2 国
まだ銃が発明される少し前の時代。その小国――都市国家と言っていいほど小さなその国は、砂漠の中にありました。
長年続いていた民族間の紛争に疲弊した少数の有志が、無人となっていた廃都市に集まってどちらにも属さぬ新しい共同体をつくり、戦場でただただ犠牲になるばかりだった子供たちを民族の分け隔てなく集めて匿い、育てる中で建ち上がった国でした。
弱い者が集まってできた小さな国ですから、自衛のためにとても閉鎖的になり、独特の観念を持っていました。その大きな特徴のひとつが、子供の頃から護身術――という名の、自身に最適化された攻撃手段――を身に付けさせる事です。そこには戦場で数多の犠牲を見てきた先人たちの、どうかこの子らに強くなってほしい、酷い暴力の餌食になってほしくない、という願いが込められていました。そしてそれは、国の必修教育として体系化されていきました。
しかし、長い年月が経ち、世代が変わるにつれ、人々はその教育の本質を見失いました。
人数が増えると教育者は子供たちに優劣をつけ、ふるいにかけたがりました。それが競争を煽り、より強い人材が育つ一方で、落ちこぼれもできました。
体格に恵まれなかった子でさえ厳しい指導を受け、鍛錬中に命を落とす事もありましたが、それは淘汰されるべき命であったと判断され、軽視されました。
また逆に、力に驕った子は護身の範囲を超えて周囲に暴力を振るう事があったため、他の子たちへの深刻な悪影響を懸念した大人たちは、正式に裁判にかけたのち、その子を死刑に処しました。その国で暴力の行使を認めているのは強者に対抗する時のみであり、自身と同等およびそれ以下の者に対して行使した場合は死罪と定めていたからです。それは、国民全員が殺人術に近しい技術を身に付けている国で、平和を保つためにつくられた法律でした。
しかし、その判決は衝撃的な事件として隣国へ漏れ伝わりました。そして多少曲解されたのでしょう、歪んだ法の下で悪人が統治し、少年少女兵を育て上げている野蛮な国であると見做されました。
隣国にとっては深刻な脅威となりますから、その小国に対して勉学中心の教育に見直すよう強く非難しました。その隣国は他国とも交流があり、倫理観は間違いなく自国の方が進んでいると自負していたからです。
しかしその小国にとってそれは、国防のための戦力の減衰を意味します。受け入れる事はできませんでした。
そうして両国の関係は険悪になりました。
隣国にも軍隊はありましたから、軍部が動き出すのではないか、いや水面下では既に動いているらしい、などと国内で囁かれ始めた矢先、その対立は突然、終焉を迎えます。
ある新月の夜。
その小国は一夜にして滅びました。
隣国による掃討作戦が行なわれたのです。
もともと小さな都市国家。直径およそ一・五キロメートル程度の土地でしたので、隣国の技術力を総動員すれば充分に作戦を完遂できる目算がありました。隣国は既に、銃も爆薬も飛行艇も所有していたからです。
その光景は凄まじいものだったそうです。
その小国は防衛のために都市全体を城壁のように囲っており、出入国を厳格に管理するために、出入口は正門、裏門、非常門の三箇所しかありませんでしたから、隣国は当時最新鋭の巨大飛行艇、その名も「雲鯨」で都市上空へやってきて、その鯨の腹から、躰一杯に爆薬を詰め込んだ百機を超える錻力の鳩が城壁内部に満遍なく滑空したかと思うと、一斉に爆発したのでした。
建物も人体も爆発で砕け散って都市は火の海と化し、何とか逃れようと出口から出てきた僅かな人々に対して、門の外で待ち構えていた部隊が一斉に射撃しました。隣国の部隊は最初から殲滅するつもりで、絶対に失敗の無いよう圧倒的戦力で臨み、実行したのでした。
あまりの容赦の無さに国内外から非難の声が上がったと言われています。
しかし隣国の総司令官は、一切の禍根を残さぬ合理的な作戦であったと、自国の正義を滔々と語りました。これは正義の鉄槌であったと。仮に判断が遅れ、奴らが先攻してきたらどうであったかと、小国で見つかったという隣国主要インフラの爆破計画書を公表してみせ、皆も黙するしかありませんでした。
しかし。
時間をかけて調査していくと、軍部はもともとその小国に対して悪感情を抱いており、爆破計画書なる物は捏造であった事が判りました。その小国はいわば過去の民族間の紛争から勝手に戦線を離れた脱走兵たちの集まりであり、軍規違反の罪人たちでした。世代は変わったにもかかわらず、その感情だけが長きにわたって受け継がれていたのです。個人の感情ではなく、国の感情として。……国の感情……なんと実体の無い空虚な言葉であることか!……っと、これは私の所感なので割愛して、その上その小国には湧水があり、そのおかげで鎖国状態であってものうのうと生き延びる事ができ、隣国にとっては大変気に入らない国に映っていました。つまり、その小国を潰す機会を常々狙っていたわけです。
では、隣国こそが悪であったか、というとどうやらそう言い切る事もできず、その小国が倫理観の遅れた野蛮な国民性であった事は間違いありませんでした。
命を落とすほどの苛烈な指導など虐待以外の何物でもありませんし、死刑に処された子についても調査が進むにつれ、実は家庭環境に問題があり、両親を早くに亡くしたために祖父母から小間使いのように扱われ続け、健全な精神に育つ事ができなかった可能性が示されました。ですが、その可能性に考えが至るような教養のある人間は、その小国には居ませんでした。
更には、実際に悪事を働く大人も居た事が判りました。
強く従順な子供を数多く育て上げた大人は、その影響力の強さから権力を得たように錯覚し、子供たちを巧みに使役して王政のような支配を企む奴が居たそうです。勿論、それを危険視する大人も居たため、大人たちの中にも派閥ができて抗争していましたし、なんと言っても極めつけは、隣国要人の暗殺が計画されていた事が発覚したのでした。軍部が公表した主要インフラ爆破計画書こそ捏造であったものの、それに近しい計画が存在したという事です。
実行日は夜目のきく、満月の二日前。月の満ち欠けのタイミングによっては、隣国にこそ深刻な被害が出ていたかもしれません。
そう考えると隣国の判断は、結果的には正しかったと言いたくなります。
上空の巨鯨が去り、朝日が差し込んだ城壁の内部は、大量の瓦礫と壊れた人体が地面を覆い尽くしていました。
そこにはいつしか黒い花が一面に咲き乱れ、手折ると赤い花液が流れたといいます……というのはさすがに後世の創作でしょうか。
――と、私は歴史が好きなので色々と調べたのだけれど、こんな事を冷静に話せるのは、私が隣国側の人間の子孫であり、勉学中心の教育を受けたから。
この歴史から私が学んだ事は、次の三つ。
一、どんなに崇高な思想の元に作られた規範も、固定化し年月が経つと腐敗する。
一、正義は、より大きな暴力を制御する者によってつくられる。
そして、
一、何処にでも善人と悪人は入り乱れ、世界は混沌としている。
……でも、少し思う事があるの。
今、この国に生きる私たちは肉体の力を最大限に発揮する訓練を受けておらず、いざという時にも自分の身を護れない。これは健全な事なのだろうか、と。
身の危険を感じた時は大声を出し、周りに助けを求めなさいと教えられた。しかしそれにどれほどの実用性があるのか。そんな非常時、緊迫した状況で、声帯が正常に動いてくれると、教育者たちはどれほど本気で思っているのだろう。しかも声が出たとして、自分の身の保護を赤の他人に頼らなければならない。自分ではない者の意志によって、私は助かるかもしれないし、見捨てられるかもしれない。これはこれで残酷ではないのか、と。
それを突き詰めて考えた結果、私が思ったのは、不運にもそんな場面に遭遇し、声が出なかった者は、淘汰されて然るべき命であるとこの国は考えているという事。
もっと捻くれた見方をすればこうなる。悪人は何処にでも必ず一定数発生する。という事は犠牲者も必ず発生する。犠牲になるのは自分ではない他人であってほしい。だから自分より弱い贄を予め用意しておく。言われた事を糞真面目に受け取る事しかできなかった愚鈍な者は、我らの代わりに犠牲になってくれ、と……
ともあれ、こうして豊かな湧水と土地を手に入れた我々の祖先は、穢れた土壌を直接踏む事を気味悪く思い、自国の技術力を投入して地上およそ十メートルの高さに人工的に地面を建設し始めました。ちょうど荒城と化した小国の真上を覆う形で直径およそ一・五キロメートルの巨大な鉄骨の円盤を建設し、その円盤を何本もの太い鉄柱が支えました。そして湧水はポンプで汲み上げ、人々はその円盤の上に暮らし始めました。文字通り、先住民の屍の上に暮らし始めたわけです。
地上十メートルでの暮らしは砂害が緩和され、思いのほか快適である事がわかった人々は、最初に造った円盤を最西端として徐々に自国の在る東へ向かって新たな円盤を増築し、その数は計七基にまで及びました。大きさはまちまちで、最初の一号基を最小として、最大は直径およそ四キロメートル、高さも後で造られたものの方がより高く、最高はおよそ二十メートルにまでなりました。各円盤間は数珠繋ぎに鉄橋を渡して往来できるようにし、東側に行くにつれて円盤は大きく、配置もやや北へ向かって曲線を描き始めた事から、空中写真で見ればなんだか蠍の尾のようにも見えるのでした。
円盤の増築が軌道に乗り始めた頃、時折、集中豪雨が訪れるようになりました。人々は恵みの雨だと大喜びし、まさに願ったり叶ったりで、国は益々発展していきました……が、それは次第に止まぬ雨へと変わっていきます。
乾季より雨季の方が長くなり、水は引かずに年々嵩を増すばかりで、空中に建設したはずの円盤はいつしか蓮の葉のように、水上に顔を出すのみとなりました。横から見れば超弩級の洋上プラットフォームが七基、連なっているように見える事でしょう。
これが、私たちの生まれた国。
この国の歴史と国土のかたち。
そういえば、かの小国の建国者の一人は、雨にちなんだ名前だったという。
これは呪いの雨なのだろうか。
私は先に述べた通り、自国の教育に疑問を持ち始めていたので、小国建国時の思想に興味を抱いていた。
実は建国者の像が空爆の被害を逃れ、雨の海の底に沈んでいる写真を、図書館の資料で見た事がある。
いつかダイビングの資格を取って、実際に見に行ってみたいものだわ、と当時中学生だった私は暢気にもそんな事を思ったりもした。




