第九十九話 乙女的に初恋話は身内には出来ない。特にパパには
アルベルトの言葉にポカンとした表情を浮かべ、ナイフとフォークを取り落としたディア。呆けた顔をしていたのも数瞬、勢いよく――およそ、淑女として相応しくない――椅子を蹴倒して立ち上がると、鼻息荒くアルベルトに詰め寄った。
「お、お父様!? 何を仰っているのですか!? る、ルディとのけっこ――ではなく! 私は王家に嫁ぐ宿命だったのですよ!? その為に、王妃教育だってこなしてきました!! そ、それなのに……や、やめる? え? やめるのですか? 私がルディにとつ――ではなく! 王家に嫁入りをするのを!?」
「ああ、そうだ。こちらはある程度、礼を尽くして来たんだぞ? それなのに、こちらの顔を潰したのはあちらの方だ。それなのに、なぜこちらがこれ以上礼を尽くす必要があるのだ? 無いだろう?」
「そ、それは……」
貴族はメンツ商売である。誇りで腹は膨れないというが、その誇りが血肉になって生きるのが、『貴族』という職業なのである。
「それに、な? 私は思ったのだ」
コップに入った水に一口、口を付けてからアルベルトは話を始めた。
「私は今まで、『メルウェーズ家当主』として生きて来た。王国最大の諸侯貴族として、そして……まあ、憚りながら国家の重鎮としての意識をどこかで持って生きて来たつもりだ。その為には……『アルベルト』としての生き方を捨ててでも、国家の為に尽くす必要があると……そう思っていたのだ」
滔々と、それでも少しの後悔を胸に秘めてそう語るアルベルト。アルベルトの自省の言葉は、聴く人が聴けばきっと、その心の中に何かを想起させるものである。ものであるのだが。
「お、お父様!? そんな話は今は重要ではなく!! ルディとの結婚です!!」
まあ、ディアにとっては知ったこっちゃないのである。これは別にディアが冷たい娘、という訳ではない。言ってみれば貴族なんて究極の個人事業主、それも最大貴族のメルウェーズ家なのだ。『仕事』と『家庭』は切っても切れない関係にある以上、アルベルトがどちらに比重を置くかなんて、ディアにも分かり切っている事である。だから、別にそんな事はどうでも良くて。
「……ルドルフ殿下とも無理に結婚する必要はない。ディア、もうお前は……自由だ。今までお前には不自由な思いも……それ以上に辛い思いもさせて来たしな? これからはお前が幸せになるためにこのアルベルト、使えるものはなんでも使うつもりだ」
そう言って、にっこりと微笑むアルベルトにディアは思う。
――何言ってんだ、このおっさん、と。
自由ならルディと結婚させてくれ、と。その為に、ちょっとお父様の権力とか権勢とか裏のお力とか、使えるものは何でも使ってくれ、と。
「お、お父様!! し、しかしそれでは国家の安寧に疑義が生じませんか!? こう、私の結婚は私の意思だけが大事なワケじゃないじゃないですか!? そ、その……ほ、ほら! 私の結婚はですね? こう、国家にとって大事な筈です! ち、ちがいますか!?」
「……お前は本当に優しい子だな、ディア」
ふっと目元を緩めて、呟くようにそういうとアルベルトはきりっと目元を鋭くして。
「――だが、そこまでお前が背負う必要はないんだ、ディア。私も……今回の件で反省したんだ」
いや、反省とかいいから。と、いうか、別に背負ってるとか言うつもりはないから。ともかく貴方の仕事は、私とルディをくっつける事ですから、と、ディアは思う。
「お、お父様……ですが、その様にお気を使って頂かなくても構わないです。わ、私は、国家の為に尽くす覚悟で王妃教育にも取り組んでいました。で、ですのでルディに、こう、国王陛下になって頂いてですね? 私はその王妃に――」
「……ディア。もう、何も言うな。分かっている。お前の献身、嬉しく思う」
此処が自室ならきっと、ディアは頭を抱えて『うわぁぁぁぁぁーーーーー!』と叫んでいただろう。このアルベルトの変わりように、ディアももうどうしたらいいか分からない。
「……」
いや、実際は分かっている。ディアのすることは一つだ。
「……お父様」
――私はルディを慕っています、と。
その一言で、きっとアルベルトは動き出すだろう。他ならぬルディの望み、万難を排してでも、きっとアルベルトはルディとディアの結婚を強力に推進するだろう。
「……」
「……どうした、ディア? 急に口籠って?」
「……いえ、なんでも」
でも、言えるか、という物なのだ。だって、考えてみても欲しい。今まで散々、エディの婚約者として振舞って来たのだ。それなのに、『いえ、実は昔からルディの方が好きだったんっすよ、はっはっは。ちなみに、押し倒すよりも押し倒されたい方、最初は殿方にリードして貰いたいです!!』なんて、どの面下げて親に言えというのか。まあ、押し倒す云々はともかく、流石に今までの付き合いを『ぺいっ』と放り投げて、というのもあるし、なんか『親の権力で無理矢理婚約』って言うのもイヤなんだ、ディアは。愛するよりも、愛されたい、素敵なティーンエイジャーなのである。そして、なにより。
「……は、恥ずかしすぎます」
実の父に向って、『昔から、ルディの事が大好きだったんです!!』は流石に恥ずかしいが過ぎるのだ。乙女なのだ、ディアは。