第二十話 彼女が望むもの
両腕を組み右手で左腕をトントンと叩くディア。その姿に、ルディは見覚えがあった。
(これ、滅茶苦茶怒ってるときのやつーーー!)
普段はいつもにこやかな笑みを浮かべているディアが珍しく――ルディの前では珍しいのだ――珍しく怒っている時の仕草である。ルディ自身もこの『怒ってるモード』のディアを見るのは二年振りくらいである。そんな珍しいディアの様子に『ど、どうしたの』と声を掛けようと口を開きかけ。
「…………あ」
ルディ、気付く。自身の隣にはクレアがおり、そのクレアと楽しそうに談笑している自身の姿に。クレアとディアはエディを取り合う、いわばライバル関係なのだ。ディアには昨日、『ざまぁしてみよう!』とか言ってたのに、そのルディがライバルのクレアと談笑していたらどう思うか?
「……ディア、そ、その……」
……まあ、当然ルディの誤解である。ディア的にはエディが誰と結婚しようが関係ないし、むしろクレアにのしをつけて渡したい、なんなら最上級のカテーシーで感謝感激雨あられの感じなのである。
「……クレア・レークスさん、でしたか?」
「ひ、ひぅ!? ご、ご機嫌麗しゅう、く、クラウディア様!?」
ゆっくりと視線をクレアに向けるディア。その姿は、まるでカエルを狙うヘビの視線。田舎で、父母の愛、屋敷の使用人の愛、そして領民の愛を一身に受けて来た純粋培養のお嬢様であるクレアが気を失わなかったのは奇跡に近い、まるで視線だけで人を射殺しそうな冷たい視線。
「……同じクラスですのね。これから……どうぞ『仲良く』してくださいね?」
「ひぅ!」
冷たい視線のまま、頬だけを上げる笑みを浮かべるディア。その視線と声音は『仲良く』って言葉とは程遠い。
「あら? 私と『仲良く』するのはイヤかしら?」
「そ、そんな事はありません!? そ、その……な、仲良くしてくださったら……」
腐ってもディアは貴族令嬢である。クラス中を一気に凍り付かせた空気を一瞬で消し去るかの如く、にっこりと微笑むディア。
「それで……一つ確認なのですが、クレアさん? 貴方は、今、ルディとどんな話をしていましたか?」
「……ううう……わ、私がなにしたんですか……もう、なんかお腹痛いし……帰りたい。本当に実家に帰りたい……」
「クレアさん?」
「……これはアレですか? 私が信奉する――は、はい? あ、す、すみません! え、えっと……」
「ルディとどんなお話を?」
「えっと……『ルディ』様とは」
「――――――あん? 『ルディ』様?」
絶対零度、再び。クレア、いけない。それは悪手である。別にクレアのせいでは無いが。一瞬で被った猫を取っ払ったディアは本性である猛虎の表情でクレアを睨みつける。
「ひぅ! そ、その……る、ルドルフ殿下です! ルドルフ殿下とは、その! さ、昨日少しご一緒さして頂きまして! そ、その際にこう……入学式のお話を……」
なんとも言い辛そうなクレア。まあ、そりゃそうである。『あんたの婚約者が公衆の面前でアホみたいな事したせいで、すげえ迷惑被ってます』とは正常な神経では言い辛い。
「……ああ、なるほど。そう言う事ですか」
冷や汗流しっぱなしのクレアの言葉に、ディアの表情に笑顔が戻る。その急な表情の変化に、冷や汗を流しながらクレアがはてな顔を浮かべる。
「く、クラウディア様?」
「いえ……クレアさん。エドワード殿下がご迷惑をお掛けしました。入学式の件ではクレアさんも困ったでしょう?」
「え、ええっと……」
『はい、滅茶苦茶困っています。マジで勘弁してください』とは言えない。田舎令嬢のクレアだってそれくらい分かる。
「ルディ? どうせ貴方がクレアさんの味方をしようと思ったのでしょう?」
「ええっと……分かる?」
「分かります。何年の付き合いだと思っているのですか」
ルディの鼻の頭をツンと触るディア。
「もう……本当に貴方は……お優しいのですから」
華が咲くような、という表現通りのすんばらしい微笑を浮かべるディア。慈しむような、愛しいものを愛でるようなそんな微笑に、クラスの誰かが『ほぅ』と感嘆の息を漏らした。
「ですが……ダメですよ、ルディ? 『嫁に来るか?』などと軽率に言っては。確かにそれで問題を単純化できるかもしれませんし、貴方がクレアさんと懇意だと分かればクレアさんの立場は多少は改善出来るでしょうが……」
『嫁に来るか』は私だけに言ってください、という言葉を精神力でぐっと喉奥に押し込み、ディアは言葉を続ける。
「……エドワード殿下の不用意な言動でこの様な事態になっている訳ですしね? 冗談でも言って良い事ではありませんよ、ルディ? 反省してください」
「……はい」
「はい、良い子です」
もう一度、にっこり。満足そうに頷いてディアは視線を再びクレアに向ける。
「クレアさん?」
「は、はい!」
「本当に、色々と申し訳ございませんでした。エドワード殿下に代わりお詫び申し上げます」
丁寧に頭を下げる。そんなクラウディアに、手をわちゃわちゃ振ってみせるクレア。
「あ、い、いえ! あ、頭を上げて下さい、クラウディア様!?」
「そう……でも、これだけは覚えていて下さい。貴方にはご迷惑をお掛けしました。何かありましたらこのクラウディア・メルウェーズ、貴方に助力致しますので遠慮なく仰って下さいね? だって」
――――私、貴方とは『仲良く』したいのですから、と。
「それはもう……本当に、貴方と仲良くしたいのですよ」
ディア、本音である。もう、エディを貰ってくれてありがとう! な勢いなのである。貴方のお蔭で私の夢はかないます! なのである。なにか欲しいものがあればなんでも言ってください、なのである。
「だってあなたは……ふふふ。これはもう少し『仲良く』なってからにしましょうか?」
それではまた休み時間にでも、とふわさと髪をかき上げ、ディアは背を向けて自身の席に向かう。その背中を見つめながら、クレアがぽつりと。
「……ルディ様」
「なに?」
一息。
「…………『仲良く』というのは何かの隠語なのでしょうか? こう……『お前、放課後裏庭な?』みたいな……?」
「……そんな隠語、聞いたこと無いよ。『可愛がり』じゃないんだから」
クレアには欲しいものなんでもあげます! 状態なディアであるが、唯一彼女が望む『平穏』だけは上げれそうにないのであった。