第九話 聖夜の予感
江莉を残し、聖夜たちは客席に移動した。
一列前には招待客と思しき人たちが座っている。いわゆる特等席だ。ほかの人に悪いからと、断ったものの、自由席はほぼ満席だからという理由で、聖夜たちは招待客用のブロックに座ることになった。
「なになに……全国大会で何度も入賞経験がある。規則でプロは所属できないが、卒業後、多くの女優を輩出している……ですって」
加織がプログラムの解説を読み上げた。中にはプロの女優たちのインタビューも掲載されている。みんな卒業生らしい。
「もしかしたら、ここに誰か来ているかもしれないぜ」
祐司が手のひらを前の列に向けた途端、加織は興奮しながら招待客の顔を確認し始めた。
「あっ、見て聖夜くん。前の席の中央にいる人、この前映画のヒロインをしていたよね。彼女もうちの学園出身だったなんて知らなかったな」
芸能界に疎い聖夜は、興奮する加織に形だけ合わせて頷く。
「高木さんもプロの劇団から誘いが来ているんでしょ。今日の舞台に立てないなんて、本当に悔しいでしょうね」
連絡が取れなくなっていることは、外部には伏せられている。代役が舞台に立つのは、表向きには急病と発表したそうだ。加織もそれを考慮して会話をしている。
だが聖夜には、そんな加織の言葉は届かない。
観客席に移動してから、閉め出したはずの胸騒ぎが蘇っている。
それだけではない。邪気が全身にまとわりつき、振りはらうことすらできない。
(胸騒ぎなんて軽いものじゃない。なんだ? この全身の気だるさは)
前途洋々の女子高生が失踪する理由などあるはずもない。自らの意志で姿を消したのでなければ、事件に巻き込まれたのだろうか。
(まさか――?)
心に浮かぶ可能性を聖夜は否定する。
今の不快感は、ヴァンパイアと対峙したときに感じた妖気とは、似て非なるものだ。第一、今日この日まで、そんな気配すら感じたことがない。穏やかな日々を重ね、聖夜の気持ちは故郷に向かっている。
だからこそ聖夜は、ヴァンパイアの可能性に疑問を抱いていた。
「聖夜くん、どうしたの? 具合が悪そうだけど」
加織が心配そうに聖夜の顔を覗き込む。
「ありがとう。心配するほどじゃないよ。いつもと生活のリズムが違うから、調子が狂ったのかもしれないね」
そのときだ。不意に照明が落ち、開演を示すアナウンスが入った。加織はそれを聞き座り直す。祐司や澪は聖夜の不調に気づくこともなく、舞台を見つめていた。
幕が開いた。加織たちが芝居に引き込まれている気配が感じられる。そんな中、聖夜ひとりが、舞台を遠い世界の出来事のように感じていた。
(身体がだるい……)
邪悪なものを敏感に察知する能力は、覚醒とともに聖夜の身についた。だが今はまだそれをうまく処理できない。ときとしてストレートに受けとってしまう。
通り魔のときは犯人が見えていたから、適切に対処できた。相手が凶悪だといっても所詮は人間の持つ邪気だ。ヴァンパイアとの戦いとは比べものにならなかった。
そして今感じるのは、そのときと似てはいるが別物だ。相手がどういった存在か、知識のない聖夜には想像すらできない。そして発散させることも。
厄介な能力だと思わずにはいられなかった。
芝居は中盤にさしかかっていた。女子校だけあって出演者は全員が女子だ。それが宝塚を連想させるのだろう。花束を膝の上に置き、ステージに熱い視線を送っている人たちもいる。
主役の少女の動きは、代役とは思えない演技力を発揮していた。ささいな仕草でも観客の目をひきつける。ステージの隅におかれたクローゼットに手をかけたときも、視線は少女に集中していた。
相手役とテンポのいい会話が交わされている。どこか噛み合ないふたりの会話に、観客は一斉に笑う。見事な演出だ。
軽快な音楽に合わせ、少女がクローゼットの扉を開けた。
中からマネキンが出てきて、不自然な形で少女におおいかぶさる。それまで軽快に進んだセリフが、中途半端に止まった。
相手役は一瞬いぶかしげな表情を見せたが、その場を取り繕うようにアドリブを交えながら、主役の少女に近寄った。
そのときだ。主役が重みに耐えかねたように舞台にしりもちをついた。
役者のセリフが止まる。明るい音楽だけが行き場をなくしたように流れつづける。観客は演出の意図が読み切れず、客席の一部から囁くような会話が始まった。
「う、うそでしょ。まさか、そんな……」
相手役の悲鳴が、講堂を切り裂く。
聖夜はいち早く、少女のパニックが演出でないことに気づいた。
(あれは人形なんかじゃない)
大道具の中から出てきたのは、女性の遺体だ。一目で解ったのも、聖夜に備わった能力のひとつかもしれない。だが今は考えている時間ではない。
観客席をヒステリー症状が伝播する。呆然とするもの、非常口に向かって駆け出すもの。金縛りにあったように身動きできないもの。悲鳴を上げるもの。死というものに触れたことのない少女たちも多いはずだ。それもこのような形で出会うなど、一生のうちで体験するものはほとんどいない。落ち着いて行動しろという方が、無理な注文だ。
加織は背もたれにしがみつくような格好で震えている。祐司も舞台に背を向け、澪を抱きしめることで視線を遮る。
だが聖夜はじっとしていられなかった。気力を振り絞り、全身に絡みつく邪気をはねのける。
数名の屈強な教師たちにまじって、聖夜は真っ先に舞台にかけあがった。遺体を押しのけ、少女を抱き起こす。少女は歯の根もあわぬほど震えながら、聖夜にしがみついた。
「大丈夫だよ。もう、大丈夫だから」
かけつけた教師に彼女を任せると、聖夜は遺体を見た。
(邪気の正体は、これだったのか)
鋭利な刃物で何か所も傷つけられた遺体は、果たして何物の仕業か。
(サイコパスの犯罪か、それとも……)
認めたくない可能性を考えようとしていたときだ。
「……まさか……高木さん?」
聖夜は背後に震える声を聞いた。いつのまに舞台の袖から出てきたのか、江莉が青ざめた顔で遺体を見下ろしていた。
ぶつぶつと何かをつぶやきながら、力なく立ち尽くしている。江莉の視線は遺体に釘付けになっていた。生徒会長と演出家という両方の立場からくる責任感に動かされ、駆けつけたのか。だがいくら気丈でも、年端もいかない少女に相応しい場所ではない。聖夜は江莉の背中に手を回し、現場から遠ざけることにした。
「あとは先生たちにまかせ……」
聖夜の言葉が終るまえに、江莉の足元が崩れた。まるで糸の切れたマリオネットのように、誰かの手から離されたようだった。
倒れおちる寸前、聖夜の腕が江莉を受けとめた。
☆ ☆ ☆
観衆があげる悲鳴は、魔物の求めるものだ。恐怖と絶望に彩られた声は、何度聞いても心地よい。
だがまだ手ぬるい。人々に更なる恐怖を味わわせてやらねば気がすまぬ。
わたしを受け入れず、虐げ、蔑んだ者たちよ。
おまえたちの望みどおり、わたしは魔物となった。今度は、わたしがおまえたちに真の恐怖をあたえてやる。
昨日まで愛したものが、今日は牙をむく。魔性に変化し、大切な人の喉笛を切り裂き、犠牲者の命を糧とする。
だれも信用できない世界。信頼は裏切りにかわる。昨日まで慕ってくれた人物を、簡単に切り捨てられるのか?
魔性に変化した大切な人が、牙をかくして命乞いをしたとき、おまえたちはとどめを刺すことができるか?
恐怖と哀しみが支配する世界で、わたしが受けた苦痛を少しでも知るがいい。
観衆の悲鳴を見届けると、魔物は闇に姿を消した。
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