学園生活は楽しいです
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レスティリア学園に編入して二週間。
春の花々の最盛期は過ぎたけれど、萌える若葉の鮮やかな緑が胸を打つ季節となった。
ローザリアの学生生活は、今のところ順調に滑り出している。
たとえ義弟があれ以来、意中の相手が誰であるのか、しきりに気にしてきても。無謀なことはやめるよう、事あるごとに説得されていても。
ローザリアが順調と言い張れば順調なのだ。
――そもそも一匹狼を気取っているあの子には、表立ってわたくしに話しかけたり、ましてや泣き付くことなどできませんものね。
アレイシス的には、義姉が心配でもルーティエへのアプローチも疎かにするわけにはいかない。来年度の執行部入りも決まっているようで、彼はなかなか忙しい身のようだ。
全力を出しきれない義弟の追及を、のらりくらりとかわすことなど容易い。
教室内では依然として遠巻きだが、アレイシスやレンヴィルド、そしてルーティエが話しかけてくるので、周囲に溶け込めていないこともなかった。
誰とも話さずいてもローザリアは気にしないのだが、円滑な人間関係のためには周囲を大切にしなければならない。それが、カディオとより親しくなるための近道でもある。
なのでルーティエとの据わりの悪い上辺だけの会話も、何か探りを入れられているような違和感も、時折向けられる棘のような視線も、全て気にしないことにしていた。
寮での暮らしは慣れないことばかりだが、ミリアとグレディオールが全面的に支えてくれるので何とかやっていける。
特に食堂という制度は、引きこもりだったローザリアには新鮮に映った。
広い空間に大勢の人間が集い、思い思いのものを注文して食べる。さすがに貴族ばかりが集まる場なので騒がしいとまではいかないが、食堂内はいつも賑わっていた。
書物で読んだ通りの景色が目の前に広がっていて、利用初日は興奮を隠すのに苦労したものだ。
けれど内部構造は書物の通りとはいかず、選ばれし特権階級のみが使用できる区画、というものが存在した。
王族であるレンヴィルドや、執行部の役員達がそれに該当する。人気のある者を巡るトラブルを、回避するための措置らしい。
確かに学業優秀でカリスマ性も兼ね揃えた執行部員達は、卒業前に親しくなっておきたい家柄の者ばかりだ。王族もまた然り。
ここに、『薔薇姫』という理由だけでローザリアも組み込まれてしまっていた。
普通ならば反感を買いそうなものだが、だからと大衆に混じることも許されない。不満に思う者も言い出せないのが現状だろう。
執行部の先輩方は現在多忙のようで、食事の時間はほとんど重ならない。
朝早かったり、逆に消灯時間の間際だったりと、彼らは利用時間にかなり融通が利くようだ。しかしそれはつまるところ、実質王弟殿下とほぼ二人きりということで。
今も、隣に座るレンヴィルドが赤ワインで煮込んだ牛のほほ肉を口に運んでいるところだった。
「食堂の味には慣れましたか?」
「はい。自宅の料理もおいしいですけれど、こちらの料理人も一流ですわね。さすが、王族にも料理を振る舞っているだけあります」
学食とは名ばかりで、見た目も味も非常に繊細だ。ローザリアが食べている鹿肉のシチューも絶品で、赤身の多い肉質にもかかわらず、柔らかく臭みが全くなかった。
「これだけ素晴らしいお食事ですと、真面目に授業を受けるより食後のお茶をゆっくり楽しみたいと、つい思ってしまいます」
貴族にとって、食後に二時間程度お茶の時間を取るのは当たり前だ。けれど授業日程に合わせなければならないので、学園にいればそうはいかない。
「失礼な言い方だけれど、あなたは真面目に授業を受けているようには見えませんよ?」
「あら、気付かれてましたか」
「それはもうあからさまに、別のことを考えているのが分かるからね。まぁ、おそらく教師陣は完璧に騙せていると思うよ」
退屈な内容を聞く気になれず、授業を真剣に受けているふりで乗り切っていたのだが、レンヴィルドは誤魔化されなかったようだ。
食事を共にすることもあって、彼とはくだけた口調で話せるほど親しくなっていた。惜しむらくは、カディオとはどんなに一緒にいても同じテーブルを囲めないことくらいだろう。
護衛だから当然なのだが、仲良く食事でもすれば少しは親密になれるかもしれないのに。レンヴィルドといるおかげでそれなりにお近づきになれているが、なかなかゆっくり話す機会がなかった。
だが、頭を悩ませているのは恋だけじゃない。
シチューを食べる手を休めると、ローザリアは物憂げにため息をついた。
「レンヴィルド様とのお食事は楽しいのですが、嫉妬の視線が少々煩わしいですわね……。手っ取り早く解決するには、わたくしがあなたの隣に立っても遜色ないほど優秀であると、一目で分かるように示すことなのですが」
手っ取り早い、という品の欠片もない言い草に、レンヴィルドが忍び笑いを漏らした。
「そうだね。一番手っ取り早いのは、やはり前期テストかな。来月の頭に行われるし、成績順が掲示板に貼り出される」
「前期テスト、ですか?」
「そうか、あなたは編入生だから知らないか。まだ教師から聞いていないのだね」
彼によると、ここでは年に三度の学力考査があるらしい。一番重要なのは年末に行われる後期テストで、結果によっては進級にも響くのだそうだ。
前期テストは教科の数も少なく、比較的難易度が低い。それまできちんと学んでさえいれば、確実に点数を稼げるものだとか。
一通りの説明を終えると、レンヴィルドはクスリと笑った。
「でも、私の隣に立って遜色がない女性というのは、別の誤解が生じかねないのではない?」
瞳をいたずらっぽくきらめかせるレンヴィルドは、彼の妃候補と誤解され、ますます妬まれるかもしれないと暗に告げていた。
レンヴィルドの婚約者は、十年ほど前に亡くなっている。それ以降彼の隣は空席のままだ。
確かに、侯爵家の令嬢ならば身分的にも釣り合いがとれる。けれどローザリアには、唯一にして最大の欠点があった。
「――『薔薇姫』が王弟妃になるなんて、彼女達は考えすらしないでしょう」
歴代の『薔薇姫』の中で、王家に嫁いだ者はいない。というより、セルトフェルの血筋自体を忌避されているのだ。万が一にも王族から『薔薇姫』を生み出さないために。
ローザリアは、レンヴィルドの妃の立場を狙う令嬢達からすれば、完全なる安全圏なのだった。
レンヴィルドが、まるで顔を近付けるように首を傾ける。
「あなたは分かっていないね、自分自身の価値を」
「え?」
「『薔薇姫』であることから、王弟妃となるまでには多くの障害が立ち塞がるだろう。けれどあなたには、それら全てをねじ伏せるほどの価値がある」
真剣な声音は囁くように小さく、秘め事めいた雰囲気を匂わせている。王族固有の緑瞳に間近で見つめられれば、吸い込まれてしまいそうだ。
「レンヴィルド様、それは結構本気の勧誘だったりいたします?」
「勧誘、と言い切るあなたの豪胆さが、妃として何より魅力的に思います」
「……」
最近分かってきたが、この王弟殿下は無駄に冗談を言いたがる性質の人間だ。
今も底の知れない笑みを浮かべているが、おそらく深い意味はないだろう。彼は、ローザリアがカディオへ抱く想いを察しているはずだから。
――けれど『豪胆さが魅力』というのは、きっとこの方の本心なのでしょうね……。
レンヴィルドの幼い婚約者の死因は、自殺。
彼の優しさや、慣習に囚われない考え方は、きっと当時の悲しみが作り上げたものなのだろう。冗談の奥に隠された寂しさと孤独を垣間見る。
――誰にでも、背負うものはあるのね。『薔薇姫』じゃなくても。
ローザリアは果実水を一口飲むと、いたずらっぽい笑みを返した。
「ありがとうございます。では、もしわたくしが嫁き遅れたなら、その時にはぜひ引き取っていただけると嬉しいです」
「それは、その間私にも結婚するなということ?」
「滅相もございません。わたくしなど、末端の側室で十分ですわ」
「側室を迎える予定はないし、そもそもあなたの中で、私はどれほどたくさんの妃を召し抱えているんだろうね?」
冗談を言い合う内に、レンヴィルドがいつもの調子を取り戻していく。
できることがあるとすれば、こうして気分を変える手伝いをするくらいだ。友として。
ローザリアもまた、彼と交わす軽快なやり取りが心地よかった。
レンヴィルドの瞳が急に真面目な色になる。今度は冗談を言い出す雰囲気じゃなかった。
「ともかく、あなたに価値があるのは本当だ。それは『薔薇姫』だからと、容易く消えてしまうようなものじゃない」
「――――はい」
だから、卑屈になる必要はないと。
逆に励まそうとしてくれる優しいレンヴィルドに、ローザリアは柔らかく頷いた。
レスティリア学園に編入して初めて言葉を交わした王弟殿下は、身分や性別、生まれ持った事情にかかわらず接してくれる、得がたい友人となった。