が変わった。
失敗が、責任ではなく情報になる。
それは、王宮ではほとんど許されなかった考え方だ。
「……俺たちは」
ロルフが、少しだけ声を低くする。
「次も、判断していいのか」
「はい」
エリアナは、迷わず答えた。
「次は、今回より精度が上がります」
「保証は?」
「ありません」
ロルフは、少し驚いたように目を瞬かせた。
「ですが」
エリアナは、言葉を続ける。
「修正できる構造は、もうあります」
それが、彼女の仕事だった。
会議は、短時間で終わった。
結論は一つ。
“やり直す”のではなく、“組み替える”。
午後、エリアナは一人で街を歩いた。
市場の片隅で、商人同士が次の仕入れについて話している。
「今回は、遠回りになるな」
「でも、向こうに握られるよりはいい」
その会話を聞いて、エリアナは足を止めなかった。
――考え方が、変わっている。
夕方、ミーナが声をかけてくる。
「お姉さん、今日ね、みんな“次どうするか”の話してた」
「そう」
「前は、“どうなるんだろう”だったのに」
エリアナは、静かに頷いた。
執務室に戻ると、ガイウスがいた。
「……今回、君はほとんど何も決めていないな」
「はい」
「それでも、街は動いている」
「だからです」
エリアナは、書類を整えながら言った。
「私が決めない方が、いい段階に入りました」
ガイウスは、しばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐く。
「……少し、寂しいな」
「正常です」
エリアナは、微かに笑った。
王妃にはなれなかった。
だが今、自分は「答えを出す人」から
「答えが更新され続ける構造」を作る人になっている。
それは、派手ではない。
だが、壊れにくい。
エリアナは、机の端に新しい紙を置いた。
――《次回判断時の前提条件、更新》
それだけで、十分だった。
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