北へ行く
翌朝、バイエルン達は日が昇る頃に国境の北門で待ち合わせした。エルサードは国全体を結界で保護されている。国を出入りするときは、専用ゲートを通らなければならない。門番もおり、不法な出入国は不可能だ。
バイエルン達は、ゲートの門番にもエルフの子について話しを聞いてみることにした。
「そう言えば、最近見てないね。入国しなくても、たまに近くを通ると、手を振ってくるんだが。」
門番たちも、最後に見たのはドーチと同じ日だった。三人は出国の手続きを終えると、国境を超えた。ゲートを通過すると、広い草原が広がっており、遠く先に山脈が見える。
エードリッヒは持って来た大きめのバッグから何やら出しながら、ドーチに尋ねた。
「ドーチ、エルフの村はどの辺りかな?移動時間は短い方がいい。此処から、大体の場所を示してくれないか。」
「ん、むごうの山の途中だぁ。俺ぁの里に行くまでにぃ、入り口がぁ6つぐれぇある。」
「わかりました。いい物を持って来たんですよ。」
バイエルンは嫌な予感がした。エードリッヒは、望遠鏡みたいな筒型に、大きな網が付いた魔道具を出して見せた。
「せっかくだから、使ってみようと思ってね。」
バイエルンは、また変なこと言い出したと思った。いつもの事だと分かっているが、一応、呆れ気味に言っておく。
「それ、便利だけどヤバくねぇか?」
「我々なら大丈夫でしょう。着地さえ、気を付ければ。」
エードリッヒが取り出した魔道具は、照準を合わせた所に、網に入れた物が大砲のように飛ばされるという代物だ。空間移動は魔力の消費が激しいし、回復薬や治療薬も用意しているが、貴重な薬は緊急以外には使いたくない。
筒型の魔道具の元々の目的は運搬や連絡用だ。急ぎの荷物を届けたり、緊急時や急用に、空間移動や転送魔法が出来ない魔法使いや、使えない場合に役立つようにと、魔法学院で開発中の魔道具だが、まだ問題があり実用化はされていない。
問題の一つは、スピードがコントロールできないこと。二つ目は、真っ直ぐしか飛ばないため、障害物があった場合、障害物を壊すか荷物が壊れる可能性があること。三つ目は、魔力量の調整が難しく、魔石や魔糸などで試験中だ。込める魔力により、照準を合わせても飛距離が正確でなく、使用条件による振り幅が大きくあること。上手くいけば照準の手前で減速され無事に着地するが、減速した場所によっては、かなり悲惨だ。
「実験の検証も出来ることですし、最大長距離用が3本ありますから、多少の難があっても楽ですよ。」
「なんがぁ、すっげえのかぁ。俺ぁ、それいいぞぉ。」
ドーチも楽しそうだ。
長距離用というと、上手くいけば2時間くらいの距離をひとっ飛びできる。荷物の重さは100kgが限界だったはずと、バイエルンの記憶と現状は全く条件が噛み合ってない。「(まあ、ある程度は飛ぶだろう。)」バイエルンも、どうなるか興味は持ったが、安全性についてはかなり心配になった。
三人は、まず網に入った。風圧に飛ばされないよう、荷物や服を整える。ちょっと窮屈な網のサイズだったが、ドーチが二人を抱える体勢で、何とか落ち着いた。
せっかくなので、エードリッヒはドーチに照準を合わせてもらう事にした。網の隙間から筒を出し、ドーチが覗くと中は望遠鏡で、十字線の真ん中に赤い丸印が見える。筒型の手前にあるボタンにエードリッヒが手を掛け、
「ドーチ、照準があったら教えてくださいね。私が発射ボタンを押しますから。」
「んだぁ、ええぞー。」
ビョフーッ!一瞬で凄い勢いで飛ばされて行く。強すぎる風圧で呼吸も難しく話しなど出来るレベルではない。バイエルンが隣を見ると、エードリッヒの顔もドーチの太い腕も、風に流されるように歪んでいる。メガネをかけているバイエルンでも目を開けるのがやっとだ。何もなければ目を開けるのも痛いだろう。
バイエルンの計算だと、この三人での飛距離はせいぜい5分程度だ。暫く強い風圧に耐えながら、そろそろだな、とバイエルンは着地点を定める。
「(コイツの脳天気さは、時々羨ましくなるな。このままどうやって着地するつもりだったんだ?)」
エードリッヒはドーチにしがみついたまま、しっかり目をつぶっている。ドーチは二人をしっかり抱いたまま、目はしっかり閉じている。全く先を見てない二人の姿を確認したバイエルンは、もう自分がどうにかするしかないと、辺りの状況に目を凝らす。いま下手に魔道具を出しても飛ばされるだけだ。
山脈は近づいているが、麓に近づいた辺りでいきなり減速し始めた。バイエルンは、スカーフを取り出すが、網から上手く手が出せない。
「バイエルン、早く!スカーフ出して!」
「わかってるよ!ちょっと待て!」
網に包まれた三人が、回転しながら落下していく。スカーフは握ってたが、網目が狭く、すんなり手が抜けてくれない。ギャーギャー叫く二人を無視してバイエルンは冷静を保とうとするが、網の中は動き辛い。ようやく片手が抜け出ると、スカーフがゆっくりバイエルン達の下にふわりと舞い込むが、落下の勢いが強いのか、クッションのような役目をしても、なかなか上手く飛行しない。
辺りは大きな岩場で、あちこちが岩だらけだ。バイエルンが着地出来そうな岩場のスペースを見つけると、スカーフは上がったり下がったり左右に揺れながらも、何とか三人を着地点まで運んだ。
「こりゃ、帰りは要らねーな。オメェ、また使うなら最初にスカーフ用意しとけ。」
バイエルンは、自分のスカーフが機嫌を損ねてないか心配になり、優しくスカーフを畳みながら、謝った。
「無理させちまってごめんな。オメェのお陰で命拾いしたぜ。」
スカーフは、角をピンとさせた。大丈夫なようだ。エードリッヒとドーチは、大笑いしている。
「いやー、楽しかったですね。ちょっと距離が延びませんでしたが。なかなかエキサイティングでした。」
「おらぁ、ごんな飛ばされたの、初めてだぁ!また、やっでぐれぇ。」
ドーチによると、普通なら1時間以上はかかる距離らしい。確かに、性能が改善されたら便利な魔道具になるかもしれない。二人の楽しそうな会話に「(こりゃ帰りも絶対使うな。)」バイエルンは、コイツらなら落ちても死なねーと、どうでもよくなった。
エルフの村までは後2時間程らしいが、此処からはドーチの案内に従う。
北の天候は、山頂に向かうほど急激に変わりやすく、竜巻や嵐、落石、魔性風などが予測不可能に現れる。土地の空気の流れは、魔法があっても気付くのが遅ければ対処出来ない場合が多い。僅かな空気の流れや変化を察知出来る能力は、この過酷な環境で生きる為に、北の住人に備わった本能だと言えよう。それに、エルフは警戒心が強い種族で知らない者には容赦ない。
此処でドーチと離れることは危険な地域だという事は、二人とも心得ている。
⭐︎⭐︎⭐︎
魔法学院では、早めに出勤したエリシアが、学院長からのメモを読んでいた。
「ドーチとバイエルンと北に行く。帰りは明日になるかもしれない。学院の事はエリシアに任せる。万が一の時はよろしく。」
エリシアがメモを読み終えると、メモは消えた。「(まあ、大丈夫とは思うけど。秘密文書ってことは、他の先生には内緒ってことね。)」
エードリッヒは、指定した相手以外には内容が見えず、読まれると消失するメモを使っていた。秘密文書に役立つメモは、渡したい相手の唾液や髪の毛があれば、魔法で作れる。
エリシアは、バイエルンと学院長の部屋の鍵が閉まっているのを確認しておくと、予定を組み立て直す。
エリシアは大変有能な事務長だ。学院長の行動について一々詮索しない。彼女は数字が大好きで、効率よく仕事をこなす事や生産性が良くなる事が好きだ。学院長がどれだけ無駄使いや気まぐれな行動をしても、それをいかに潤滑にするかとか予算編成を考えるたりすることなどが、生き甲斐にさえなってきている。帳簿を付けたり計画書を作るのは、彼女にとっては趣味と言ってもいい。学院長が何をしているかはどうでも良いのだ。
そんなエリシアの性格を分かっているのか、エードリッヒが彼女の仕事に口を挟む事はない。エードリッヒには学院長の立場としての仕事や、個人的な仕事の依頼が多くあるが、エリシアが選ぶ仕事は大抵文句なく引き受けている。
エードリッヒが彼女を信頼していることは間違いない。今回のような不在時には、全ての権限まで預けるほどだ。
エリシアは、急な学院長からの無茶振りにやり甲斐を感じるタイプだ。限られた時間で予定を再編成する事を楽しんでいる。学院長は、元々外出が多いので居なくても問題はない。バイエルンは、急な調律依頼にでもしておこうかしらと、先生や生徒たちへの言い訳も考える。今日のバイエルンの係の代役を立てなければならない。
「(音楽室、合唱部、楽器の説明だから、在校生三人を付けてもいいわね。今日の案内は…)」
頭の中で呟きながら、エリシアは三年生の教室に向かった。
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魔法学院の敷地は広く、魔法の使用に制限もあるため、学院内の各場所や経路などの使用説明、魔法使用のルール説明などに、入学してからの3日を費やす。その後、適性検査を行い、選択授業を決めてクラス分けをするので、新入生の授業が始まるのは来週からだ。
今朝の集合場所も、パーティーが行われた広場だ。広場のどこからでもわかるように、集合位置の頭上にグループ番号の看板がゆっくり回転しながら浮いている。
学院案内は1から20までの番号別にグループ分けされており、グループ単位で動くようになっている。
学院案内は2年生が担当する。初めて新入生を迎える2年生たちは、先輩としての初任務に朝からめちゃめちゃ張り切っている。
新入生案内係のグループ代表は、進級試験の成績上位20名が選ばれた。ちなみに成績順位がそのままグループ番号に当てられた。新入生はランダムに割り当てたらしいが。
グループ代表のルーシーは、19位って、ちょっと微妙よね〜と思いながらも、グループ代表になれたことは誇らしかった。新入生の名簿と注意書きをあらかじめ渡されていたので、ちゃんと名前を呼べるよう暗記もした。
エイドリアンは少し早めに学院に着き、広場でタイガを探し歩いていた。「(番号、聞いとけばよかった…)」と思ったが、暫く歩くと陽気で賑やかなタイガはすぐに見つかった。
エイドリアンが近寄って行くと、気づいたタイガが駆け寄って来た。
「エイドリアン!大丈夫なのか?」
「う、うん。き、昨日は、ありがとう…。」
「大丈夫なら良かった!何かあったらオレにすぐ言えよ!」
タイガはエイドリアンの両手を持ち、ぎゅっと握りしめて言った。エイドリアンは、ちょっと嬉しかった。
「あの、昨日の、ね、タイガ君、あ、挨拶…カッコ良かった。」
「何だよー!ちゃんと見てくれてんじゃん!またカッコいいオレ様を見せてやるからな!」
少し背が高いタイガは、嬉しそうにエイドリアンの頭をくしゃくしゃに触る。と、急に手を止めたタイガが、エイドリアンの顔をまじまじと見て言った。
「エイドリアン、お前の目って、めっちゃまん丸なんだな!宝石みたい!隠したら勿体ねーよ!」
「は、は、恥ずかしい…」
エイドリアンは、慌てて髪の毛を顔にかけていく。
「そんな、照れんなって。また、後でな。ランチ一緒に食おうぜ!」
大きく手を振りながらグループに戻っていくタイガに、エイドリアンは軽く手を振った。
「(僕の目、宝石みたいって…タイガ君、優しい。誰もそんな事言わないのに。ランチ一緒にって、僕、大丈夫かな。きっと、友達が沢山いるんだろうな。)」
エイドリアンは、タイガに昨日のお礼と挨拶がカッコ良かった事を伝えられただけで、かなり満足だった。ランチまで、自分が保てるかの不安の方が強い。だが、まずは午前中をクリアしなければと「(今日は倒れずに頑張るんだ。)」ランチのことは後で考えようと気持ちを切り替えた。
ラベンダー先生の語尾が長めの甘ったるいアナウンスが
響いた。
「みなさ〜ん、入学許可書についていた〜 自分の番号のところに集まってえ〜。番号を忘れた生徒は〜、私のところに〜、来てくださいね〜。」
番号の下に全員が移動したころ、ラベンダー先生の元に集まった生徒はいなかった。今年は番号を忘れた生徒はいないようだ。
エイドリアンは自分の番号である「19」を見つけると、ソワソワする気持ちを(大丈夫、大丈夫、大丈夫) と、心の中で落ち着かせながら番号の下に行った。集まったグループのメンバー達と目をあわせないよう、隅っこに立っていた。