敗走
「警告,襲撃を感知しました。住民は直ちに自らの安全を確保してください。」
大大陸北東部に位置するこの地域唯一である人の住まう地に警報が鳴り響く。牙をもがれた人々は長らく脅威に晒されることがなかったために結構呑気に構えている。
襲撃者は多くの魔物を従えた元人間。200年ほど前に森で処刑されて以降は真面目に動向を追っていなかったのだが,結構厄介なことになっている。まず反応が人間というよりも魔物のそれに近い。
その男は囮の魔物をけしかけた後,自らも都市に入っていった。それから暫くして周囲を荒らしていた魔物が撤退。更にそれから時間が経って。
「全ての防衛システムが停止されました。住民は避難してください。」
この都市には侵入者を迎撃するシステムが存在し,乗り込んだ男が内部で正規の方法で解除したのだろう。直近で使われたときには地域1つの文明をまるごと滅ぼした兵器だから,止められるならそれに越したことはない。というか近くには都市どころか村の1つもないのにどこに潜んでいたの?
住民は指示に従って都市の外に出て行こうとする者と,建物に引きこもってやり過ごそうとする者に別れた。けれど都市を包囲していた魔物が一斉に攻撃を開始。なので後者だと多分全員死亡の運命が決まっているし,後者だったら運次第で殺されることになる。
「ああ,面倒くさい。」
次々と殺されていく住民。若い魂が次々とこっちに流れてくるから転移作業が積み上がる。戦死ではあるがこれではただの虐殺で,かつての強さも誇りもない。
「く,くるなあー!」
「いやあー!」
「痛い,イタイ,いたい!」
魔物による一方的な蹂躙によって不幸にも命を落とした者には恐怖が植え付けられていく。人間関係が希薄だから他人の死による痛みは小さいが,考え方をねじ曲げるには充分過ぎる傷で,そのまま再利用はできない。いっそのこと功績のない魂なのだから,転生に流してしまおうか。
「あっちだ,あっちには魔物がいないぞ!」
都市から運良く脱出しても外で魔物に襲われるかもしれなかった。そんなごく僅かな幸運に恵まれた人達をある女がまとめ上げる。格好からすると王族の人間のようだ。彼女が指さしたのは南東方向に延びている川の方向。逃げたい一心の人間達は一斉にそちらへと駈けていく。考え無しの行動は今はたまたま魔物がいないからいいものの,潜伏しているものがいたら先頭から順番に胃袋の中だろう。
「気付くなよ……止まるな,止まるな……。そうだ,あっちへ行け。……助かったか?」
屋内に籠もった男性の最後の記憶。ここにあるということは結末が見えている。ご丁寧に死に神さん用の旗まで立てちゃって。
「戻ってきた! 頼む,止まらないでくれ,ここにはなにもいない。」
男の祈りの甲斐なくその魔物は狙いを定め,籠もっている扉を破る。
「あ――」
声を上げる間もなく首から上は食い破られ,そこで思考は途絶する。こんなのを引き継いだら次の生に影響が出るのは日の目を見るよりも明らかだ。管理側の工数を考えると,いっそ星の内側に送り戻した方が楽だろう。
だんだんと流れてくる魂の中に無気力でないものが混ざってくる。ある者は華やかで人間関係に恵まれた生活をしていた。ある者は都市の中心部に住まう象徴を守るために死の瞬間まで戦い続けた。そして,ある者は――反逆者自らの手で首をはねられた。
「まだ増えるの?」
あの一番偉そうな人間で終わりかと思ったらその後も魂が流れてきた。後ろの方になるほど年齢は高くなってくるから星への還元に回せる分だけ楽になってくる。
「ふー……。」
結局,処理が終わったのは都市内部から全ての魔物が消えた後のこと。ほっと一息ついて都市の内側に意識を向けると,不自然なまでに綺麗になっていた。散々荒らしていった魔物の痕跡も,遺されていなくてはおかしい少し前までは人だった物の欠片も汚れもなかった。人の住まう場所にしては閑散としすぎている。乾燥しきっている。元より何もいなかったような廃墟になっていた。
人の気配なき場所に気がかりなことはあるけれど,いつまでもよそ見をしていられない。命からがら逃げ出すことに成功した人達を追いかける。彼女らは魔物に遭遇することもなく川を上っていく。とはいっても河川を逆流できるほどの平野地形なので当人には登る感覚はなさそうだ。
「そちらで何かあったの。大量にあちこちへ送り込まれてるんだけど。」
魂の管理では回収した世界の管轄者が送付まで全ての業務を行う。その記録も残されているので参照することはできるものの,ほとんどの精霊は見向きもしない,このいかにも不吉な鎌を持った女姿の精霊もそんな1人。ちょっと管理がずさんだったかな。
「1つ都市が大虐殺で壊滅しちゃった。」
「どれどれ……あれ,ここってほとんど死んだ世界じゃない? 貴重な人口が減っても平気なの?」
「壊滅といっても少しは生き残りがいたから存続できてるよ。その証拠にほら,今も状態が表側だよ。」
「あ,ほんとだ。」
彼女にも画面窓の1つを指さして教える。あまりにも人類として終わっている世界になると裏側に記録だけ残されて,今後の人類の指針になる。そして,もしかしたら裏側で演算されている世界の糧になっているのかもしれない。
「じゃあこの人たちが生き残り?」
「今のところは。途中で何があるかわからないからね。」
「ま,お互い頑張りましょ。」
都市出発から数日。脱出以降は誰も欠けることなく,彼女らは敗走を終えた。
「みなさん,止まってください!」
先頭を行く女性の号令によって集団は動きを止める。軍隊のような瞬間的な変化とはいかないが,もめ事が起こることなく指示が通った。それだけ人が少ないということ。
「私たちには悲しんでいる暇はありません。故郷を追われ,こうして平野のまっただ中にいる。何もしなければ襲撃のときのように魔物の餌食になるだけです。」
集団で最も聡明と思われる彼女の話に皆が耳を傾ける。
「ですから我々は新たに砦を作らなくてはなりません。住居が必要です。防衛のための壁が必要です。」
魔物の怖さを知っている人々はその言葉を受けて,即座に各々が行動しようとする。
「しかし,人間単独で造れるものには限りがあります。」
やや一般化がすぎるようにも思うが,大体正しいし,この場では間違いない。せっかちな人たちも彼女の演説を聴くために踏みとどまった。
「なので協力しましょう。ある者は資材を運び。ある者は資材を加工し。ある者はそれを使って建物を作る。まるで使う機会のなさそうだった知識が役に立つときです。」
いかにも人を堕落させることに特化していそうな都市ではあったのだが,教育も基礎基本程度は平等に施されていた。その後の専門性の高い学びは様々。この場にいる人間に必要知識をもった人間が揃いきるとは思えないし,理解していることと行動できることには大きな隔たりがある。
「その際に私が指揮をとります。反対な人は?」
混乱の中でこそカリスマ性のある人を立てる。彼女がトップになることに反対意見はなかった。
「よろしい。物わかりの良い民は好きですよ。」
王女は瞳を閉じ深呼吸をして。
「あの日,私たちは全てを失いました。ですが悲嘆している時間はありません。歴史上の人と同じように私達は再び立ち上がるのです。そのために私はここに宣言しましょう,ここを王国領とします! 民は国を繁栄させなさい!」
彼女の激励によって民は一斉に湧き上がる。
「では早速。それぞれ5人1組となって資材と食料を取りに行きましょう。」
彼女は手際良く人々をグループ分けしてそれぞれに単純明快な指示を出していく。理解した者から順に出発。また一部の者は目印兼陣取りということで残ることになった。
その後,私は常に観測しているわけにもいかなかったが,彼女らは順調に町を形成し,都市へと発展させていくことになる。苦労は多い生活で,決して楽とは言えないけれど,いつ見ても彼女らには笑顔があった。
そんな彼らに伝えられている予言が1つ。「悪逆は過去の勇者によって断罪される」。




