第10話 ここに、理由がある
エリアナは、いつもより早く城を出た。
返答期限まで、あと二日。
考える時間は、机の前だけでは足りなかった。
朝の街は、忙しい。
露店を開く商人、荷を運ぶ若者、子どもを連れて歩く母親。以前は、どこか沈んでいた空気が、今ははっきりと違う。
「おはようございます」
声をかけられる。
「おはよう」
自然に返事が出ることに、ふと気づく。
市場の一角で、ミーナが箱を運んでいた。
「ミーナ」
「あ、お姉さん!」
ぱっと顔が明るくなる。
「今日は早いね」
「うん。お店の人がね、前より忙しいって」
誇らしげだった。
「大変じゃない?」
「でも、分かるんだよ。次に何すればいいか」
エリアナは、その言葉に足を止めた。
「前はね、分からなかったの。いつ来るか、いつ終わるか」
「今は?」
「今は、予定がある!」
それは、子どもにとっては大きな違いだ。
通りを進むと、兵士たちが巡回している。
ロルフが、彼女に気づいて立ち止まった。
「……忙しいところ、悪いな」
「いいえ」
「王都から、話が来てるそうだな」
噂は早い。
「はい」
「行くのか」
問いは短い。
だが、答えを強要する響きはなかった。
「まだ、決めていません」
「そうか」
ロルフは、それ以上踏み込まなかった。
「俺たちは、守るだけだ」
そう言って、街を見渡す。
「守る理由は、ここにある」
それで終わりだった。
商会の前では、バルドが帳簿を抱えて立っていた。
「フォルツ殿」
「どうしました」
「次の仕入れ先を、少し遠くまで広げようと思ってな」
「順調ですね」
「ええ。無理をしなくて済む」
バルドは、一度だけ言葉を切った。
「……王都に戻ると聞いた」
「検討中です」
「そうか」
彼もまた、それ以上言わない。
「もし戻るなら、やり方は残していってくれ」
「やり方?」
「仕組みだ」
それが、彼なりの評価だった。
昼近く、エリアナは広場に立った。
以前なら、人は集まらなかった場所だ。
今は、自然と人が行き交っている。
誰も、彼女を呼び止めない。
誰も、戻らないでくれとは言わない。
――それなのに。
胸の奥が、重い。
城に戻ると、ガイウスが待っていた。
「街を回っていたな」
「はい」
「どうだった」
彼女は、少しだけ考えた。
「……誰も、私を必要だとは言いませんでした」
「そうだろうな」
ガイウスは、苦笑する。
「この街の人間は、甘えない」
「ええ」
それが、嬉しかった。
「でも」
エリアナは、言葉を続けた。
「誰も、私が“余計”だとも言いませんでした」
ガイウスは、何も言わなかった。
「王都に戻れば、私の仕事は明確です」
「そうだな」
「でも、ここでは……」
視線を下げる。
「私がいなくなった後のことを、皆が考えています」
それは、信頼だった。
依存ではない。
縛りでもない。
「……選ばれている、ということか」
ガイウスが、静かに言う。
「はい」
エリアナは、ようやく頷いた。
「ここは、私が決める場所ではありません」
いつもの言葉。
だが、今日は違う。
「それでも、ここには――理由があります」
ガイウスは、しばらく黙っていた。
「返事は?」
「まだです」
だが、その声は、昨日より柔らかかった。
夜。
エリアナは、王都からの書簡を机に置いたまま、灯りを落とした。
王妃にはなれなかった。
それは、もう過去だ。
今、問われているのは――
どこで、自分の仕事が生きるのか。
街は、何も言わない。
ただ、回っている。
その事実が、
何より雄弁だった。




