尋問
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怒れるレンヴィルドに連れられてやって来たのは、歴史学の資料室だった。
そういえば編入初日、アレイシスと内密の会話をするために利用した覚えがある。
相変わらず雑多なもので溢れ返り、そのくせ閑散とした雰囲気。
扉を閉めると生徒達の気配が一気に遠ざかる。
彼は向かい合ってすぐ、額を押さえ長々とため息を吐き出した。
「デュラリオン殿に恩を売ることに、こんな目的があったとは……。そうか、あの時彼が持ってきた書類。あれは執行部への推薦に関するものだったのか。何の役職にも就いていないあなたに書類なんて、普段ならばおかしいと気付くはずなのに……」
道中目まぐるしく思考していたのだろう。彼の愚痴めいた推論は留まるところを知らない。
「あの時言っていたポジティブキャンペーン? とかいうのもこのための布石だったのか。あぁもう、疲労で判断力が鈍っていたとしか思えない……」
「今もあなたの判断力は十分低下していらっしゃると思いますけれど」
従者も護衛もいない状態で、令嬢を密室に連れ込むなんて。もしも誰かに見られていれば、どんな勘違いをされても反論できない状況だ。
レンヴィルドもようやくそこに思い至ったようで、一気に顔面を蒼白にした。
「本当だ……」
それほどまでに精神が追い詰められているということなのだろう。ローザリアは気にせず微笑んだ。
「まぁ、わたくしとしても都合がいいですけれど。レンヴィルド様にはお訊きしたいことが多々ございましたし」
尋問される立場から一転。
形勢逆転とばかりに腕を組むと、冷静になったレンヴィルドが怯んだ。
「レンヴィルド様。なぜ、使節の存在を黙っていたのですか?」
「う、」
反応から、聞かれるだろうと予測していたことが分かる。
それがなおさら癪に障った。
「わたくしも、新たに講師となる人物が必要であることは分かっておりました。にもかかわらず使節の存在を黙っていたなんて。裏を疑われても仕方のない状況だと、理解しておりますわよね?」
ローザリアは話している内に、自らが少なからず憤っていることを自覚した。
相談してくれればよかった。いい友人だと思っていたのは、自分だけだったのだろうか。
詰るようにひたすら睨み続けていると、レンヴィルドは陥落した。
「あなたに隠しごとはできないな。……本当に、色んな意味で」
彼の苦笑に混じっているのは諦念と、それだけではない何か。瞳に宿る感情は複雑すぎて、ローザリアには推し量れない。
だからただ黙って話を促した。
「この度の使節招聘は土壁の技術を学ぶためという名目だが、陛下はこの機会にシャンタン国と友好関係を築きたいと考えていらっしゃった。ところが王宮内も、まだまだ一枚岩とはいかないのさ」
「ということは、つまりーー今回の一件は裏に反王制派がいたと?」
レンヴィルドは誘拐騒ぎののち、革新的な提案をしたとして下級貴族達の心を掌握していたはずだ。
そして穏健派の大半は陛下を支持している。
国王の政策に真っ向から対立する者達といえば、それは反王制派以外にあり得ない。
レンヴィルドは否定も肯定もせずに続ける。
「反王制派はどの階級にも少なからずいる。彼らはとにかく、陛下の方針に反対すればいいと思っている節があってね。当然今回のことも、血税から無駄な経費を捻出するのは民意に反すると言い出した」
貧民街の住民より王都民の方が圧倒的に数が多いため、発言力もある。
他人の苦労に共感できない者は悲しいことに一定数おり、反王制派の主張は全くのでたらめというわけでもなかった。
「陛下は必死で訴えられたよ。古くは親交のあったシャンタン国との交易が復活することで、我が国が得られる利点も挙げられた。それでも彼らは文句を言いたいのさ。そもそも土壁の普及など必要ないと言い出す者まで現れだす始末」
貧困層の生活水準向上のためにシャンタン国の使節を招いたのに、その大前提を覆そうとするのだから呆れてしまう。
ローザリアも思わず苦々しい顔になった。
「彼らを黙らせるには、高位の人物を招く必要があった。調べた結果、シン王子は建築に関する詳しい知識を持っていることが分かった。ぜひにと招待したけれどーー使節団の中に彼はいなかった」
そういった経緯があったならば、シンがセルトフェル邸で保護されていると知った時、彼がどれだけ驚愕したか想像にかたくない。
もしかしたらシンは、だからこそあえて使節団に紛れ込んだのだろうか。
誰だって、決して良好な関係とは言えない国に自国の王子を行かせたくなどないはず。シンのレスティリア使節団入りは全会一致で反対されただろう。
けれど彼は、どうしても諦められなかった。そのための強硬手段だったのではないだろうか。
事情を語り終えたレンヴィルドは、いたずらっぽく肩をすくめる。
「まぁ殿下が来たところで、土壁技術の普及にどれだけ協力してくれるかは未知数だったのだけれどね。変わった方だという情報も入っていたから」
「変わった方であることは否定いたしません」
ローザリアが他人の調子に巻き込まれることは、本来とても珍しいことだ。
「シン殿下は、お元気にしていらっしゃいます?」
レンヴィルドは、ここでようやく心からの笑みを浮かべた。
「元気にしているし、結構話していて面白いよ。彼は裏表のない方だね。国同士の軋轢は抜きにして、土壁技術の普及に賛同してくださった」
いい方向に進んだからか、彼自身も嬉しそうだ。
シンが根っからの壁愛好家で、壁に関することなら何でも安請け合いをしそうな人物であると指摘するのはさすがに野暮だろう。
「とにかく、諸々の事情があったために、わたくしには言い出せなかったと」
「それは、申し訳なかったと思っている」
潔く謝罪するレンヴィルドに苦笑する。
王族が簡単に頭を下げるべきではないとヘイシュベルを諭した時、彼もその場にいたはずなのに。
「あなたは、本当に損な性格です」
ローザリアは、優しい友人に不満をぶつけずにいられなかった。
「わたくしに一言、相談してくださればよかった。そうすれば、何か協力できたでしょうに」
とはいえ、ほとんど役に立たないことくらい分かっている。屋敷から出たことのないローザリアに、貴族らしい人脈は皆無と言っていい。
絶対的な味方は、家族と従者と専属侍女のみ。
友人と呼べる者も、ようやく増えてきたところ。
だから、これが八つ当たりであることは、ローザリア自身よく理解しているのだ。
「そもそも、シャンタン国からの船が王都郊外の港に到着したというのは有名なお話です。隠す必要などはじめからございませんでした」
「そうか、そうだよね……って、一応秘密裏に入港していただいたはずなのだけれどね……あなたならば仕方がないと、諦めてしまう自分がいるよ……」
「何でも言いたいことを言い合える。それが、友人というものなのでしょう?」
その言葉に、彼のまとう空気が変わった。
一切の表情が抜け落ち、静かにローザリアを見つめる。先ほどと同じ、複雑な色合いの瞳で。
「……では、私も訊いていいかな? なぜ、執行部に入ろうと考えたのか」
背中が壁に当たって、ローザリアは自分が後退っていたことに気付く。
それなのに、彼との距離が変わっていない。同じ分だけ詰められているのだ。
「あなたは執行部の仕事を、煩わしいと思っていたはずだ。それが、なぜ無理やり当選しようと?」
「もちろん、学園生活を円滑に進めるための雑用など、くだらないとしか言いようがありません。けれど、いずれレンヴィルド様が会長を引き受けるのは目に見えておりました」
ローザリアは、動揺を一切見せずに答えた。
たった一年で、彼はずいぶん大人びた気がする。身長も伸びたのか、こうして近付くと目線の違いもはっきりと分かる。
「……来年は卒業してしまう親友と、なるべく一緒に過ごしたいと思うのは、いけないことですか?」
レンヴィルドがゆっくりと瞠目する。
思ってもみない返答だったのか、その表情はいつもの彼に近い。
そのままじっと動かなくなってしまったので、ローザリアは恐る恐る覗き込んだ。
「レンヴィルド様?」
彼は絞り出すように息を吐くと、壁にぐったり両手を着いた。
奇しくも、ローザリアを閉じ込めるような形だ。
さらに近付いた距離にますます混乱する。
「……あなたはたまに、とてもずるいね」
「は、はい?」
ゆっくり顔を上げるレンヴィルドの瞳を見て、ローザリアは自分がなぜこんなにも動揺しているのか分かった。
感じているのは、明らかな恐怖。
けれど、どれほどのことがあったとしても、レンヴィルドが手荒な真似をするとは思えない。
それを断言できるくらいには彼を知っている。
ではこれは、何に対しての恐怖なのか。
獰猛な熱の宿る緑の瞳が、ただローザリアだけを映している。
それでいて、ひどくやるせないような表情。
金色の長い睫毛がかすかに揺れていた。
……もしかしたらローザリアは、失うことが恐ろしいのかもしれない。
誰より、この友人を。友人という関係性を。
しかつめらしい顔が、ぐいと近付く。
「あなたは、カディオに恋をしているくせに」
「とんでもないことです」
「そうやって誤魔化している内に、悪い男に言質を取られてしまうかもしれないよ」
「殿下は、誠実な方だと信じておりますもの」
「どうかな?」
レンヴィルドは動かない。
息がうまくできなくて、ローザリアは僅かに顔を背けた。
「……今ならまだ、寝不足ゆえの失態で済みます」
瞬間、羞恥で頬がカッと熱くなった。
震えないよう細心の注意を払ったのに、どこか頼りなげな声になってしまった。
レンヴィルドが、ふと表情を緩める。
無知な子どもを宥めるような優しい苦笑。
あるいは、大切だからこそ手加減をするような。
彼の体温がそっと離れていく。
「なんて、ね」
慈悲深くすら感じる声音で冗談にすると、彼は振り返りもせず資料室を出ていく。
遠ざかっていく背中から目が離せなかった。
扉に手をかけ、ふとレンヴィルドが立ち止まる。
ほんの少しだけ振り向いた彼の口元は、笑っているように見えた。
「早めに素直になるべきだと、今の内に助言をしておこう。ーー悪い男に捕まらないように」
ローザリアは呆然としたまま動けなかった。
まだそこに、彼の気配がある気がして。
いよいよ明日、極悪令嬢二巻が発売となります!
これも応援してくださった皆さまのおかげです、
本当にありがとうございます!
こちらの連載はもう少し続きますので
お付き合いいだけると嬉しいです!m(_ _)m




