疑われました
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自宅の敷地内から出たことのないローザリアは、学ぶ以外に退屈を紛らせる術を知らなかった。
外界に興味を抱いて、現実に打ちのめされるのは自分だ。だから、脇目も振らず勉強を続けた。
そんなローザリアからしてみれば、名門と言われるレスティリア学園のテストだってさほど難しいものではなかった。手応えなど何もなく、ただ解けて当然という感覚。
前期テストが終わり、翌日の朝には結果が貼り出された。掲示板の前、ローザリアは異様なざわめきの中心にいる。
『一位 ローザリア・セルトフェル 五〇〇点』
全教科満点というあり得ない点数に、驚愕の声が止まない。そのくせ遠巻きにして、ローザリアに声をかける者などいないのだ。
そこに、護衛を伴いレンヴィルドがやって来た。
「ローザリア嬢、おはようございます」
「おはようございます、レンヴィルド殿下」
異様な雰囲気を察しているだろうに、いつも通りの笑顔で登場する豪胆さはさすがだ。
目映い金髪に、ピシッと着こなした制服。朝から一分の隙もない。
「カディオ様も、おはようございます」
「おはようございます、ローザリア様」
カディオの精悍な容貌には、爽やかな笑顔がよく似合う。先日の勉強会から、彼ともしばしば話すようになっていた。
「――なるほど。こういうことだったのだね」
順位表を眺めていたレンヴィルドが、顎に手を当てて嘆息した。騒ぎの原因が読めたのだろう。
「おめでとう。さすがだね、ローザリア嬢」
「そうおっしゃるレンヴィルド殿下も、素晴らしい成績ではありませんか」
「私は幾つか間違いがあったからね」
レンヴィルドの名前は、ローザリアの隣に並んでいる。四九七点ということは、間違えたのは一、二問程度だろう。
二人の会話を聞いて、カディオはようやく掲示板に視線を移した。一位と二位に並ぶ名前を見つけて目を輝かせる。
「殿下もローザリア様も、本当にすごいですね。一生懸命テスト勉強をした甲斐がありましたね」
何のてらいもない賞賛に、ローザリアはほんの少し気まずい思いを抱く。あの勉強会の真の目的は、テスト対策では決してなかった。
――それにしても、わたくしが真面目に勉強をしていなかったことくらい、少し見ていれば分かるはずですのに。
観察している内に気付いたことがある。
おそらくカディオは、教科書の内容をほとんど理解できていない。誰もが知っていて当然の建国史であってもだ。
彼の口から記憶を失っている話は聞いている。
だが、騎士としての任務には支障がないと言っていたのに、学んできたことだけが綺麗に抜け落ちるなんてあり得るのだろうか。
考え込んでいると、明るい声が思考を遮った。
「おはようございます、レンヴィルド様、カディオ様! それにローザリア様も!」
ストロベリーブロンドをたなびかせながら駆け寄ってきたのは、ルーティエだった。レンヴィルドとカディオがにこやかに挨拶を返す。
「おはよう、ルーティエ嬢」
「おはようございます、ルーティエさん。今日も元気ですね」
なぜ彼女はさりげなく、カディオの体に触れようとするのか。毎度のことに苛立ちながら、ローザリアも笑顔を作る。
「おはようございます、ルーティエ様。昨日のテストの結果が貼り出されておりまして、今その話題で持ちきりですのよ」
「あっ、本当ですね。今回は難しかったかなぁ」
特待生であるルーティエも、順位表の上位者だ。それでも今回は順位を下げたのか、ほんの少し顔を曇らせていた。
彼女の目が、一位のところで止まった。驚愕に染まった表情はピクリとも動かない。
ルーティエは呆然と、うわ言のように呟いた。
「――あり得ない。こんなの、始めから答えを知ってたとしか……」
囁くような声音だったはずなのに、彼女の言葉は周囲に静けさをもたらした。
「……そうだよな、やっぱりおかしいよな」
「普通に考えて、満点なんて不自然だわ……」
ルーティエの落とした波紋が、隅々まで広がっていく。漠然としていた悪意が、大きなうねりに変わりつつあるのを肌で感じた。
きっと負の感情には鈍いのだろう。カディオは何が起きているのか分からないようだったけれど、反射的にかローザリアを背中で庇う。
いつの間にかルーティエを始め、多くの生徒達が距離を取っている状態だった。
助けは期待できないだろう。
レンヴィルドは王族として中立の立場を保たねばならないし、アレイシスはまだ登校すらしていない。視界の片隅にフォルセの姿も認めたが、気まずげに目を逸らされるだけだった。
カディオの背中を頼もしく思う気持ちもあったが、ローザリアはあえて前へと進み出る。
疑いがあるのなら、自分で払拭するしかない。
「『薔薇姫』が……」
誰かの尖った呟きが突き刺さる。それでも、下を向いたら負けだ。
ローザリアは毅然と微笑んでみせた。
「先ほどおかしいとおっしゃったあなた。では、わたくしが何をしたとお思いですか?」
クルリと発言者に顔を向けると、相手は目に見えて怯んだ。
校則で学園内で身分の上下はないとされているが、それでも格上の侯爵家に目を付けられたい輩はいないだろう。好き勝手に言っていた他の生徒達もピタリと口を閉じる。
「では、先ほど不自然だとおっしゃったあなたは、どうお考えに?」
「わ、わたくしはそんなこと、一言も……」
「『普通に考えて、満点なんて不自然だわ』。一言一句覚えております。これから先も、ずうっと」
名指しされた令嬢は一気に青ざめる。
ローザリアは糾弾するように取り囲んでいた生徒達を、クルリと見渡した。
「皆様は、カンニングを疑っていらっしゃるのでしょうが、わたくしはこの程度のテストでわざわざそのような悪事に手を染める必要性を感じません。皆様も、そう思いませんこと?」
氷の微笑を浮かべながら、視線を縫い止めたのはレンヴィルド。彼はあまりの迫力に、少しだけ身をすくめた。
「レンヴィルド殿下、前期テストで行われた五教科の内、いずれかの教科書はお持ちですか?」
「あ、あぁ。今は政治経済学のものしかないが」
「では、何ページでもいいのでご指定ください」
彼はローザリアの意図が分からない様子だったが、素直に従った。
「それなら、一七八ページにしよう」
「かしこまりました。殿下は、指定したページをお開きくださいませ」
ローザリアは体の前で両手を組み、すう、と深く息を吸った。
ゆっくり目蓋を持ち上げる。白金の睫毛に彩られたアイスブルーの瞳が、鮮やかに輝いた。
「……『五六二年にこの法が制定されたのは、マラナス地方での爆発的な産業の発展に起因している。温暖なマラナス地方では、当時農牧が盛んに行われていたが、それは農民の日々の糧でしかなかった。まだまだ成長の余地があると目を付けたのは、第三七代マラナス領主ロルフ・マラナスであった。彼は農機具の発明、改良に従事し、また蓄えの大切さを農民達に説いて回ることで、地域の発展に努めた。数年後、マラナス地方はレスティリア王国有数の豊かさになったのだが、それにより起こったのは納税の問題だった。一地方領主では括りきれない豊かさと莫大な資産を得ることとなったロルフ・マラナスは――……』」
「待ってくれローザリア嬢、頼むから」
レンヴィルドからの制止がかかり、ローザリアはようやくそらんじるのをやめた。周りを見渡せば、もはや誰もが信じられないものでも見る目付きだ。
レンヴィルドは疲れた顔でこめかみを揉みほぐしながら、恐る恐るといったふうに口を開いた。
「えぇと……あなたはまさか、教科書の内容を、一言一句違えずに覚えているのかい?」
ローザリアは胸に手当て、にこりと微笑んだ。
「はい。わたくし、記憶力はいいのです」
「そういう次元の話ではない気もするが……」
「ウフフ。ですから、今この場にいらっしゃる皆様のお顔とお名前は、正確に覚えておりますのよ」
にこやかに有象無象を一瞥すれば、全員がサッと顔を逸らした。
ページ指定をした者との共犯の可能性を疑おうにも、レンヴィルドの身分が高すぎる。これでこの騒動は一気に片がつくだろう。
ローザリアは息の根を止めるように、とどめの一撃を発した。
「その程度の牙しか持っていないのなら、いちいち攻撃しないでくださらないかしら。鬱陶しくて敵いませんわ」
二度目はない。言外に圧すると、嵐が去るのを耐え忍ぶ動物のように、誰もがひたすら身を縮める。
ローザリアの独壇場を終わらせたのは、第三者の声だった。
「ローザリア・セルトフェル君」
やって来たのは、数学の担当教官。手には一枚の用紙を持っている。
「君の答案について話をしたいのだが……」
教官が口を開いた途端勝機とばかりに目を輝かせたのは、最初にルーティエに追従した男子生徒だ。
「あの、先生。もしやカンニングの疑いでもあったのですか?」
勢い込んで聞くも、教官は怪訝そうに彼の問いをはね除ける。
「一体何の話だ? 私は彼女と、ぜひ数学について語り合いたいだけだが」
教師が掲げてみせたのは、担当教科の答案用紙だった。彼の字で書き込まれている全ての解答の内、たった一つにだけ細かく赤字が入れられている。
「これは、私が作成した模範解答だ。しかしこの一点だけ、少々間違っていた。解答に至るまでの工程を、複雑化しすぎていたのだ。これを試験時間のたった数十分で大幅に短縮してみせたのが、セルトフェル君だ。数学者である私がご教示を願いたいほど、彼女の頭脳は優れている。間違いなく百年に一人の得難い才能だ」
どうやらただの駄目押しにしかならないと悟り、男子生徒はガックリと項垂れた。
ルーティエが瞳を潤ませながら駆け寄ってくる。
「ごめんなさい、ローザリア様。私、あんまりにもすごいから誤解してしまって……」
「いいのよ。誰にだって間違うことはあるわ」
疑いのきっかけを口にしたルーティエが真っ先に謝ったことで、他の生徒達にも気まずい雰囲気が広がっていく。誤解は完全に解けたようだ。
不愉快にはさせられたが、これはいい機会だった。この先ずっと影で疑われ続けるより、公衆の面前ではっきり実力を見せ付けた方がいい。
けれどやはり、彼女の言動は気にかかる。
まるで、悪意を先導するようだった。場を支配する猜疑心と不満を操り、見事に導火線の役割を果たしている。決定的な疑いの言葉を口にしていない点も実に巧妙だ。
数学談義へのしつこい勧誘に素っ気なく返しながら、ローザリアは神妙な眼差しでルーティエを見つめるのだった。