魔王討伐
眼前に広がっているのはかつて栄えた文明の残滓。そこには人の気配が感じられないどころか,他の生命すら存在しないようだ。教えられてきた目的地の雰囲気とあまりにも違いすぎて,この旅のどこかで間違えたのではないかと不安になる。
「ああ,あれか……。」
けれど,そんな疑念を払うだけの巨大な建造物。この地に残された他の瓦礫の山とは異なり,唯一建物として成立している中心部。ここからでは単なるの石造りの城塞にしか見えないが,あれこそが魔王城に違いなかった。
城までは遠くはないが,既に日も落ちかけている。そこで,手頃な家屋,といっても雨風が凌げればよい程度だが,を選んで夜を明かすことにした。どの建物も風化してはいるものの,見慣れないものが多い。幾本も束ねられた金属の糸。薄く黒い板。幾何学模様の刻まれた小片。軽くて丈夫そうな板。
「いよいよ明日か。」
これまでの旅を想起する。しかし故郷からここまでは想起するほどにに長い道のりではない。ここでいう旅というのは,勇者として運命づけられた日からのことだ。
まだ幼かった俺は王の命令で親の手を離れて暮らすことになった。それに合わせて住まいは市街地から町の外れに移り,その日を境に師匠と衣食住を共にした。師匠は俺に勇者として必要な剣術や魔術を教えてくれたが,また同時に都市で生きていくのに必要なことも学ばせた。この旅から無事に帰ることができたなら故郷で1人の大人として生活することになるからだ。
そう,これは帰れたらの話。今まで何人もの勇者が魔王に挑んできたが,誰ひとりとして生還することはなかった。その事実を知ったときに俺は行きたくないと駄々をこねたし,師匠も味方してくれたが,町のために戦いに出るしかなかった。本当に勝てるのだろうか。今までにしてきたのはあくまで人間との鍛錬と,道中で出会った魔物との戦いだけだ。
悪い想定をするのはやめにしよう。明日どうやって魔王を討ち取るか。それだけに集中しよう。
本当に何も出会わなかった。旧都にはただ1体も魔物がおらず,まっすぐこの城に来ることができた。近くで見ると外見に反した禍々しい気配を持っていることを実感させられる。相手に気圧されて息苦しいというのはこういうのを言うのだろう。
人間には大きすぎる扉は触れただけで重々しい音を立てて開き,来客を招き入れる。
「逃がさないってか。」
客人を飲み込んだ城は直ちに戸を閉じる。内側からいくら力をかけても開きそうにない。もっとも,魔王と相対せずに帰還すれば臆病者として処刑されるのだから,もとより逃げるという選択肢はない。
「手荒い歓迎だな!」
影を感じた方向に剣を引き抜くと,そこに獣の肉塊が転がる。この辺りの魔物は全て魔王城内部に巣くっているようで,俺はさしずめ久しぶりの獲物といったところか。たしかにこの入り口広間だけでもあちこちに血痕が見られる。今のような襲撃に用心して進むとしよう。
内部は旧都と異なり,どこも劣化していない。階段は抜け落ちないし,雨漏りもしない。というかむしろ普通の城すぎて不気味だ。もっと招かれざる客を迎撃する仕掛けがあちこちにあるべきじゃないのか。
「玉座はこの先だよな。」
廊下で出会う低級な魔物を除けば特に障害もなく辿り着けてしまった。元々あった城を改築したものなのか,地下へ潜っていくのではなく,地上で敷地の中心部を目指す形であり,分かりやすかった。が,扉に手をかけても,力づくで押したり引いたりしてもがたつかかない。ここにきて仕掛けがあるというのか。たしかに扉には4つの窪みと,そこから少し離れた位置に1つの手形がある。なんの気なしに手形に自らの手を重ねてみる。やけにぴったりはまった。
「反応するわけ――え?」
扉に青白い線が幾本もはしり,それと同時に開き始める。窪みが人の手に大きさと形状が似通っているからと冗談で手を置いたら開いてしまった。それじゃあ他の玉のようなものをはめることができそうだった窪みは一体?
「ようこそ,4936人目の勇者よ。いやここまで辿り着いたのは8人目だったがね。早速で悪いが死んでもらう。」
「ちっ,いきなりかよ!」
地上階ではないのに床から飛び出してくる岩石の数々。まっすぐこちらに向かって進行し,飛び退いた瞬間,ついさっきまで俺が立っていた位置に身長ほどの高さの鋭い岩がそびえ立った。
「外したか。久しぶりに勇者らしい勇者というわけか。」
「そういうお前は魔王なのか!?」
魔王の玉座に向けて距離を詰めていく。正面に座っているそれは,全身に黒紫色の鎧を纏っているため素顔は分からない。
「ああ,私は魔王ということになっているな。」
どういうことだ,魔王になるべくしてなったのではないのか?
「脱出してみせろ。」
考えている余裕もなく,今度は全方位を岩壁で囲まれる。魔法によるものなので,当然殴ったところでこちらが傷つくだけであるし,剣は刃こぼれを起こすだろう。
「何がしたい!」
「暇つぶしだ。いかんせん,やることもなく城に引きこもっているだけなのでね。今度の勇者はどこまで私を愉しませてくれるのかね?」
魔王の余裕に満ちた声が王の間に響く。あの様子であればすぐに刺し殺すことはないだろうが,気まぐれで死体にされかねない。他の城内に比べて綺麗に掃除された部屋,そこで紅い華を咲かすことになるのはご免だ。
さて,周囲を取り囲む岩は全部で8つ。いずれも同程度の高さで,魔力走査をかけることで同程度の強度を持つことも分かっている。つまり,いずれか一枚を吹き飛ばして脱出するというのが得策だ。上によじ登るというのも真っ先に考えたが,天井との隙間は大人が通るには狭い。
「Luft.」
適当に一枚選んでそれに対して低級魔術を撃ってみる。今のような微風ではびくともしない。こうなってくると問題は俺の魔術で突破できるのかということだ。
「Wind.」
今度は少しではあるが削ることができた。完全無欠の鉄壁というわけではないらしい。5属性の内,地属性には然属性が優位であるから当然なのかもしれないが。
「Wind, wind, wind!」
同一の点に対して繰り返し攻撃を続ける。かなり分厚いようで,大技かまして失敗だったときの体力の消耗を考えてのこと。その大技で確実に突破し,何なら魔王に一撃食らわせておきたい。
向こう側では何をしているのだろうか。魔法を駆使して進路妨害を予め組むということもできるはずだが,そんな変化は感知していない。
「そろそろいけるか?」
すり鉢状にえぐれた場所は腕を突っ込めるほどの深さになっていた。最初に調べた厚さからして,このすぐ向こう側が外側の空間のはずだ。
「Hurrikan!」
全力の災害を一点にたたき込む。渦巻く風は砕いた岩石を纏いながら屋内にもかかわらず正面へと進行していく。
「何!?」
内側で無闇に方向を変えなかったのが功を奏したようで,障害のない空間の先,玉座に命中する。魔王の驚嘆の声に遅れて崩れる音がする。
慢心していてはならない。煙が立ってしまっているが,こんなの打ち払って,一撃で決める。
「Wind!食らえー!!」
魔王が姿勢を正す前に剣を抜いて斬りかかる。……最後の一撃はあまりにもあっけなかった。魔王の鎧は先に放った魔術によって脆くなっていたのか,簡単に内側の肉を両断した。俺は剣と共に全身で返り血を浴び,魔王が倒れるのを見た。
「……そうか,やはり私は人に敗れる定めか。」
喋る気力はあるが,立ち直るまではいかない。しかしここで手を出すと道連れにされるだろう。
「悪逆は過去の勇者によって断罪される。その意味がようやく理解できた。」
人々に代々伝えられている予言。だからこそ勇者を単身赴かせて戦っていた。しかしながら予言には不可解なことがあった。俺は過去から来た人間でもないのに予言が実現したと魔王は言う。
「妄執の果て,忘れていた己を見たが故だな。人間よ,決して――」
遺言は途絶え,魔王は死体を残さずに消滅した。浴びたはずの返り血すらも蒸発する。
「何者だったんだ……?」
鎧を剥いで正体を確認することも叶わず,目的は達成したものの,疑念の晴れない戦いになってしまった。第一,あまりにも弱すぎる。結局魔封じの盾も持ち腐れになってしまったし,これでは今まで幾人もが挑んでは倒れた理由が分からないし,倒れた過去の勇者達の遺体が見当たらない。骨までも食らい尽くす魔物でも潜んでいるのかここには。
「何か持っていくか。」
このまま新都に帰ったとしても疑われて処刑されてしまうだけだろう。静まりかえった薄暗い王の間で証拠になりそうなものを探すことにした。
「これでいいか。」
使えそうなものは案外近くに転がっていた。魔王自身は消滅してしまったが,それが身につけていた鎧は残されていた。といっても多くは粉砕されており,原型を留めていない。唯一使い物になりそうなのは兜ぐらいだった。他の鎧が砕けるほどの攻撃の中,どういうわけか兜は細かい傷はあれど保存状態がよく,落下時以外では割れていないらしかった。まさか割られないようにしていたのか。
禍々しい兜を拾い,煮え切らない思いのまま城を跡にして,南南東方向にある新都へと帰ることにした。全ての魔物を掃討したわけではない。長居は無用だ。行きと同じように9日はかかるだろうな。
「やっとか。勇者エグモント,ただいま戻った。」
「何?逃げてきたのか?」
新都の外周に立っている番人は剣を構えた。疑わしいのは分かるが,仮にも勇者として送り出した人間に勝てると思ってやっているのだろうか。
「違う違う。魔王を倒したんだ。」
「……それはまことか?」
「嘘ついてどうする。これが証拠だ。」
持ち帰った兜を番人に提示する。軽くて丈夫なのは魔法製であるからだろうか。
「何だこれは。」
「魔王の兜だ。これを持っているということは証拠なるんじゃないのか。」
「……そうだな。これの真贋を確かめた上で処遇を決めるとしよう。ひとまず帰ってよい。」
「そうか。じゃあお言葉通り。」
旅の唯一の取得物は番人の手に渡った。それはほどなくして,王や裁判官の審議に晒されるだろう。だが何も心配することはない。だってあれは紛れもない本物だ。それを認めない方が妙だろう。
「ただいま,師匠。」
「お帰りー,ってええっ!?……逃げてきたのかい?」
ついさっきしたのと同じ問答を繰り返すことになるのかと思うと気が重い。師匠は信じてくれると思ったんだがな。
「冗談だよ,勝ったんだろう? 顔に書いてある。」
「ったく,驚かすなよ。」
「はは,すまないね。では改めてお祝いを……と言いたいところだが,君の心中はそうもいかなそうだね。」
長い付き合いなもので,下手したら俺以上に俺を理解している。秘めておこうとした秘密だって見透かされているようだ。
「そうだな,どこから話せばいいか……。なあ師匠,魔王って何者だったんだ?」
「魔王は数百年前に旧都の民に大災害をもたらした魔獣の王と伝えられているが,君が知りたいのはそんなことじゃなさそうだね。」
今の説明では復習にしかなっていないと頷く。
「私も直接見たことはないからね。むしろ君の方が持っている情報は多い。それを教えてくれたら多少は推理できるかもしれないよ。」
俺の瞳を示しながら彼は言う。見てきた物を話せということらしい。そこで戦いで起こった出来事を順を追って説明した。
「ふむ。そもそも魔王にしては弱すぎないかい?たしかに私は君を最強の勇者に育て上げた自負があるが。それに本当に魔王は地属性だったのかい?」
使ってくる魔法は地属性のものばかりで,他の属性を持っているとは考えにくかった。
「となるとだ。水,炎,然,地,雷の属性循環から考えるに君の然属性は優位だったわけだが……。」
「あっさりしすぎだ。」
「そうだね,ちょっと噂と違いすぎる。それとも過去の勇者は魔王以外に殺されたとでもいうのか? 城内には至る所に血痕があったと言っていたね。魔王の部屋はどうだった?」
それらしいものは視認できる範囲では存在しなかった。毎日居る部屋だから綺麗に拭き取っているのだと思う。
「それも仮説の1つだが,私としては別の可能性もあってね。実は1人も魔王に殺されていないんじゃないかという見方だ。」
だとしたら魔王城に大量の血痕が残されていたこと,今まで侵入後生還した者がいないことの説明がつかない。出会ったのは低級な魔物ばかりだったし。
「君は城の全域を回ったわけじゃないんだろう? もしかしたらより脅威となる魔物が潜んでいたのかもしれないじゃないか。何かそういうのに心当たりは?」
城の内部はとりあえず新都の城と構造が似ていると信じて進んでいたわけだから,それで使わなかった扉や階段の方が多い。
「扉……。」
「扉?」
「魔王の部屋に入る扉には手形があってそこに手を置いたら扉が開いたって言っただろ?それ以外にも球がはめこめそうな窪みがあってさ,それが何なのか分からなかったんだ。」
見ていないものは不自然とも思わないわけだが,これだけはあるのに使わなかった。
「それも鍵の一種だったのかもしれないね。」
「鍵? 手形て十分なのに?」
「ああ。何か人以外の形のものが入るのに必要なのかもね。ほら,何か潜んでいそうな気がしてきただろう?」
有り得ない話ではない。だとすると歴代の勇者は本当に魔王にすら出会っていないことになってしまう。
「でも魔王は勇者の数を数えてた。」
「それはほら,正門の開かれた回数とかでも十分数えられる。あるいは魔王の城だから全域を監視できるのかもしれない。」
卑怯とは言うまいといった感じだが陣地ならばそれぐらい可能なのだろうか。
「そして死体が残らなかったと。」
飛び散った紅い血液や,肉片すらも綺麗に消えていた。鎧にも残っていなかった。
「じゃあ考えてみようか。」
悪い癖が出た。生徒に教えている途中で唐突に問題にし始めるからな師匠は。
「まず,死んでも亡骸が残るのは?」
普通なら質問はこの裏を問うところなのだが,分かりやすい方から聞いてきた。
「生物と一部の魔物。」
「その裏,死ぬと消滅するものは?」
「多くの魔物と亡霊,精霊とか色々。」
挙げだしたらきりがない。
「それらの特徴は?」
「肉体より魂に存在が傾いていること。」
随分前に師匠から習った。魔物が両方に属するのは,生物と精霊のどちらにより近いかということに由来すると言っていた。
「じゃあどうして魔王は消えた?」
答えまであと1歩になると先生はにやつきながら生徒に質問を投げかける。
「……存在が魂に寄っていたから?」
半信半疑,質問の流れから推測できる回答を伝えた。
「おそらくね。その出自を知る者は現代にはいないから,真相は闇の中だけど。」
生まれは勿論のこと,過ごしてきた時間の中で変質することがあるらしいから文字通り共に過ごしてきた者が必要だ。
「そうそう,番人には証拠を提示したんだって?」
「これと同じ鎧の兜部分だ。」
比較的大きな破片は拾い集めておいた。その内の1枚。
「たしかに強い証拠ではあるか……。」
何か煮え切らない反応だ。この物的証拠を前にしてもまだ懸念事項があるかのような感じだ。
「師匠?」
「いや,憶測で人を悪く言うものじゃないな。忘れてくれ。」
そう言っていつも通りの師匠になり,「夕食はどうしようかなー」と呟きながら調理場に向かってしまった。