第二百一話 文化への冒涜
アインツの心の叫びにエカテリーナがずっこけてた時、エルマーとクレアは既に肝試しの舞台である、少しだけ小高い丘になっている森に出発していた。別名、『王家の森』である。
「……どうだ、クレア嬢? 怖くは無いか? 怖かったら直ぐに言いたまえ」
真っ暗な夜道の中でクレアを先導する様、エルマーが少しだけ前に出て周囲を警戒するように視線を左右に向ける。そんなエルマーの、『守ってやる!』という気持ちが前面に出た姿に、クレアも『きゅん』となって。
「……そーですね。怖かったら言います。怖かったら」
きゅんとなんて、ならない。まあ、エルマーには既に決まった相手――というか、完全に肉食獣に狙われた獲物状態ではあるが、ともかくユリアが居る以上、横恋慕はコリゴリであるし。
「……その、エルマー先輩? 私、先に歩きましょうか? っていうかエルマー先輩って夜目とか聞く方なんです? なんか歩き方がぎこちないって言うか……」
完全にへっぴり腰で、手探りするように前方に手を伸ばしてわさわさしながら進むエルマーの姿に、『守ってくれる!』みたいな安心感はない。こんなエルマーにきゅんとするのは――まあ、ユリアくらいである。燃費が良いのだ、ユリアは。
「……私は普段、研究や発明ばかりだからな。そもそもアウトドア的な事はあまり得意では無いし……今、言った通り、研究や発明ばかりだ。図面も引くし、論文も書く。細かい字も書くし読むんだ」
「……ええっと? 結論は?」
「……そんなに視力は良くない。正直、この暗さではちょっと前も見えない」
「……ヤバい状態じゃないですか、それ」
「まさに一寸先は闇、状態だな」
「なに巧い事言ってるんですか」
はぁっと大きなため息を吐いて、エルマーの前に一歩出て前方をまさぐっていたエルマーの手をそっと握るクレア。
「く、クレア嬢!?」
そんなクレアの態度に、慌てた様にエルマーが叫ぶ。否、慌てた様に、ではない。実際、慌てたのだ。
「そんなに驚かないでくださいよ。手を繋いだだけじゃ――」
「――早く離すんだ!! こんな所、ユリア嬢に見つかったら不味い!! 俺も君も、明日の朝日を拝めないぞ!?」
「――はーい。クレア、離しまーす」
エルマーの言葉に、クレアも素早く手を離す。そうだ、忘れてはいけない。この男、あの超肉食獣の獲物なんだから。
「……危なかったな、クレア嬢。良いか? このことは絶対にユリア嬢には秘密だ。お互い、墓の中までもっていくぞ?」
「……手を繋いだだけなのに、まさか墓の中までもっていく秘密になるとは……」
自身の右手を胡乱な目で見てそう呟くクレア。そんなクレアにため息を吐きつつ、それでもエルマーは苦言を呈す。
「……というか、そもそもだな、クレア嬢? そんなに簡単に男の手を握ってはダメだぞ? 勘違いをされるかも知れないし……その、なんだ、あまり良いものでは無い。未婚の淑女が婚約者でも家族でもない男性の手を自ら握るなんて、人によっては『はしたない』と捕らわれてもおかしくない。なるだけ、止めた方が良い」
「……今のは握ったというか、あんまりにふらふら歩くエルマー先輩の緊急避難的な感じではあったんですけど……はーい」
クレアも一応は男爵令嬢であり、女性側からのスキンシップが『はしたない』という認識自体はある。あるがこれは、アレだ。子供とか老人とかがよろよろ歩いていると、つい手を貸してしまう……まあ、介護の領域なのだ、クレア的に。
「まあ……その点に関しては申し訳ないとは思っている。確かに夜目が利く方ではないし、前があまり見えて無いのは事実だが……というか、クレア嬢は見えているのか? こんなに暗いのに」
エルマーの言葉に曖昧に頷いて見せるクレア。
「んー……まあ、見えているのも見えているんですけど……なんとなく、雰囲気で分かるところもあるんですよね。ほら、森って森ごとに表情違いますけど、似通った所あるじゃないですか? 生えている木とかも一緒の木ですし、生え方の癖というか……そういうの」
「……すまない。全く理解が出来ない」
ド田舎出身のクレアの言葉は、シティーボーイで鳴らしたエルマーには届かない。育って来た環境が違い過ぎて参考にならないの代表例みたいなものだ。
「そうですか? まあ、ともかくある程度の『勘』みたいなものがあるって事です。ああ、きっとエルマー先輩よりは見えているのでその点も安心して貰って良いですよ?」
ドン、と胸を叩くクレア。そんなクレアに、エルマーが絶妙に情けない顔をして見せる。
「……そうか。なんだかその……すまないな」
「なにがですか?」
「こう……肝試しだろう? 少しばかりは、男が守るというか……もう少し、頼りがいがあった方が良いかと思ったのだが……」
「あー……」
エルマーの言葉に、クレアは苦笑を浮かべて見せた。まあ、クレアとてガラパゴった文化圏で生きて来た人間、普通以上にラージナル文化を嗜んでいる。肝試しで怯える女の子を守るのは王道中の王道だ。
「まあ、エルマー先輩の言っている意味も分からないんでは無いんですけど……でもね、エルマー先輩? エルマー先輩ですよ?」
「……研究ばっかりのもやしっ子には無理という事か?」
「いや、そうではなくて」
一息。
「――ユリア先輩の『あれ』を目にして、エルマー先輩に『男』を感じるのは……ちょっと」
ド正論が出て来た。
「あ! そうだ! 手を繋ぐのが無理なら、私の服の端でも摘まんでおきます? それならユリア先輩も怒らないんじゃないですか?」
「……普通、逆だろう、それ。なんか男としての尊厳が無くなる気がするので、流石に遠慮する」
ラージナル文化への冒涜とも呼べるその行為は、流石に前が見えないエルマーも遠慮したい。




