第八話 策に溺れた策士、新たな策を弄す(こりない
「……クラウディア様。紅茶に御座います」
ルディの去った部屋で綺麗な金髪を抱え込む様に頭を抑えるディアの目の前に、メイドのメアリが紅茶のカップを置く。そんなメアリに、ディアは虚ろな目を向ける。
「……クラウディア様、目に生気が御座いません」
「……生気もなくなります。メアリさんも見たでしょう? なんですか、あのルディの斜め上の解釈は! なんで!? なんであんな解釈になるんですかっ!! というかルディ、本当に私の事、何にも理解してくれてないですよねぇ!! なんでエドワード殿下の事、私は大好きになっているんですかぁ!?」
勢いがついてきたか、最後はほぼ絶叫に近い声を上げ、ディアは目の前の紅茶を一気に喉に流し込むと、ガンっと音を立てて紅茶のカップをテーブルにたたきつける。およそ、淑女のすることではない。そんなディアを冷静に見やり、メアリは紅茶のポットから再び紅茶を注ぐ。
「そもそも! 私、結構アピールしてましたよね! 結構頑張ってルディにアピールしてきましたよねっ!?」
「……は? アピール?」
ディアの言葉にメアリが首を傾げる。彼女が五歳の頃から見続けたメアリの脳内パソコンをフル起動するも、彼女のフォルダの中にはディアが『アピール』をしてきた事実はないからだ。
「アピールしてました! だってほら、ルディの事、ルディって呼んでますし! エドワード殿下の事はエディって呼んでません!! 男性は好きなのでしょう? 『自分だけが特別な名称で呼んで貰える』って! 本で読みましたよ!!」
ジトッとした目を向けるディア。そんなディアに、メアリは『はぁ』と小さくため息を漏らし。
「――現実とお話を混同してはいけません、クラウディア様」
「貴方が貸してくれたんじゃないですか、あの本! 貴方、言いましたよね!? 『少しでも参考になれば』と!!」
「参考になれば、と申しただけです。何もそのまま使ってください、とは言っておりませんし……」
もう一度、深い『はぁ』。
「……参考にするところ、もう少しなかったですか? 例えば終盤の『アレ』とか」
メアリの言葉に、ディアの顔が『ボフ』っと音がしそうな勢いで瞬時に真っ赤に染まった。その姿を見て、更にもう一発、ため息。
「……なにカマトトぶってるんですか、クラウディア様」
「か、かま――で、ではなく!! あ、あんなこと、出来る訳無いでしょう!? あ、ああいう事は、その……ほ、本当に愛し合ってからで!! っていうか、なんていうもの見せてるんですか、貴方!!」
「それではお返し頂けますか? というかあれ、十年くらい貸してません? 借りパクですか?」
「まだ七年しか借りてません! そ、それに返さないとは言ってないです!! 永久に借りているだけです!!」
「人、それをパクったと言います」
「パクったって!! っていうか貴方! 貴方もスワロフ男爵家の令嬢でしょう!? パクったなんて言葉使わないでください!!」
「男爵令嬢と言っても貧乏男爵ですし、私は三女ですので。それよりも……なぜその様な顔になられるんですか? エドワード殿下との間の御子、どうなさるおつもりなんですか? 照れてる場合じゃないですよ? まさかクラウディア様、コウノトリが赤ちゃん運んでくるとか思ってます? キャベツ畑に放置プレイとかありませんよ?」
「そんな事は分かってます。エドワード殿下に嫁いだ場合、『そういう』行為が必要なのも分かっています。分かっていますが」
スンとした表情になり。
「それは、作業でしょう? 社交界に参加するのと同じように、友好国に愛想笑いを浮かべるのと同じように、忠誠を誓う騎士の肩を剣で叩くのと同じように、夫人たちをお茶会に招いてパワーバランスを調整するのと同じように――国家の安寧の為の義務の一つじゃないかしら?」
いっそ、清々しいまでの表情でそう言い切るディア。そんなディアにメアリは『ふむ』と頷き。
「それではルディ様――ルドルフ殿下とは?」
『ボフ』、再び。否、頭なでなで含めたら三度か。
「そ、それは……あ、愛し合う二人の……そ、その……し、しんちぇいな!」
「可愛らしく噛みましたね。そして私は今、王妃教育の限界を知りました」
「だ、だってぇ! そ、その……小さいころから……だ、大好きな人ですし……」
右手と左手の人差し指をツンツンしながら上目遣いでメアリを見上げるディア。そんなディアの仕草に、メアリの口からこの日何度目かのため息が漏れた。そんなメアリの姿に少しだけカチンと来ながらも、ディアは努めて笑顔を浮かべて見せる。
「……良いんですか、メアリさん? その様な事を私に言っても」
「……どういう意味でしょうか? まさかクラウディア様? 私を罷免にする、とでも?」
ディアの笑顔に、メアリも厳しい視線を向ける。およそ、公爵家――この国で随一の公爵家の令嬢に向けて良い視線ではない。
「……メアリさんは私達より五つ上、ですよね?」
「……それが?」
「既に二十歳。そろそろ、結婚適齢期では?」
「既に二十歳です。結婚適齢期など……とうに過ぎた売れ残りですから」
二十歳が売れ残り、とはならない。ならないがしかし、学園を卒業した十八歳から十九歳程度で嫁ぐことが多いラージナル王国の貴族としては少しばかり遅いと言えば遅い。そんなメアリに。
「そうですね。では……私が、結婚相手をご紹介致しましょうか?」
何処からともなく取り出した扇子で口元を隠して微笑むディア。そんなディアに、メアリは親の仇を見る様な視線で射貫く。
「……バカにされておりますか、クラウディア様?」
メアリが王城に出仕したのは十二歳の頃。男爵、と言っても名前だけ、猫の額くらいしかない領地しか持たない貧乏男爵家の三女だ。
「……王城で出仕となれば箔が付きます。子爵や、男爵でも有力な男爵家、中には伯爵家のご令嬢もいました」
「ええ、存じ上げてます。失礼を承知で言えば――メアリさんのご実家程度の爵位と実力で、ルディ付きの侍女になったのはメアリさんが優秀だったことも……ルディを慕っていることも」
「ルディ様は私達下々のものにも優しく接してくださいました。お茶を入れる、衣服の用意をする、部屋の掃除をする――そんな当たり前の事にも『ありがとう』の言葉と、あの陽だまりの様な笑顔を浮かべて下さいました」
いじめ、という程でもない程度の嫌がらせはされてきた。当時はルディが王太子筆頭だったこともありやっかみを受けた事もある。それでもルディはそんなメアリを陰に日向に庇ってくれた。思慕の情も沸く。
「私はルディ様に恩義を感じております。ですので……クラウディア様?」
すっと背筋を伸ばして。
「お断りします。この身はルディ様に捧げた身、侍女を辞める様にクラウディア様に言われる筋合いは御座いませんし……どんな提案をされようが、私がルディ様の侍女の任を離れる事は有り得ません。例え――それがどの様な縁談でも」
それは、侍女たる矜持。仕えるべき主に、生涯を捧げると決めた、高貴な表情にディアは口元の扇子を降ろし。
「――ルディのお嫁さん、なりません? 正室は譲れないですけど……側室で良ければ」
「え、なにそれ、詳しく」
侍女の矜持は、一瞬で吹き飛んだ。