第四話 聖夜の迷い
声をかけつつレジ前に立ったのは、同じかのこ荘に住んでいる仁科祐司という大学生だ。肩にギターケースを背負っている。まだ一回生だが、同好会に入った同期を集め、すぐにバンドを組んだ。
「やだあ。加織嬢、なんて呼ばれたら照れるじゃない」
顔を赤らめた加織は、それを悟られまいと思ったのか、慌てて両手で頬を包んだ。返事代わりに爽やかな笑顔を浮かべて、祐司は冷凍食品をカゴに入れてカウンターにおく。
「祐司たち、今日はバンドの練習日だったんだね」
「さすがは聖夜。推理小説好きの読書家だけあって観察力はすごいな。と言っても推理力に関係なくだれでも一目で解るか」
と背負ったギターケースを親指で差しながら、祐司はレジに置いてあるチラシを覗き込んだ。
「祐司さんも一緒にどう? 聖夜くんったら小学生でも信じないようなウソをついて断るのよ」
「それはな、加織ちゃん。男ひとりで女子高の学園祭に行くのって案外ハードルが高いからなんだぜ。微妙に揺れる男心を察してやれよ」
「そうなの? 聖夜くん」
小首をかしげて加織はやや上目遣いに聖夜を見た。
「いや、そんなわけでは……」
「認めたくない気持ちも解る。特に聖夜みたいに女の子慣れしていないおぼっちゃまは、なかなか素直になれないんだよ。よし、ここは純情少年のためにおれが同伴しよう」
「祐司さんったら、どさくさに紛れて恩着せがましいことを言うのね。本当は聖夜くんを出汁にして、自分が行きたいだけなんでしょ」
と、横目で祐司を見る加織だが、期待は隠しきれないようで、やけにニコニコしている。
「チッチッ。こう見えてもこの祐司クンは、人気バンドのギタリストだぜ。すでに何名もの女子高生に誘われてんだよ。でもその特権を利用して、ファンの女の子と恋愛関係になるつもりはないんだ。いくら彼女たちに囲まれても、一線は守らないとさ」
祐司は自分たちの人気ぶりを強調する。聖夜はどうにもその言葉が信じられない。
苦笑しつつも精算して商品をわたすと祐司は、
「詳しい話は、明日の朝飯を食いながらしような」
と言い残し、バンド仲間と店を出た。
「あたしも早く帰って下ごしらえをしないと」
祐司のすぐあとに綾子も帰路につく。賑やかだった店内には加織と聖夜だけになった。
「さすが祐司さんたち。余裕のセリフね。人気者は違うわ」
腕組みして加織がつぶやく。
「まさか……祐司の言っていたことって、本当?」
聖夜が意外な表情を浮かべると、
「あら、聖夜くんって仲がいい割には何も知らないんだ。祐司さんたちのバンドね、うちの高校ではちょっとしたアイドルなのよ」
「じゃあ、女の子に囲まれているっていうのは?」
「囲まれている、とまではいかなくても、数人の追っかけはいるよ。あたしの昔の友達にもひとりいたけどね……」
加織は急に目を伏せ、うつむきかげんで答える。
(そうか……あの中のひとりが、祐司のファンだったんだ)
加織の過去に複雑な事情があるのは、本人からそれとなく聞いたことがある。その子を避けるには祐司と会わないのが近道だ。
それでも祐司とのつきあいが続いているのは、聖夜が親しくしているからだろう。忘れたいことを連想させる自分たちと過ごせるようになるまで、人知れぬ葛藤があったことは想像に難くない。
会話を止めた聖夜に気づき、加織は急に顔を近づけ、ニヤッと笑う。
「他人事みたいに言ってちゃダメだよ。聖夜くんだって、女子寮の中じゃポイント高いんだから」
「え? ぼくが?」
「うそ、気づいてなかったの?」
加織の声が一オクターブ上がった。聖夜は若干身を引きつつ、こくりとうなずく。
ラブレターを貰うわけでもないし、加織以外の少女から積極的にアプローチされることもない。それ以前に、メルアドやSNSのIDを教えてくれと申し込まれたことすらない。
生まれてこのかた、人一倍モテたことはなかった。
「やっぱりそうか。最近女子高生が夜にやたら買い物にくるのが不思議だったんだが。月島くんが目的だったとはなぁ」
掃除から戻った店長は、道具を片づけながら口をはさんだ。気づかない方が鈍感だといわんばかりの表情で、当惑する聖夜を見ている。
「もっとも聖夜くんの場合は、あたしがさっさと恋人宣言しちゃったからね。みんなあからさまにアプローチしないんだ」
「ちょっと。ぼくがいつ加織ちゃんの彼氏になったんだ? いやその前に、告白すらされていな……」
「そうだったかな。じゃあ今ここで告白しようかなぁ」
「ええっ」
「冗談よ。もう聖夜くんったら真に受けちゃって。もっともあたし、そんなところも嫌いじゃないな」
これでは年上の女性に翻弄される少年みたいだ、と聖夜は苦笑した。一方で、慕ってくれる人との出会いがこんなにも心を和ませてくれることを実感する。
(もしも許されるなら、ずっとここにいられるなら――)
誰も傷つけないで済むのなら、ひっそりと人混みの中で小さな夢を見ていたい。気のいい仲間たちに囲まれていると、期待が消えては生まれる繰り返しだ。
「それより早く帰らなくていいのかい? 門限をすぎているじゃないか」
「本当だっ。でも、聖夜くんと祐司さんが一緒に来てくれるなんて、楽しい学園祭になりそう」
おやすみなさい、と笑顔で手をふり、加織は店をあとにした。
聖夜は完全に加織と祐司のペースに巻き込まれた。
ことわるのがベストな選択だと解っている。でも人との絆を思い出してから、それが断ち切った過去と今を繋ぐような気がして、簡単に手放せなくなった。
(今の生活が心地よいのなら、なおさらぼくはここに住み続けてはいけない……)
加織の想いが本当ならば、中途半端な態度をとるべきではない。だが今のタイミングで聖夜が身を引けば、ふたたび殻に閉じこもってしまう心配もある。
「月島くん、手が空いたなら商品の補充を頼むよ」
店長に声をかけられ、聖夜は飲料コーナーに行く。在庫を確認しながら、聖夜の心はどうしても加織に向けられる。
祐司たちと打ち解けたところを見ると、杞憂だという気もする。でもそれでは不十分だ。加織の望むような学園生活が送れているかが一番の気がかりだ。そう考えれば、学園祭に誘われたのは確認できるチャンスに繋がる。断らなくて正解だった。
(楽しく過ごせている姿を見届けられたら、次はぼくが行く先を探す番だね)
正しい選択だと解っていても、つらい気持ちになるのは避けられない。自分の存在が不幸を呼びよせる。だからあの日、住みなれた場所を離れた。同じ過失を繰り返すようなまねは絶対に避けなくてはならない。
学園祭がひとつの区切りを教えてくれる。聖夜はそのように感じた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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