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3 父

私の父は大真面目な顔をして大嘘をつくような人だった。それに気づいてからは大体、話半分に聞いていた。

父は生まれつき灰髪で、その特徴は父の生まれた村では非常に珍しく、生まれながらにして老いているように見える事から忌み子とされ、産みの親には早々に捨てられたらしい。

それを拾ったのが風変わりな研究者だった朝倉 景仁(カゲヒト)さん。景仁さんには奥さんは居たけれど子供はおらず、まだ生まれて間もない父に、自分の名前から一字を取って知景(チカゲ)と名付け、実子のように可愛がったという。実際、父は高校生になるまでその事実を知らなかったそうだ。

景仁さんと奥さんは父が中学生の時に離婚し、以降は父子家庭となったのだけれど、その景仁さんも父が高校生の時に亡くなり、父は高校を中退してしばらくの間、家に引き篭もった。

家は景仁さんが建てたもので、お屋敷のように立派な一軒家だった。敷地の広い平屋で庭があり、六畳程度の地下室もある。

地下室の扉は鉄でできていて、カードキーがないと解錠できない、セキュリティの高い部屋だった。ここが景仁さんの研究室であり、父が引き篭もっていた部屋でもあった。

一年ほど引き篭もった後、父は独力で大学へ進学し、そこで斎藤 莉果(リカ)――私の母――と出逢う。

母は、父の第一印象について、

「話しかけちゃまずい人だったかな、と思った」

と、まるで学生時代に戻ったかのように初々しく笑い、話してくれた。


 □


それは大学の図書館での事。

毎日同じ薄暗い席に座り、でも手元には毎日違う本を三冊確保し、二冊を平積みにしたまま一冊を開いて机に片肘をつきながら気怠げに読む、そんな男子学生の存在に、ある時、気がついた。

その様子は本を読んでいるというよりは、頭上に何か巨大で複雑な思考の迷路が浮かび上がり、出口を探すも延々と見つけられないままお尻に根が生えて頭には埃を被ってしまっている、そんな風に見え、その席に棲みついてしまったのではないかと思うほど毎日毎日同じ様子なものだから、一体、どんな迷路に迷い込んでいるのか、興味が抑えられなくなった私は、ある時、意を決して声をかけた。

「あの、一日で三冊も読むのですか?」

別にそんな事が本気で訊きたかったわけではなかった。ただ、会話のきっかけが欲しかっただけだった。

集中していたためか、彼はやや遅れて声に気づき、ゆっくりとこちらを見上げたものの、私の顔を見るなり、かえってこちらが驚くほどに目を見開いて椅子から転げ落ちそうになり、しかしなんとか踏み留まるべく机に手をつき、足を床で踏ん張ったその音は静かな図書館によく鳴り響き、とても恥ずかしい思いをした。

しかし彼は周りの反応など全く眼中に入っていない様子で、不自然なほどに慄きつつもなんとか声を絞り出し、私に訊いてきた。喋り出しの声は少々裏返っていたようにも思う。

「失礼ですが、藤堂さん……ではないですよね」

藤堂さん?誰だろう、と思いながら

「斎藤と言いますが……」と答えると

「ああ、斎藤さん……そうですよね、そう……人違いでした。すみません……」

と言って、動悸が指先に伝わっているのが見て取れるほど覚束ない手つきで、彼は姿勢を戻し、椅子に座り直した。

少しお話しできればと思っただけだったのに思ってもみなかった反応をされて、周りの人たちが平常運転に戻っていく中、所在なげにしている私を気の毒に思ったのか、彼は隣の席の椅子を静かに引いたので、なんとなくそっと浅く座ると、彼は目線を本へ戻してぽつりと話し始めた。

「貴女にとてもよく似た知人がいました。中学時代の先輩です」

私がやや彼の方に視線を送ると、先を促されたと理解した彼は話を続けた。

「その先輩はもう亡くなっています。ですが、貴女が本当によく似ていたもので、まさかと思ってしまいました……失礼しました」

彼はそう言って私の方を向き、改めて謝った。やや哀しげな眉をして、にこりと笑いながら。

その表情に、何故だか私は胸がきゅっと締めつけられるのを感じた。


 □


この場面を、もっと簡略化したバージョンの話も含めて、少なくとも三回は聞いている。

母にとってはよっぽど面白い出来事だったのだろう。


それ以来、その男子学生――つまり父の事が気になって仕方がなくなった当時の母は、自分とそっくりだという藤堂さんの事を聞かせてほしい、という名目で、毎日図書館の同じ席に座る父の元に通い詰める。父は最初、どうにもその藤堂さんと母を重ねて見てしまい、顔を直視できない様子だったが、性格はだいぶ違っていたようで徐々に別人だと認識できるようになり、自然体で話せるようになったという。

父は訊けば何でも答えてくれたそうだ。中には答えにくい話もあったはずだが、直接的な回答は避けるにしても常に言葉を尽くしてくれた。

だから母は、藤堂さんとの関係から中学時代の話、生い立ちから将来の夢まで、興味の赴くままに色々と訊き尽くした。父も孤独だったから、自分に興味を持たれて話をする事に、悪い気はしていなかったという。

そうして二人の距離は予想外に早く縮まっていった。

ある日の事。いつものように図書館を二人で出た後、帰りに寄った喫茶店で母は、まだ在学中のうちから「一緒になりませんか」と申し出てしまう。

その時の父の回答は衝撃的で、一言一句憶えている、と母は言った。私もその台詞は母から一度しか聞かなかったが、一言一句憶えてしまった。

「僕は人を殺した事のある人間です。父を殺しました。父が僕を殺そうとしたからです。僕の体には父がつけた傷痕が残っている。だから嘘ではない事は証明できます。それでもよろしいですか」

ミステリー小説が好きだった母は、なにそれ、面白そうね、と鳥肌が立ったとか。


真偽不明の父の罪は伏せたまま、母は自分の両親に父を紹介した。

母の両親は母の意志を尊重し、終始穏やかで否定的な事は一切言わず、まるで良く出来た人形のような人たちだった、と父は後にそう表現した。

結婚式は父の家――つまり景仁さんから受け継いだこの家――から徒歩十分ほどの距離にある白い外壁の教会兼図書館のような建物で挙げられた。

正面の両開きの扉を開けると、奥へと続く通路の両側には背の高い本棚が建ち並び、最奥まで行くと少し開けて左右に長椅子が一脚ずつと祭壇がある。天井は高く二階まで吹き抜けていて、二階に見える幾つかの扉は、館長さんの居室に繋がっているようだった。

館長さんは、胸元まで伸ばした赤銅色の髪が印象的な女性で、赤鼈甲(ベッコウ)の薄い眼鏡が髪色によく馴染み、知的で上品な人だった。父が引き篭もっている時期によくこの図書館に通っており、父に大学に行くよう助言したのも館長さんだったそうだ。

だから父は、館長さんへの報告を兼ねて、この教会で挙式したいと言い、母も同意した。教会ではあったが、宗教的な意味合いは特に無かった。

館長さんが牧師の代わりを務め、参列者は母の両親だけという、こぢんまりとした式だったそうだ。


父は大学を卒業した後、社会の荒波、もとい、誰も何処に向かっているのか判らないような抵抗不能の濁流に呑まれるのが嫌で就職する気にはなれず、数ヶ月考えた後、自宅の一部を改築して全十二席の珈琲店を始めた。この時の父の苦悩は理解できる気がする……多分、私の性格は父から受け継いでいる。母は医者を目指して引き続き勉学に励み、都市部の病院に勤務し始めた。


こんな家庭だったから、私たち姉妹は父と過ごす時間が多かった。

父は私たちに色んな話をしてくれた。例えば、喧嘩の多い学校に居て、負傷者が続出してクラスメイトが二人にまで減った事がある、とか、金がなくて烏を撃ち落として食べた事がある、とか、実は人形に惚れた事がある、とか……

そんな話を聞く度に私たち姉妹は顔を見合わせた後、それぞれ思い思いの怪訝な顔をつくって再び父を見るのだったが、その様子を父は何故か愉しそうに見ていた。

烏を撃ち落としたのは本当かもな、と思ってしまうほど父は射撃を趣味にしていて、もともと六畳ほどだった地下室を増改築して、およそ三十メートルの距離が取れる射撃訓練室を地下に造っていた。

「高校の頃、クラスメイトに『百メートルの距離からでも君の眼を撃ち抜く事ができる』と挑発された事があってな。それがどれほどのものなのか検証したくなったんだ」

と懐かしい目をして私に語った事がある。

いつも変な話ばかり聞かせる癖に射撃に打ち込むこの時ばかりは沈黙し、専用の保護グラスを掛け、銃と一体化して静かに引金を引くその横顔は父とは思えないほど格好良く映り、私も父の見ている世界を見てみたいと思った。そしてある時、切り出した。

「父さん、私にも射撃を教えてくださいませんか」

父はとても驚いたようで、目をぱちぱちと瞬いて、

「どうした?そんな丁寧な物言いになって」と言った。

「うん……」

確かに普段こんな言葉遣いはしない。だけど何故だろう、この時の父に教えを請うには、この言い方が最適のように思えたのだった。

その気持ちを上手く整理できず、言葉を探して口篭もってしまっていると、父はふっと笑って

「いいよ。ただな」

と言った後、真剣な目で付け加えた。

「上手くなってもそれで他者より優位に立てると思うなよ。そんな目で見れば必ず足を掬われる。常に誠実であれ」

そう言って父は、思いのほか弾力のある掌を私の頭の上に乗せた。

間もなく中学を卒業しようという年齢だった私は、もう頭を撫でられる歳ではない、と素っ気ない態度で返したが、あれから四年が経ち、世の中が劇的に変化して父も帰らぬ人となってしまったいま、その言葉と温もりはまるで宝物のように、私の胸の奥に大切に仕舞い込んである。


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