表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

第十話 冷たさと温もりの中で

 夕刻になって降りはじめた雨が窓ガラスにたたきつけられ、激しい音を立てている。朝の好天がうそのように、事件の起きたころから、空は黒い雲に(おお)われていた。

 舞台上で倒れた江莉を抱きあげて、聖夜は仲間とともに保健室に足を運んだ。

 雨のため外の気温は下がっているが、室内は暖房のおかげで寒くない。だが事件の余韻を引きずっているためか、いくら温度を上げても暖かさは感じられなかった。

「香取さん……大丈夫かな。責任感が強いといっても、わざわざ舞台に出なくてもよかったのに」

 加織の言葉は聖夜の考えをそのまま代弁している。

 興味本位で近づいてはいけないと、誰もが判断できる状況だった。その証拠に、聖夜と一部の教師以外、現場に駆けつけたものはいなかった。

(それなのになぜ……)

 責任感の強さ、自分の置かれた立場だけで、ここまでの行動ができるのか。

 逃げる者と対照的に、遠巻きに録画を始める野次馬は多くいたが、近寄るものはいなかった。あの場所に漂う邪気は、聖夜でなくとも気づいたはずだ。

(そこまで責任感の強い少女()なのか)

 ベッドで眠っている江莉の顔色はあまり良くない。

 遺体――――喉元の頚動脈(けいどうみゃく)を鋭い刃物のようなもので切られ、血を抜き取られた友人――――を見れば、大きな心の傷を負ったはずだ。この状態で江莉をひとりにするのは無責任に思える。

 目覚めたときに気心の知れた人物がひとりもいない。そんな状況にか弱い少女を置きたくはないと思いは、ここにいるみんなの共通意識だ。

 いろいろな考えが頭を横切り、聖夜たちはこのあとの行動を決めかねていた。だれも口を開かない。かといって席を立って帰ろうともしない。

 身体が温まるようにと養護教諭がココアを入れてくれたが、口をつけられないまま、さめてしまった。

 そのとき、沈黙を破るように保健室のドアが開いた。

「あと十分もしたら、江莉のお爺さまが迎えにきてくださるって」

 そう言いながら入ってきたのは澪だ。大きくため息をついたあとで、スマートフォンを学生バッグに入れる。

 上品な育ちに加えて成績優秀。それにも関わらず、だれにでも分け隔てなく接する江莉は、生徒の間でもファンが多い。そんな江莉が倒れたという話は、楽園祭中止の連絡とともに校内に一斉に広がった。そして次々と見舞い客がやってきた。

 澪はひとりで彼女たちに対応すべく、ずっと廊下に出ていた。(さば)くだけで相当神経をすり減らしたようだ。大方の見舞客が帰ったあとで、ようやく江莉の自宅に電話したとのことだった。

 眠り続ける江莉を見て、

「まだ起きないのね」

 と澪が眉を(ひそ)めながら呟くように言うと、加織が無言でうなずいた。

「あんな現場を間近に見ちゃったんだぜ。遠くで見たおれだって、思い出しただけで気分が悪くなるよ。寝込むのも無理ないさ」

 祐司もやっと口を開く。

「楽園祭の準備や舞台の演出、それに突然の主役の不在でしょ。無理しすぎて疲れもたまっていたのかもね。舞台裏で会ったときの香取さん、今思えば顔色がよくなかったよ」

 加織が思い出したようにつけくわえた。

「それよりも聖夜、真っ先にステージに上がって、死体を目の前にしたっていうのに。よく平気でいられるな。たいした度胸だよ、まったく」

「あの場で怯えている演劇部員を助けたかっただけだよ。あと先(かえり)みず動いたせいで、犯罪現場を荒らす可能性まで思い至らなかった」

「でもパニックを起こした生徒がいた時点で、一緒だと思うな。あたしとしては、聖夜くんはドラマの刑事か探偵みたいでかっこ……」

 と言いかけ、自分のことばの不謹慎さに気づき、加織は肩をすぼめてうつむいた。

(ぼくが舞台に上がったのは、そこを支配していた邪気を確認したかったからだ)

 人間でありながらヴァンパイアの特性を持ってしまった自分を、一番恐れているのは聖夜だ。それなのに邪気に惹かれるように現場に近づいた。

 去年の事件以後、血の渇きを覚えることはなかった。

 一歩間違えると、悪魔が目覚めるかもしれない。人間を『食糧』としてとらえた経験がない聖夜にとって、命は今でも神聖なものであり、人の死は畏怖すべきものであることに変わりはない。

 それだけに、自分のとった行動が聖夜自身にも意外だった。

(あの子は本当に()()の犠牲者だったのだろうか)

 彼らの残す気は本能で読み取れる。だから少しでも危ういと感じる場所を避け、辿り着いたのが今の生活だ。

 しかし今日感じたものは、ヴァンパイアを思わせると同時に、異質のものがまじっているように思えてならない。

(ヴァンパイアであり、異質な存在……? いや、まさかそんな……)

 その瞬間聖夜が連想したのは、()()()()()()()だ。

 仲間(ダンピール)がいるかもしれない。だがその人物が犯人だとしたら、聖夜も同じことをするのだろうか。

 心の中に小さな(ほころ)びが生まれ、動悸(どうき)が激しくなる。このまま何もなければ故郷に帰ろうという考えは甘いのか。

「あーあ、こんなことになったんじゃ、楽園祭は中止よね。残念。やっと実現した聖夜くんとのデートだったのに」

 加織のぼやきで、聖夜の考えが中断する。偶然とはいえ、不安から気を逸らせてくれたことに深く感謝した。

「だったらさあ、今から寮まで送ってもらえよ。それくらいならいいだろ、聖夜」

「ぼくはいいけど、香取さんをおいて帰るには……」

「それならご心配なく。江莉のお爺さまが来るまで、あたしが残っています」

「OK。そして澪はおれが送る。これで決まりだ」

「じゃああたし、先に帰らせてもらうね」

 加織は申し訳なさそうに頭を下げる。聖夜も軽く会釈をし、保健室の扉を開けた。



    ☆  ☆  ☆



 雨の影響で、今日は夜の訪れが早い。それにこんな事件の後だ。祐司に言われなくとも、聖夜は加織を送るつもりだった。

 保健室を出た聖夜は、廊下の窓越しに外のようすをながめる。傘がなくてはずぶ濡れだが、タクシーを利用するには寮も下宿も距離が近すぎた。

「心配ないよ。これでもあたし、用意がいいんだ。教室のロッカーに置き傘があるから取ってくるね。聖夜くんは靴箱のところで待ってて」

「だめだよ、薄暗い校舎なのにひとりで行動したら」

 あっけらかんと教室に向かう加織を、聖夜はあわてて追いかけた。講堂や正門周りでは警察が現場検証をしているが、校舎には彼らの姿はない。

 加織は階段を駆け上り、三階にある自分の教室に行った。聖夜も一緒に教室に入る。加織はロッカーから傘を取り出した。

「折りたたみじゃないから、ふたりで入れるでしょ?」

 聖夜が加織に目をやると、やや頬を赤らめている。

 ふたり揃って校舎の昇降口で戻り、靴を履き替えていると、外に車のヘッドライトが見えた。ほどなくしてエンジン音が止まり、ライトが消える。運転手が先におり、後部座席のドアを開けた。

 降りてきたのは、白髪で顎髭を立派に生やした老紳士だ。年齢の割には精悍(せいかん)な印象を与える。おそらく江莉の祖父で、連絡を貰ってすぐ来たのだろう。運転手に差しかけられた傘の中に入り、昇降口にある受付に向かう。

「すごい。運転手つきのベンツだ。さすが香取さん、お嬢さまって感じ」

 加織が目を丸くして、受付のそばに立つ老紳士を見つめた。

「ぼくには車どころか、傘もないけどね」

「一本しかないから、いいのよ。堂々と一緒に入れるんだもん」

 加織は目を輝かせて答えた。さっきまでの重々しい雰囲気は、もう残っていない。そのことに安心して、聖夜は何気なく老紳士に顔を向けていた。

「聖夜くん、早く帰ろ」

 加織に引っぱられるようにして聖夜は歩き出す。江莉の祖父とすれ違いざまに、一瞬目があった。軽く会釈して通り過ぎようとしたそのとき。

 唐突に、老紳士が聖夜の顔を凝視したような気がした。

「だんなさま、いかがなされました?」

 受付を済ませた運転手が不思議そうに問いかけた。つられて聖夜は老紳士を見返す。

 視線がまともにぶつかった。

 老紳士は目を見開き、聖夜の顔をじっと見つめる。唇が何か言いたげに動きかけた。だが声にはならない。

「あの、なにか?」

 先に聖夜が声をかけた。

「いや、なんでもない、失礼」

 老紳士はさっと(きびす)を返し、廊下の奥にある保健室にむかう。運転手は聖夜たちに軽く会釈をし、あわてて主人を追いかけた。

「聖夜くん、今の人と知り合い?」

「いや、記憶にないけど……」

 だが相手は聖夜をよく知っているようだった。何気なく声をかけたとたん、まるで聖夜の視線を受け止められないかのように、顔を背けた。

 聖夜は去っていく老紳士の背中を追いかける。何かが引っかかったが思い当たる理由がない。

「聖夜くんってばー。何してんの?」

 加織の声が聖夜の思考をとめた。

 傘を差すと、加織は当然のように聖夜と腕を組んでくる。

 驚いた聖夜だが、それを素直に受け入れることにした。人ひとり亡くなっている状況だけに、不安な気持ちを抑えたいのだろう。

 加織と被害者は面識がないそうだが、あの現場を見てしまった以上、仕方のないことだ。

 小さな傘が役に立たないような、大雨が降っていた。コートを着ていない身体はすぐに凍えてしまいそうなくらい、気温が下がっている。

 聖夜は少し考えたあとで、秋物のジャケットを脱いで加織の肩にかけた。そして加織の肩に腕をまわし、そっと身体を寄せる。驚いて加織が見上げる。

「あ、いや。寒いかと思って……それに濡れると風邪をひくかもしれないし。でも勝手にこんなことをすべきじゃなかったね……ごめん」

「いいよ、謝らなくて」

 頬をわずかに赤らめて、加織がうつむく。ためらいがちに、身体をあずけてきた。

 温かくて柔らかい肌の感覚が、衣服をとおして聖夜に伝わる。凍えそうな身体を温めるつもりが、逆に温められたような気になった。

 雨の中、言葉を交わすことなく、優しい温もりを感じながら聖夜と加織は歩いていた。



 そんなふたりのようすを、じっと見つめる視線に気づくことなく。


最後までお読みいたきありがとうございました。

ブクマや一話ごとの評価などをいただけたら執筆の励みになります。気に入ったよという方は、ぜひよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ