カディオの想い
いよいよ本日
『悪役令嬢? いいえ、極悪令嬢ですわ 2』
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一日が、ぼうっとしている内に終わってしまった気がする。
特に学ぶことはないとはいえ、授業内容も頭に入らなかったほどだ。
放課後。廊下を不死者のごとくふらつきたい気分だったが、今は選挙を控え周囲の注目を浴びる立場。ローザリアはかろうじて顎を上げて歩く。
それでも、ずっと演じ続けるのは苦痛だ。
ローザリアは逡巡の末、ひと気のない場所を求めて彷徨い始めた。
寮ではミリアとグレディオールが待ってくれている。いつもと違う主に、彼らはすぐ気付くはずだ。
今は、踏み込まれたくない。
何も考えずに歩いていたら、いつの間にか校舎裏にたどり着いていた。
ルーティエに代わり呼び出しに応じていた経験が思わぬかたちで役立ち、何とも奇妙な心地になる。
周囲に気配がないことを確認すると、ローザリアは糸が切れたように座り込んだ。
なぜ、こんなことになったのだろう。
互いに決定的な言葉は避けた。
だがレンヴィルドの瞳の強さが、全てを物語っているように思えた。
知りたくなかった。憎らしくすらある。
なのに今まで共に過ごした時間が邪魔をして、憎みきることもできないのだ。
何もなかったふりで側にいようと思えばできる。
貴族として教育を受けてきたのだから、本心を隠して接することには慣れている。
けれど、本当にそれでいいのだろうか。
どれほど考えても答えなんか出なくて、ただ堂々巡りを繰り返している。頭の中が滅茶苦茶だ。
ローザリアは膝を抱え、背中を丸めた。
苦しい。だが彼は今、自分以上に苦しいだろうと分かってしまう。
……想う人が、いるから。
「ローザリア様?」
馴染んだ声が、沈むローザリアを引き上げる。
顔を出したのはカディオだった。
咄嗟に、呼吸を忘れた。
校舎の向こう側には明るい日が差し、まるで光に満ちた世界。
彼の燃え立つ赤毛も褐色の肌も、今のローザリアにとっては太陽そのもののように思えた。
あの日からずっと、カディオの全てに心を揺さぶられてきた気がする。
それがなぜなのか、初めての経験だから自分自身分かっていなかった。揺らいでばかりの心は弱くなってしまったのかと、戸惑い何度も自問した。
ーーけれど、あれは……。
そう。きっと、一目惚れだった。
ずいぶん捜したのか、彼はホッと表情を緩める。
「よかった。ここにいたんですね」
ローザリアは、ようやく問いを口にした。
「カディオ様、なぜこちらに?」
カディオはゆっくり歩み寄りながら微笑んだ。
「殿下に言われたんです。ローザリア様の様子がおかしいから、捜してほしいって」
「…………レンヴィルド様が……」
ローザリアは泣きそうになった。
こんな時でさえ優しいなんて、本当にこの主従はよく似ている。
レンヴィルドからの助言が不意に甦った。
素直になれば、本音を聞けるだろうか。
ローザリアは、そっと寄り添ってくれるカディオの柔らかな笑顔を見上げた。
「カディオ様。わたくし、ずっと悩んでいることがありますの」
弱々しい風情でいたからか、彼は即座に頷いた。
「俺でよければ何でも聞くよ」
「ありがとうございます。やはりカディオ様は、頼りになりますわね」
心持ち体を寄せると、彼は視線をうろうろさせながら僅かに距離を取った。
「それです」
「は、はい?」
「なぜ、そのようにわたくしを避けるのです?」
カディオが分かりやすく硬直した。
それだけで、甘い雰囲気にならないよう意識的に避けられていたのだと分かる。
誤魔化すことを許さず、横顔を見つめ続ける。
金色の瞳が苦しげに細められた。
「……俺は、駄目だから」
吐き出されたのは彼自身を否定する言葉。
思いがけず、ローザリアは黙り込んだ。
「ある日突然知らない世界に放り出された。同じように、いつか突然『カディオ・グラント』に戻る日が来るかもしれない」
「それは、」
「絶対にあり得ないなんて誰にも断言できない! だってあり得ないと思っていたのに、俺はこうして違う世界に転生してる……!」
彼が取り乱し声を荒らげるのを、初めて見たかもしれない。
激情がほとばしったような、胸が締め付けられるような哀切。
カディオが転生しておよそ一年。
こちらの世界にすっかり慣れたのだろうと、勝手に勘違いをしていた。辛くないはずないのに。
「……大切なものなんて、作れるはずがない。愛しいものなんて、なおさらーー」
確かに過去の『カディオ・グラント』に戻らないなんて、断言はできない。
けれど彼は、たとえ永劫戻らないという確約があっても、誰の手も取らない。そんな気がした。
まるで幸せになるのが罪のように。一生良心の呵責に苛まれながら、独りで。
そんな悲しい生き方は許せなかった。
閉じ込められたまま生きるはずだったローザリアを、解き放ってくれたのは彼なのに。
「……『何で、我慢する必要があるんですか? 自分の人生なんだから、好きに生きればいいと思いますけど』」
「!」
カディオが目を見開く。
思い通りの反応を得られて、ローザリアはいたずらが成功した子どものように笑った。
これはあの日、彼からもらった言葉だ。
運命に縛られて生きる必要はない。それは、カディオにも言えること。
「カディオ様。今度二人で、あなたのご実家に行ってみませんか?」
「えぇ…………ええっ!?」
ローザリアの突然の発言に、カディオはぎょっと体をのけ反らせた。
「それは、でも、」
「わたくしがついておりますから大丈夫ですわ。もしも困ったことがあってもうまく対処いたします」
「あ、ありがたいですけど、もし『カディオ・グラント』じゃないと疑われたら……」
「その時は、真実の愛に目覚めたとでも言っておけばいいのでは? 少しくらい人格が変わっていても、突然現れた婚約者に動揺している間は気付かれないかもしれません」
「ここ婚約者!?」
ローザリアは丸め込むべく、ここぞとばかりに完璧な笑みを作った。
「あら、いい案だと思ったのですけれど。殿方のご実家を訪問する理由など、それ以外に思い付かないでしょう?」
「そ、うなんでしょうか……」
全くそんなことはないのだが彼は段々思考が鈍り始めているようで、表情が虚ろになっている。うまくいけばこのまま押し切れそうだ。
婚約者として顔合わせをすれば女性との噂が絶えなかったカディオを変えたとして諸手を上げて歓迎されるだろうし、ローザリア的にも利点しかない。
偽りの婚約者から始めたって何ら構わないのだ。
けれどカディオは、甘い誘惑を振り切るようにブンブンと首を振った。
「いや、やっぱり駄目です! そんなふうにあなたを利用するなんてできない。あなただからこそ」
「利用なさって。どうかわたくしだけを」
「俺が言ったこと忘れたんですか? 俺がずっと俺でいられる保証なんてないーー……」
悲しいことばかり紡ぐ唇に、ローザリアは人差し指をそっと押し当てる。
「たとえば今のカディオ様でなくなったとして。このわたくしが、ただ傷付くだけだと思いますか?」
むしろ遊ぶ余裕などないくらい、心を掴んでみせよう。そうすればずっと離れないで済む。
ローザリアはアイスブルーの瞳を細め、鮮やかに微笑んだ。
「怖がらないでください。少しずつ、あなたの人生を始めてみましょう。まずは、ご家族と会ってみるところから」
カディオの顔がくしゃりと歪むから、泣いてしまうのかと思った。
けれど彼は笑った。
眉尻を下げ、唇を震わせて。
情けない顔がひどく愛しい。
カディオが、どこか慎重に口を開いた。
「あなたの強さが、俺にはとても眩しくて胸が苦しい。……俺が転生者だから、こんなに優しくしてくれるんですか?」
少し寂しげに睫毛を伏せるから、ローザリアはほんの少し唇を尖らせる。彼は本当に質が悪い。
明確な言葉が欲しいなら、まずは自分から踏み出すべきではないか。
「……そのような解釈をなさるなら、わたくしの一生をかけてお伝えする必要がございますわね」
つんと顔を背けたのに、カディオは太陽のように朗らかに笑う。
何だか意地を張るのが馬鹿馬鹿しくなって、ローザリアもいつの間にか笑っていた。
その時ふと頭をよぎったのは、いつも自分を穏やかに見つめる緑の瞳。
ローザリアは鈍い胸の痛みを押し込め、笑った。
若干シリアス展開になっておりますが、
書籍ではここまでドロドロしておりませんので
お気軽にお試しください(^_^;)




