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第百十七話 崖っぷちのエルマーと、新しい発明


 コンコンコン、と室内に響くノック音。その後に、少しだけ訝し気な表情を浮かべながら見るとは無しに時計を見て、『もうそんな時間か』と思い直したフィリップ・アインヒガー技術院総裁は『入れ』とドアの向こうに声を掛ける。やがて、入って来た目当ての人物に鋭い視線を投げかけて。


「…………どうした、エルマー? 具合でも悪いのか?」


 なんか数日前に見かけた息子――エルマー・アインヒガーのげっそりと青白い表情に首を傾げた。そんなフィリップの言葉に、エルマーは力なく笑って。



「……ユリア嬢に拉致されました」



「……ら、拉致だと?」


 バーデン子爵家令嬢、ユリア・バーデンがエルマーに『お熱』な事はフィリップも知っている。人の事は言えないが、顔はそこそこ整ってはいるもこの超絶コミュ障な息子の何処にそれだけ惚れ込む要素があるのか不明だとは思いながらも、フィリップは暖かく見守っていたのだ。それが『拉致』なんて言葉が出てきたら話も変わってくる。


「……どういうことだ? なぜ、『拉致』などという不穏当な言葉が飛び出す? ユリア嬢はお前に好意を持っていたのではないか?」


 フィリップの言葉に、エルマーが少しだけ驚いた顔を浮かべる。


「……父上も気付いておられたのですか?」


「……育て方を間違えたか」


 エルマーの言葉に明後日の方向に返事を返すフィリップ。だがまあ、フィリップの気持ちも分からんではない。あそこまで自身に真っ直ぐな好意を見せられながらも、気付いてない息子の感受性の低さに少しだけ教育方針の転換を考えるフィリップ。そんなフィリップの心、エルマー知らず。エルマーは気まずそうに口を開いた。


「……実は……父上の仰る通り、ユリア嬢は私の事を……その、好いていてくれている様で……その、そのまま……連れ去られたと言いましょうか……」


 その『気まずさ』を照れ隠しと取ったか、フィリップは少しだけ口元を緩める。まあ、『拉致』なんて不穏当な言葉が出てきたが……普通に考えて貴族令息と令嬢の間で、そんなヤベー事態にはそうそうならない。


「まあお前は研究だ、発明だとユリア嬢を気にかけている様子は無かったが……それでも、ユリア嬢がお前を見る目には好意が宿っていたのは知っていた。お前は全然気付かなかったようだがな?」


「……お恥ずかしながら」


 むしろ、なんで気付かないの? とはフィリップも言わない。自身の教育方針の否定にもなるし……なにより、この朴念仁にはいい薬だと思ったからだ。


「それで? 痺れを切らしたユリア嬢に『拉致』――デートにでも連れて行かれたのか?」


 少しだけ揶揄う様にそう言って見せるフィリップ。そんなフィリップに、エルマーは乾いた笑顔を浮かべて。




「――バーデン家に、軟禁されました」




「…………は?」


「……父上も家には帰っていないのですよね? 私も二日間、ユリア嬢の家に軟禁されて帰れませんでした」


「……」


「『エルマー様? エルマー様はユリアの事、好きですよね? 好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね好きですよね』と、何度も何度も耳元で囁かれて……バーデン家の皆も、私の事を歓迎してくれて、料理も豪勢だったのですが……こう、なんて云うのでしょう? 『此処までしたんだから、ウチのお嬢様を選ぶよね?』と言わんばかりの有形無形の……『圧』が」


「……」


「……父上とのお約束があって、本当に良かったです。もし、この約束が無ければ私は今もバーデン家に……ユリア嬢も、『まあ……オトウサマとの約束なら仕方ないし~』と言っていましたし」


 ぶるっと体を震わせるエルマー。そんなエルマーに、思いっきり同情の籠った視線を向けるフィリップ。


「それは……大変だったな?」


「……はい。本当に……大変でした」


 完全に疲れ切った表情でため息を吐くエルマーに、フィリップは頬をひくっと引き攣らせる。なんかもう、本当に息子が可哀想で。



「…………あれ?」



『オトウサマ』って『お義父様』じゃないのか、という戦慄の事実に気付いたフィリップは先ほどよりも頬を引き攣らせて。


「……まあ、仲が良い事は良い事だ」


 考えない様にした。今考えても仕方ないし……なにより、今考えたら寝込みそうだ。愛が深いのもそうだが、なんせあの『バーデン家』なのである。技術肌、一応貴族としてある程度の『伏魔殿教育』はあるフィリップではあるが、バーデン家に掛かれば赤子の手を捻る様なものである。


「……なんか投げやりじゃないですか、父上?」


「……お前もその内分かる。我が家は貴族ではあるも、正直、『貴族業』が壊滅的に向いていない。流れに身を任せ、政治信条など一切持たず、ただ技術だけを追い求める方が向いているのだ。良いか、エルマー? 下手な下心は出すなよ?」


 それはアインヒガー家の処世術だ。所謂『貴族』としての宮廷政治には参加せず、ただただ技術だけを求める。そもそもが外様の諸侯貴族のアインヒガー家だから取れる方法とも言えるし、全く政治信条を持たない『技術者』の家系だからこそ、アインヒガー家が国家の要職である技術院の総裁に就任出来たとも言える。


「餅は餅屋だ。我が家に政治的な素養はない。我らにあるのは」



 技術のみ、と。



「話が逸れたな。今日お前を呼んだのは他でもない。聞いたぞ、エルマー? お前」



 何か、新発明をしているらしいな? と。




「――説明しろ。場合によっては、その発明を国家の『事業』として行うから」




 


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