4分の一の味
魔法使いの国、エルサード。
バイエルンたちが暮らし、エードリッヒ魔法学院が位置する国だ。エルサードは、かつての大魔導師により建国された、大陸の中央部にある小さな国だ。現在は魔法の先進国として世界に知られている。
エルサードの北側の国境を越えると山脈地帯がある。
北出身の北というのは北地域の総称だ。北には未だ開拓されていない地域が多く、国名もない。山脈や北地域辺りの生まれや種族出身の者達、国境より北に住み、どの国にも属していない者たちを、まとめて北出身と呼んでいる。
独自の文化や古い慣習を守りたい種族の年配者たちは、慣れ親しんだ北の土地から離れようとはしないが、発展した文化や生活を望む若者達は、次々と近隣国へ移住していき、種族単位の近隣国への移住も年々増えている。
ドーチは北の山脈でも二番目に高く、氷に囲まれる寒い山頂付近の村に住むイエーティン族の出身だ。男女問わず大柄な体格に分厚い土色の皮膚、太い骨格が特徴の古い種族だ。
ドーチは山脈の酷い嵐により早くに両親を亡くした。この時、多くのイエーティンが亡くなったり行方不明になり、村で生き残ったのはわずか6人だった。年寄りの祖父は衰退していく村に留まるより、若い孫の将来を考えエルサードへの移住を勧めた。
ドーチはエルサードに移住すると、祖父の教えで金物職人として仕事を始めた。寒い高山に住むイエーティン族が使う魔法の鍋は、何日煮つめても焦げつかないので、ドーチが作るイエーティンの魔法の鍋は瞬く間に人気となった。
また、年に数回は北の村に里帰りするドーチは、国からの依頼で北地域の道案内役も受けるようになった。そのせいか、北から移住したい者や、北からの訪問者の相談を受けることが増えていき、面倒見の良いドーチは、仕事や住居の仲介をしたり、時にはトラブルの仲裁も行っている。
エルサードでの暮らしが長くなるにつれ、自然と北出身者の頼みの綱となっていったドーチの元には、ほとんどの北出身者が顔見せに来る。ドーチの元に来なかったとしても、北出身の新顔がいれば、誰かがドーチに情報を伝えるので、ドーチが知らない北出身者はまずいないと言っていい。
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エルサードの中心部より北寄りの小高い丘に、ドーチの住居兼店はある。
バイエルンが店に入ると、店のドアに付いてるベルがガランガランとデカい音を鳴らした。
「いらっしぇ。」
のっそりと熊のような大男が、椅子に座ったまま低い声を響かせる。
「こんにちは、ドーチ。」
「なあんだ、ドワーフの子じゃねぇか。」
「ドーチ、いつも言いますが、子ではありません。孫です。」
「どっぢも変わんねぇ、何事だぁ?」
「4分の一と2分の一は、全然違います。それより、いまドーチしか居ないようで良かったです。内緒で聞きたいことと、緊急でお願いがあります。」
「わがって店ぇ入っただら、鍵ぃ閉めろ。」
バイエルンが人差し指をピンと弾くと、カシャンとドアや窓の鍵が一斉に閉まった。
「なぁんの事件だあ?監視局のやつらぁも、しょっちゅう来るが。」
「僕もまだ詳しくは知りません。ただ、11年前の事件と関わりがあるかも知れないようです。」
「ああー、アレがぁ。もう11年も経ったが。おい、あん時おめぇさんは、おらんがったなぁ。ありゃあ悲しい。」
「ドーチ、監視局には何を聞かれました?僕が知っておいたほうがいいことがあれば教えてください。」
「ん、北からぁ最近訪ねてきたもんはねーかとがぁ、新顔はぁとがなぁ。たいていは、うちぃ来るがら。んだが、わしが変だぁ思うんがなぁ、毎月ぃ来とったエルフの子があ、先月がらぁ見ねえ。来ねえ方がぁおかしいんだがぁ。」
「なるほど。エルフの子について、後で詳しく教えてください。急なことで申し訳ないですが、学院在籍者のリストを確認してほしいです。学院に来れませんか。」
バイエルンは矢継ぎ早に必要な話しだけをしていく。
「急ぎならぁ、仕方ねえ。あぁと1時間ぐれぇで終わるが。んだら、学院へ行けばええが。」
「はい助かります、ドーチ。学院長に伝えて夕食はこちらでたくさん用意しますから。直接、学院長の部屋に来てください。先に戻ります。」
「そりゃあ、ありがてぇ。」
バイエルンはドーチに約束を取り付け、次へ向かい、急いで気になる案件を片付けていった。
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バイエルンは学院に戻ると直ぐにエードリッヒの部屋へ行った。もちろん、勝手に入る。
「起きれたようですね。」
「ああ、バイエルンお帰り。つい先ほどね、ようやく目が覚めましたよ。」
エードリッヒは、寝転がっていたソファに座っていた。シャツの首元が緩んだまま、ラベンダー先生が用意したであろうハーブティーを飲んでいる。
「時間がないので、調べてきたことを見てください。」
バイエルンは、エードリッヒの隣りに腰掛け、針を取り出すと自分の親指にぷすりと刺した。指先から赤い血が滲み出てくると、エードリッヒに向けて親指を差し出した。
「これ、やらなきゃダメですか。」
「オメェが3日とかテキトー言うからだろ。自業自得だ、早くしろ。」
急にバイエルンのガラが悪くなる。エードリッヒは、バイエルンがイラっとしている感じを気にする様子もなく、プイっと顔を背ける。
「寝起きの私には毒が強すぎますね。」
「3時間分の記憶でいい、ちょっとの血でいけるだろ。ドーチがもうすぐ来る。」
「ああ!せっかく、いい目覚めを堪能してたのに。そうですか、ドーチには会いたいですがね。」
寝起きのエードリッヒは、何もしたくないと言いたげに、バイエルンから顔を背けたままだ。
「いいから早くしろ!説明が面倒なんだよ。話しもあるから見たほうが早いだろ!」
「全く、貴方は私を何だと思ってるのですか!」
珍しくエードリッヒもムキになって言い返した。エードリッヒはマイペースだが平和主義だ。怒りをぶつけたり感情的になることはまず無いので、余程嫌なんだろう。
「コッチはオメェの気分で動いてねーんだよ!腹括ってやれよ!」
口調が荒くなるバイエルンに、エードリッヒが観念したようだ。ため息を漏らしながら黙ってバイエルンの親指を取り、仕方なさそうに軽く咥えた。指先に滲んだ血を、少しずつ吸い取るように啜る。エードリッヒの眉間に、段々シワが寄っていく。バイエルンは、その仕草を黙って見つめているが、始めからさっさとしろよと言いたそうな顔だ。
しばし沈黙したまま、5分ほどだろうか。エードリッヒは口から指を離すと、プハーっと口を開けたまま、頭を上げて深呼吸した。そして、側にあったナフキンで口元を拭い、バイエルンにもナフキンを渡す。
「ゴホッ、大体わかりました。よく動いてくれました。ゴホッ、すぐに夕食の手配をしましょう。私もワインが飲みたい。」
軽く咳込みながら、ナフキンで口を押さえ話すエードリッヒを、バイエルンは睨みつけた。
「オメェ、なんか失礼だな!」
「どっちが!あなたほど失礼ではない。私の気持ちもプライベートもいつも無視して。私は一応、学院長ですよ!」
「ちょっと傷つくぞ。針刺したのに」
バイエルンはそんなに自分の血は不味いのかと、口を拭うエードリッヒの姿に不快感を持った。美味しいと言われるのも微妙だが。
「傷ついたのは私のハートと口の中ですよ。う…ドワーフ特有の渋味が…」
「4分の一しかねーんだから、ほとんど味しねーはずだ!」
「貴方の血は十分立派なドワーフですよ!」
バイエルンはドワーフの血を嫌ってる訳ではない。それどころかドワーフの血を継いでいることに誇りを持っているし、純血のドワーフに憧れさえ抱いている。それ故に、ドワーフの外見的特徴である大きな耳も瞳も持ってない、背が低いこと以外を受け継いでない自分をドワーフと言うのは、純血のドワーフに失礼だとさえ思っている。
バイエルンは純血のドワーフである祖母のことが大好きで、一番尊敬しているからだ。
「しかし、感謝していますよ。貴方のお陰で早く片付きそうで。とりあえず、夕食を頼みましょう。」
エードリッヒは、自分専用の料理番を雇っているので、いくつかリクエストを伝えて夕食の手配を済ませると、棚からワインを出してバイエルンの分もグラスに注いだ。
バイエルンはイラッとしていたが「十分立派なドワーフ」と言うエードリッヒの言葉で、心なしか機嫌が良くなっているように見えた。
エードリッヒは文句言いながらも、バイエルンのツボを熟知しているのかも知れない。何事も無かったように、二人はワインを飲みながら話し始めた。
「バイエルン、この11年で学院に入った職員は5名しかいない。学院の職員で北出身は4名だが全て古い友人だ。おまけに生徒を調べるのは私にとって心外だがね。」
「何もない証拠があれば問題ないだろ。疑いたくねーから調べてんじゃねーか。」
「そうですけどね。ドーチが話していたエルフの件が気になりますね。北の何処のエルフなんでしょう?」
「ドーチのエルフは、半分から8分の一まで一緒だからな。ちゃんと聞いたほうがいい。」
「最近、コレといった犯罪は記憶にないですが。監視局の呼び出しということは、内部事情でしょうかね。」
エードリッヒは、監視局が何を協力してほしいのか気になるが、わざわざ足を運ぶ必要があるという事は、外部に出せない情報があるからで、内部事情と考えた。
「俺もそれは考えたが違うと思う。ダミリオンは関係なく話したことだが、アランが親父に呼ばれて暫く帰れないらしい。監視局の件と関わりがあるかは定かじゃねーけど。」
「そうでしたか。ダミリオンがわからないのも無理はないですね。先に防衛局に行ってみますか。」
「ドーチの話次第だな。」
「それで、美味しいパイを食べたようですが、彼はどうでした?」
エードリッヒがニヤニヤしながら聞いた。
「オメェ、どこまで見た?」
「パイを頼んだとこ。彼をよく観察してましたね。遅くする魔法とは、面白い発想ですね。」
「だろ!ダミリオンと違って顔やしぐさがやたら可愛いんだよ。あのまま純心でいてくれって思っちゃう子だな。調律についていうと、今は必要ない。暫くはラベンダーに治療させたほうがいいだろうな。」
バイエルンは、昼間のエイドリアンの可愛い表情を思い出すと、ますます気分が良くなった。
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ドンドン!と、大きめのノックが鳴った。ドーチがやって来たようだ。エードリッヒは即座に立ち上がり、自らドアを開けて出迎えた。
「久しぶり、ドーチ!我が愛しの友よ。」
両手を広げて大袈裟にドーチにハグをするエードリッヒ。彼も長身なほうだが、頭が大柄なドーチの胸元あたりだ。ハグをしたままドーチの胸元に顔を擦り付けて、再会の喜びを表現する。
「んだぁ、久しぶりだがぁ。」
ドーチも嬉しそうにハグを返し、エードリッヒの背中を軽く叩く。
挨拶を交わし、ドーチを部屋の奥へ案内すると、バイエルンは準備万端にテーブルにリストを用意していた。
「ドーチ、早速ですが、このリストの確認を急ぎでお願いします。北出身で知っている人、北に行った話しを聞いた人、北に親戚がいるなど、北に関わってる人がいたら、教えて下さい。ドーチが知らない人や顔が知りたい人も、いたら言ってください。」
「ワインでも飲みながら、楽しくやりましょう。」
急かすバイエルンのことはお構いなしの、マイペースなエードリッヒはドーチにワインを注ぐ。
ドーチは腰掛けると、直ぐに作業を始めた。リストの名前を指でなぞり、一つ一つ丁寧に確認しながら印をつけ、集中して次々とこなしていく。ワインにも手をつけず、ひたすら作業を進めていく。引き受けたことを全うする彼の真面目さが、信頼され頼られる要因になっているのは間違いない。
リストの終わりまで確認した結果、ドーチが知る北出身者は、学院でも把握している者ばかりだった。
「後の話は、夕食をいただきながらにしましょう。ドーチ、君の生真面目さは尊敬に値するよ。エルフの子について、私も詳しく聞きたい。」
エードリッヒは、待ちくたびれたと言わんばかりに、夕食のセッティングを始めた。
ようやくドーチが注がれたワインに手をつけ、グイっと一飲みしたところに夕食が運ばれてきた。ひと仕事終えたドーチに、美味しい料理は一番のご褒美だ。
エードリッヒの料理番は超一流と言っていい。好みにうるさいエードリッヒが選んだ料理番は、名前を伝えるだけで、ちゃんとゲスト好みの料理を出してくる。それにエードリッヒがリクエストを付け加えると、いつも期待を上回るメニューを考えて出してくる。
今夜は特に凄かった。メインディッシュに、ドーチの大鍋を使った鍋料理が出てきたのだ。それはドーチが感激の涙を流すほどだった。自分が作った大鍋に、最高の料理が入ってきたのだから。ドーチに喜んでもらえたエードリッヒも大満足だ。
食事をしながら三人の話し合いは進んだ。エードリッヒが、明日の予定を提案した。
「明日、北地域に行きませんか。エルフの子に会いに。ドーチが道を知っていればですが。」
「そりゃぁ、一緒に行っでぐれんならぁ助がる。道は途中までしかわがんねぇが、行き方は知ってる。途中から、俺ぁデカすぎて入れねぇんだぁ。ドワーフなら入れるはずだぁ。」
「私もバイエルンも明日は動けますから、三人で朝早くに出発して行きましょう。」
「僕もエルフの子に会うのは賛成です。」
バイエルンも承諾した。明日から3日間は、新入生の魔法学院案内期間なので、まだ授業は始まらない。授業以外の仕事は、バイエルンでなくても問題ないだろう。
返事をした瞬間、バイエルンはハッとした。
「(やられた!エードリッヒの奴、寝ぼけふりして、予定を知ってて3日って言いやがったんだ!ハメられた!)」
今日、自分がどんなに忙しく動いたことだろう。バイエルンは、エードリッヒの思惑通りに動いてしまったであろう自分に後悔しそうになった。今さらのように気付いたバイエルンは、また不機嫌になりそうだった。