第十八話 白い着物の女性
綾子があやちゃんと呼ばれ、大人たちに愛情を注がれている幼い少女のころだ。
肌を切るように冷たい風が吹き、空には重い鉛色の雲が広がって雪が舞う冬の日。子供たちは珍しく積もった雪に興奮し、外で元気に遊んでいた。
放課後になると小学校の校庭は近所の人たちに開放され、自由に遊べる公園の役割も果たしている時代だった。次の桜が咲くころ、綾子は入学を控えている。同い年の子供たちは一足早く一年生になった気分で、鉄棒や雲梯で寒さをものとせず遊んでいた。
みんなと遊び終えた綾子は、子供用の黄色いボールを持って帰る途中だった。年の瀬を迎え、いつもなら大人たちが慌ただしく行き交う姿があちこちで見かけられる。だがその日は慣れない積雪の影響で、人々は早々と家に入っていた。
日は沈みかけて、辺りは徐々に暗くなる。遅くまで遊んでいたことを親に叱られるのは避けられない。
(お父さん、お母さん。ごめんなさい)
少しでも罪を軽くしてもらおうと、綾子は走り続ける。
だがその日は積雪のため思うように走れない。疲れた綾子は立ち止まり、はあ、と一息ついた。少し汗ばみ頬が紅潮している。冷たい空気が却って心地よいくらいだ。
ふと顔を上げると、綾子は小さな森で囲まれた神社の前にいた。遊び慣れた場所だが、今日は誰もいないようで、境内に続く階段は雪で覆われている。
そこにはできたばかりの足跡があった。何気なく綾子が目で追うと、石段の上にある鳥居を潜る影が見える。
(……恵美ちゃん?)
目を凝らしてよく見ると、ひとりは近所に住む恵美だ。そしてもうひとり。初めは雪に紛れて気づかなかったが、白い和服姿の女性がいる。恵美は彼女に手を引かれて拝殿に向かって歩いている。
大人と一緒なら、遅くなったことを許してもらえる。そう考えた綾子は、神社の石段を登りふたりを追うことにした。
雪に覆われ、わずかな灯りしかない石段は、遊びなれた場所と違う顔を見せている。綾子は一瞬足がすくんだが、親に叱られる方が怖かった。何より友達の恵美もいるではないか。
幼心に小さな決意をして綾子は石段に足を乗せ、雪がちらつく中をなんとか登り切った。灯籠の灯りのおかげで視界が開ける。恵美と和服姿の女性が、拝殿の前で綾子に背を向け並んで立っていた。
白い和服姿の女性は、黒檀のように黒くて長い髪を頸のあたりでひとつに束ねている。顔は見えなかったが、綾子はその人からとても上品な雰囲気を感じた。
(なんだか綺麗な人……?)
綾子は彼女の後ろ姿からそのように想像し、ふたりのそばに近づこうと足を踏み出しかけた。
そのときだ。女性がかたわらに立つ恵美を見下ろしたので、横顔が見えた。綾子は彼女の横顔に惹きつけられた。足を止め、遠目で女性の様子を伺う。肌は雪のように白く、唇は血を思わせるほどに赤い。闇のように黒い瞳は、じっと恵美を見つめていた。
(雪女だ。この人が来たから、今日は雪が積もったんだ)
綾子は昨夜、寝物語に母親が語ってくれた話を思い出した。
――雪女に息を吹きかけられたら、その人は凍えて死んでしまうんだよ。
その言葉を聞いた途端、綾子は怖さのあまりに大泣きした。
「ごめんね、脅かして。そんなつもりじゃなかったのよ」
母は優しく髪をなでつけて、綾子をなぐさめてくれた。
(あの雪女がいる)
綾子は咄嗟に狛犬の影に隠れる。でも恵美が気になってどうしても目を離せない。息を殺して陰からふたりを見続ける。
雪女は恵美から手を離し、跪いて目の高さをあわせた。
(どうしよう。恵美ちゃんが雪女に殺される)
綾子は考える。今すぐ逃げ出して大人を呼んでくる? それは無理だ。足がすくんでまともに歩く自信もない。
綾子は金縛りにあったように、ふたりから目を逸らせなかった
雪女の左手が恵美の首筋にふれた。小指の長い爪がなでると、赤い血が滲み出る。不思議なことに、恵美は泣きもしなければ逃げようともしない。
雪女は恵美の首筋にゆっくりと顔を近づけ、傷口に口づけた。
(え、恵美ちゃん……)
雪女は恵美の血を飲んでいる。あごを伝って恵美の血が滴り落ち、白い雪に赤い化粧を施した。
(違う、あの女性は雪女じゃない、鬼、血を飲む鬼だ!)
綾子の脳裏に噂話が蘇る。それは友達の中で話題になっている怪談話だった。
「この町にはさ、綺麗だけど怖い女の鬼がいるんだって聞いたことあるか? そいつは夜になったら町を歩き回って、いつまでも帰らないで遊んでいる女の子の血を吸うんだ」
「うそだあ。そんなのあやちゃんは聞いたことないもん」
幼稚園の友達は続ける。
「嘘なもんか。うちのばあちゃんが言ってたぜ。ばあちゃんが小さいとき、近所の子が連れて行かれたんだってさ」
連れて行かれるのは女の子だけだからか、男の子は余裕の構えだ。
「襲われた女の子は、二度とお家に帰れない。鬼に連れて行かれるんだよ。だから暗くなる前に家に帰れよ。でないと鬼に攫われるんだからな」
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