婚約者(『元』になる予定)は気まずいようです
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放課後。寮の自室へ帰ると、待ち構えていたミリアが一通の手紙を恭しく差し出した。
「リジク様からのお手紙がございました」
聞いた途端、ローザリアは顔をしかめた。セルトフェル家の家紋を封蝋にした、正真正銘当主からの手紙だ。
「嫌だわ。そろそろカディオ様を諦めた頃合いとでも思っているのかしら」
できることなら受け取り拒否して送り返したい。
盛大なため息をつくと、ローザリアは覚悟を決めて封を切った。
内容は簡潔だった。すぐに読み終えて畳み直すと、グレディオールがすかさず受け取る。
ミリアは気忙しげに身を乗り出した。
「ローズ様、旦那様は何と?」
「フォルセ様とは会ったのか、話し合いはできたのか。要約するとそんなところね」
意中の相手と結ばれたいならフォルセとの婚約破棄は必須だと、リジクは言った。
もちろんローザリアもそう思っているが、こういった繊細な問題は段階を踏んでいくものだ。まだ二週間しか経っていないのに成果を求めるとは、気が早すぎるというもの。
――わざわざわたくしから出向いて差し上げるというのも業腹ですし。
ミリアが紅茶の準備を調えたテーブルに座る。
お茶請けにスコーンやクッキーの軽食もあったので、ローザリアは糖分を求めてフィナンシェに手を伸ばした。
「わたくしとしては、フォルセ様との話し合いはすぐ決着すると思っておりますの。なのでまずは、カディオ様との仲を深めることを優先させたいところなのだけれど」
護衛の任務に就いている者に気軽に話しかけるわけにもいかず、なかなか恋は進展しない。むしろ今のところ、ルーティエの方が彼との絆を深めているのではないだろうか。
――アレイシスにフォルセ様、そして次期宰相候補と言われているジラルド・アルバ。これだけの面子を虜にしておきながらカディオ様まで狙っているというのなら、わたくしも本気で迎え撃たねばなりませんわね……。
ストロベリージャムを多めに入れた紅茶に口を付けながら、ローザリアはこめかみを揉みほぐす。
「カディオ様と今以上お近づきになるには、どのような方法が有効的なのかしら。やはりここは、意外な一面でも見せるべき?」
勉強ならば人一倍してきたが、恋愛は初心者だ。
想いを伝え、尚且つ相手にも同じ想いを返してもらうためには、何をするべきなのだろう。幼い頃気まぐれに読んだ恋愛小説を参考にすればいいのか。
恋愛経験のなさで言えば似たり寄ったりなミリアに相談を仰ぐと、彼女は真剣な顔で提案した。
「冷酷で高慢な侯爵令嬢と見せかけて、雨に濡れた捨て猫を拾う優しさを持っている、というのはどうでしょうか?」
「……ミリアがわたくしをどう思っているのかよく分かったけれど、まずその条件を整えることが至難でしょうね」
面と向かって悪口を言われたのはまだいい。問題は、彼女が提案した途方もない作戦だ。
まず雨天であること、学園の敷地内に捨て猫がいること。何よりその場面を、都合よくカディオに見せ付けること。
全てを合致させるのはおそらく不可能なので自作自演しか方法はなくなるが、その場合失敗した時の居たたまれなさの責任はとってくれるのか。
次に、恋愛経験の有無すら読めないグレディオールが珍しく沈黙を破った。
「冷徹で傲慢な侯爵令嬢と見せかけて、親しみやすいうっかり屋というのはいかがでしょう。例えば財布を忘れて買い物に行く、魚をくわえた猫を裸足で追いかける、などです」
「……財布などわたくしは持ち歩きませんし、なぜ猫が魚をくわえているだけで追いかけねばならないのですか? 状況が全く分かりません。侯爵令嬢として、理解のできない行動はたとえ演技であってもできません」
裸足で街道を走るなど危険が多すぎるし、全力疾走のできない状態ですばしこい猫を相手にするなんて、無謀としか思えない。猫だって生存競争を勝ち抜くために必死なのだろうし。
彼がローザリアに対してミリアと似たような印象を抱いていたことに驚くが、何より久々の自発的な発言がこれとは残念すぎる。
素晴らしい提案が得られないまま頭を抱えていると、突然扉がノックされた。
邸宅と違って控えの間がないので、直接対応しなければならない。ミリアは急ぎ足でエントランスに向かった。
廊下の外から、彼女の驚く気配が伝わってくる。訪問者が誰なのか、何となく予想がつく気がした。
対人用に取り繕ったミリアが、ローザリアの傍らまでやって来る。
「お嬢様、フォルセ・メレッツェン様がいらっしゃいました」
想像通りの名前に、ローザリアもまた令嬢の仮面を素早く装着した。きっと今この侍女が仮面を外したら、手が付けられないほど怒り狂うに違いないと考えながら。
「お久しぶりですわね、フォルセ様」
姿を現したのは緩く弧を描いたダークブロンドと、オリーブ色の瞳の青年。神経質そうにも見える繊細な容貌の、フォルセ・メレッツェンだった。
笑顔で出迎えた不実な婚約者は、以前より少しやつれているように見えた。
二週間悩み抜き、ようやくローザリアの元を訪ねる決断をしたのだろう。他の女にうつつを抜かし、婚約者をぞんざいに扱ったのだ。気まずいのも当然だった。
ローザリアは笑顔のままで立ち上がった。
「わたくしの私室で二人きりというのは体面が悪いので、学習室の一室でもお借りいたしましょう。もちろん、ミリア達も共に」
申し出た途端、フォルセの眉がぐっと下がった。今までセルトフェル邸で二人きりになることも多々あったのに、同じ状況をはっきりと拒絶したのだ。
「分かった。……分かりました」
首肯を返す婚約者の表情は、苦いものでも飲み込んだようだった。
寮は相部屋なので、学習室は静かな環境で勉強したいという者のために存在する。貸し出し制の個室になっているため、密談するにも最適だった。
二人対面に座すると、ミリアとグレディオールが背後に控える。まずはローザリアから口を開いた。
「わたくしから申し上げたいことはただ一つ。婚約破棄に賛成していただきたい、ということです」
なぜか悲壮な顔をするフォルセへの同情を断ち、まずは言いたいことを言い切る。
「セルトフェル侯爵家当主であるお祖父様からは、既に許可をいただいております。残るはメレッツェン公爵家ご当主からのご許可と、寛容なる王家のお許しのみ。婚約を問題なく破棄させていただけるよう、わたくしからレンヴィルド様に願い出ておきましょう」
通常婚約とは、家同士の繋がりを強固にするために行うもの。けれどメレッツェン公爵家も諸手を挙げて『薔薇姫』を歓迎などしていなかったはずだ。
侯爵であるセルトフェル家の方が下位だが、互いの意見が一致したという形を取ればどちらの体面も保たれる。
しかしここで問題になるのは、婚約時の王家の介入。この婚約を命じたのは、誰あろう当時の国王陛下だったのだ。
となると、成人前の子どもの婚約と言えど、両家のみの問題ではなくなってくる。
ここで生きてくるのが、学園に編入したことでできた、王弟レンヴィルドとの繋がりだ。
彼は『薔薇姫』の扱いに同情的だったし、ローザリアと婚約者との冷えきった関係にも気付いている。上手く相談すればこの婚約を破棄する方向で、国王陛下に進言してくれるかもしれない。そうなれば、より円滑に婚約破棄の手続きが済むはずだ。
今後の流れを理路整然と説明すると、彼は言葉の波に溺れるように口を動かした。
「君は……それでいいのか?」
苦しげな声を発するフォルセのオリーブグリーンの瞳が、ローザリアをひたと見据える。
彼は、優しすぎる。
ルーティエに心を奪われたことへの罪悪感なのだろうが、それでも幼馴染みのように育った婚約者を断ち切れないのだから。
そこに例えば打算が隠されていたとしたって、これまで積み重ねた年月は変わらない。妹のように大切にされた記憶は、胸の奥に。
「……離れた方が互いの幸せになるのですから、わたくしに不満はございません。けれど、あなたを家族のように思う気持ちがなくなることはないでしょう。どうか、これからもお幸せに」
フォルセの顔が泣きそうに歪んだ。
特大の皮肉と受け取ったのなら、それこそ自業自得だと思ってほしい。彼の不誠実な振る舞いに、確かに傷付いたこともあったのだから。
恋しい存在がいることを明かさなかったのは、ささやかな復讐。
ローザリアは席を立つと、優雅に礼をとった。
「――フォルセ様。あなたの婚約者でいられた穏やかな日々、わたくしは幸せでした。今まで本当に、ありがとうございました」
ついに、引導を渡した。
彼はしばらく微動だにしなかったが、やがて俯いたまま立ち上がると、学習室をあとにする。交わす言葉は最早何もなかった。
ローザリアは肩の力を抜くと、椅子に座り直した。従者達の気配に、うっすら口角を上げる。
「……ありがとう。あなた方がついていてくれたから、心を強く保てたわ」
在りし日、共にセルトフェル家の庭を駆け回った時の、フォルセの無邪気な笑顔が蘇る。未来など疑いもせずにいたあの頃。
ローザリアは一度だけ強く瞑目すると、しっかり顔を上げた。
まだほんの少し胸は痛むけれど、これでようやく前を向ける。