交渉失敗
福田恆存『演劇入門』を読み、観客席から立ち昇る空気によって演劇は真の完成を見る、というまさにファンタジックな主張を見て、ひょっとしてファンタジーと演劇(または映画)はすごく相性が良いのではないかと思い、書いてみました。
傭兵崩れのゴロツキ少年(魔法の才能あり)がトップ俳優に至るまでのダークな青春物語です。よろしくお願いします。
砂っぽい、青く茶色い街で駆け回っていた。洗ったばかりの服はひどく汚れたし、呼吸もしづらかったはずだけど、とにかく美化されていた。イタズラしたらムキになった白髪の少年クーが、顔を赤くして追いかけてくる。
その気になればすぐ引き離せたはずだ。でも、楽しかったから、ゆるぅく走った。そうだ、楽しかった。あの頃は、すべてが揃っていた。一度だけ行ったことのある、都会のレストランのフルコース料理みたいに。足りなかったのは昼飯だけだった。
みんないた。クーもいた。カラフルに輝いていた。本当に楽しかったのだ。
演技なんてする必要が、なかったくらいに。
◇◇◇
三、四人分の高さはある柵を一気によじ登り、街の中に入った。凹凸の激しい石畳の道を大股で歩き、賭場へと向かう。真昼間だから、閑散としたものだ。代わりに、ヤクザの下っ端が酒盛りしている。
いい気なもんだと感じた。脳が縮んじまってるんだろう。よくもまあ、あんな最低ランクのドブ水が飲めるものだ。野生の魔物として暮らせるんじゃないか?
大人になったら旨さが分かると言われたが、まったく分かりたくない。
地下に降りた。偉そうに葉巻を蒸せる男の机に、持ってきたズタ袋を置く。
机の足が軋んだ。睨まれる。肩を竦めた。
袋から、成果物を取り出す。つまり仕留めた魔物だ。親指で示す。
「アンドレアス・ヒヒ。山猿が、西のアンドレアス山脈の魔石を喰って魔物化したものっす。黄色い毛並みが特徴っすね。普段は山にいるヤツで、こんな盆地で見かけるのは珍しいっす。いくら辺鄙でも」
「ご苦労、ラキ。銀貨五枚」
交渉に入る前に値段を付けられた。舌打ちを堪え、食い下がる。
「毛皮は見目良く、手触りも上等なんす。なので、毒で綺麗にぶっ殺しました。傷一つないっす。良ければなめしまでしましょうか?」
「そこまでせんでいい。銀貨五枚に、銅貨三枚の色も付けてやる。喜べ、五日は三時のおやつが食えるぞ。硬いパンだがな」
「なんとか、もうちょっと。娘さんの可愛さに免じて」
「昨日、クスリキメ過ぎて逝っちまった」「あらまあ」
あのバカ女らしい、無様な死に方だ。クスリなんて使う奴は全員阿呆だ。
「御愁傷様」
ボスの機嫌はよろしくない。惜しいが、交渉は切り上げた。アンドレアス・ヒヒの毛皮は、本来小金貨一枚(=銀貨十枚)で売れる。けど、今のオレみたいな身元不明のガキを相手してくれる商売人はいない。闇のブローカー、例えばヤクザなど、が不可欠だ。
拾ってもらった恩もある。
姉関連で作った借金分が天引きされ、手元にやってきた金は、銀貨と銅貨がそれぞれ三枚。スられないよう、袖の内側に仕込む。銅貨一枚で硬いパンを二つ買い、乱暴に食いちぎった。普通は、うっすい塩スープでふやかして食べる。
歯も「身体強化」出来る才能があって良かった。
「もう一仕事行くか」
アンドレアス・ヒヒほど珍しいのはいないだろうが、ノーマルのウサギ、イノシシやクマならそこらにいる。軽く準備運動してから、柵に向けて走った。
銅貨五枚の狩りが終わった時には、すでに暗くなってきていた。
夕食の材料を買い、帰宅する。オレと姉は、汚い集合住宅が五階の一室で暮らしている。地面から高くなるほど家賃は安くなる。すっかり慣れたが、いつ来てもごちゃごちゃした場所だ。
階段を上がり、ガタつく扉を開ける。蝶番の不協和音が激しい。
「ただいま」「おかえりラキ」
「さて、ウルティア」
呪文を唱える。水が出た。手を洗う。備え付けの蛇口をひねっても、濁った水しか出てこないのだ。姉のような魔法適性のない人間が清潔な水を手に入れるには、下まで降りて井戸で汲む必要がある。
「バニオス」
マジックコンロに火を付ける。街の外に自生する香辛料たちが、実にいい仕事をしてくれた。香りをシャットアウトしないと、厚かましい乞食たちが寄ってくる。境遇には同情するが、一部の面白い奴らを除いて、彼らに優しくしてはいけない。
味見する。肉の旨みたっぷり、臭みなし。器によそいだ。小さな机の上に並べ、姉と二人で食べる。
器を持つ姉の左手が、カタカタと震えていた。そりゃそうだ。義手だから。
ヤクザに金を借り、大枚はたいて買ったものだが、精度はあまりよろしくない。ぼったくられた気がする。
ぎこちなくてかわいそう。
「無理しなくていいよ姉さん」「だって……行儀が……」
「行儀なんてクソ喰らえだ。最初にそんなの考え出した奴はきっと、地獄のくっせえ最下層で、脳みそ腐った鬼の慰み者になってる」
「あんた……まだ十三だろ。そんな言葉、どこで覚えるの」
「ははっ。ごちそーさま」「行儀いいじゃん」
ぴっちり合わせた掌を離し、唇を尖らせた。「食への感謝を忘れるな」、解散しちまった傭兵団が団長からの教えが、すっかり癖として染み付いている。
頭をガシガシ掻いた。
「風呂準備してくらあ。姉ちゃん先入っていいよ」
「……あんがと」
狭い浴室の扉を開ける。元はただの流し場で、浴槽などなかったが、勝手に作って勝手に設置した。魔法で湯を張れるオレがいるから、なければもったいないと思った。
張る前に、袖をまくる。チャリンチャリンとお金が出てきた。今日の稼ぎの残りだ。屈んで拾い、タイルの一枚を外す。ここに金を貯めている。
新しく、そしてもっといい義手を、姉に買ってやるために。
「え?」
金がゴッソリ消えていた。
唇を噛む。ここはちゃんと隠匿している。知ってるのは姉ちゃんだけ。ギュッと目を瞑った。頬をつねり、タイルをはめ直す。大きく溜息を吐いてから、風呂の準備に取り掛かる。
コンコン、とドアを叩く音がした。そう言えば今日、集金だった。最悪の気分を笑顔の仮面で覆い隠し、大家に対応する。銀貨三枚取られた。少し節約すれば、一ヶ月朝昼晩、問題なく飯を食える額。相場と比べると間違いなく高い。が、やはり「孤児出身身元不明のガキ二人」というバッドステータスが働いて、交渉力が弱くなっている。
ひもじい。
姉が風呂に入っている間、一人で机に突っ伏す。なぜかこの部屋に住み着いている、一匹の妖精が側に寄ってきた。小さな手で頭を撫でてくる。
「オレぁこれでも、けっこう命賭けてんだけどなあ」
一人なら、こんな惨めな思いをせずに済んだのに。
例えば、古巣に帰ればいい。強さだけが物を言うあの無法地帯ならば、絶対オレが一番だ。お貴族さまが捨てた椅子の上で、偉そうにふんぞり帰っていればいい。
一人なら、自由に生きられるのに。
「姉ちゃん見捨ててぇ」
小声だったが、本音が漏れた。
連載前の準備に書いた短編もあります。ぜひご覧ください。