選挙告示
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いよいよ新学期が始まった。
真新しい制服に身を包んだ生徒達の賑やかさは、卒業生が去った分の隙間を埋めてくれる。あの勝ち気なスーリエ家の令嬢も今頃は友人づくりや取り巻き、派閥づくりに勤しんでいることだろう。
入学式が滞りなく終わり、催事続きで走り回っていた執行部の面々もようやく人心地ついたようだ。
まだ就任前のレンヴィルドとアレイシスも裏方として忙しく動いていたため、今日のお茶会は久しぶりの開催だった。
ミリアが淹れてくれたのは、カモミールとオレンジのハーブティ。
心が安らぐ効能があると言われているカモミールだが、男性陣にはハーブが苦手な者もいる。そこに爽やかなオレンジで香り付けをすることで、とても飲みやすくなっていた。
「色んなことが起こりすぎていたから、こうしてのんびり過ごせることがいかに幸せか実感するよ」
ゆっくりハーブティを味わっていたレンヴィルドが、しみじみと口にする。
やけにこちらを見ているような気がするが、ローザリアは完璧な笑みで跳ね返す。
「あとは、来月の選挙戦さえ乗り越えれば落ち着くはずだよな……」
アレイシスのうわ言のような呟きには、執行部歴の長いフォルセがサラリと答えた。
「まぁ、校規の見直しや予算委員会なんかの地味な仕事がすぐに始まるけれどね」
「しんどすぎるだろ……」
義弟は、うめきながら項垂れた。
男性陣のあまりに鬱々とした様子に、ルーティエがことさら明るい声を出して励ます。
「お疲れ様! 毎日すごく頑張ってるの、ちゃんと見てたよ! これ、今日のために作ってきたパウンドケーキ! みんなで食べよう?」
アレイシスは目の前に差し出されたケーキよりも、むしろルーティエの笑顔に釘付けだった。
そのまま彼女の優しさを噛み締めるように、そっと目を閉じる。
「俺、執行部にルーティエがいてくれたら、それだけで毎日頑張れそうな気がする……」
「何!? ルーティエ先輩を無理やり引き込んだら、職権濫用で訴えてやるからな!」
おかしな妄想を繰り広げるアレイシスに、すかさずジラルドが噛み付いた。
二人の争いが激化する前に、ルーティエはなぜか頑ななほど首を振った。
「私に執行部なんて務まるわけないよ! 無理無理! 絶対に無理!」
「あら、なぜ? あなたは成績も優秀だし、執行部で活躍する能力は十分備わっていると思うけれど」
ローザリアが首を傾げて問うと、彼女は周囲を見回しながらもどかしげに口を動かした。どうやら理由を話そうにも、この場では難しいらしい。
「その……とにかく無理なの! 私には無理!」
無理の乱発ぶりに、アレイシスの心が挫けた。
「そこまで必死に否定しなくても……」
「あ、ごめんね!? そんなつもりじゃ……」
にわかに騒がしくなる談話室。
日常がようやく戻ってきたような気がして、ローザリアは薄く微笑んだ。
けれど何とかアレイシスを宥めたルーティエは、気落ちした様子だ。
「でも、残念だよね。みんなでもう一度行きたかったのに、ドルーヴが閉鎖なんて」
ドルーヴは、当然ながら閉鎖されている。
子爵らの犯罪の証拠でもあるし、何より粗悪なレンガを使っているため強度に問題があるのだ。
連日の混み具合から考えても、大事故に繋がる可能性がある。
補強が完全に終わるまで、当面は閉鎖という形で落ち着いていた。
「再開を楽しみに待ちましょう。例え数年後であっても、必ず」
もしまたドルーヴが再開することがあってもオーナーは確実に代わっているだろうが。
裏事情はルーティエに話していないので、不確かな口約束しかできない。
それでも、彼女は嬉しそうに笑った。
「……何かいいね。未来の約束って、初めてかも」
病弱だったという前世を思っての発言だろう。
翡翠色の瞳は見たことがないほど繊細で、透明で、美しかった。
胸が詰まって何も返せずにいると、談話室の扉を叩く音が耳に届いた。
「歓談中にすまない」
現れたのは、デュラリオンだった。
深夜の会談中は見たことがないような表情を見せていたけれど、すっかり元の生真面目な雰囲気だ。
ローザリアに用事があるようで、レンヴィルドやフォルセへの挨拶を終えた彼の視線は、真っ直ぐこちらを向いている。
「君の従者殿に聞いたら、こちらだと教えられた。友人との時間を邪魔したくなかったのだが、なるべく早めに提出してもらいたい書類があったのでな」
「それで、わざわざデュラリオン様自ら届けていただいたのですね。恐縮ですわ」
ローザリアは立ち上がると、それなりに厚い封筒を受け取った。
その際、彼は凛々しい眉をぐっと寄せた。
「今回は君の思惑に従ったが……こんなことは、これきりで頼む」
「あら、思惑だなんて失礼なおっしゃりよう。わたくしはただお願いをしただけですのに、まるで脅迫でもしたかのようではございませんか」
心外だとばかりに首を振ると、彼はますます顔をしかめる。
「……以前言ったことは訂正しよう。やはり君は、噂に違わぬ『極悪令嬢』だ」
ローザリアは無言のまま、くっと口角を引き上げて微笑んだ。
それだけでデュラリオンは怯んだようで、そそくさと部屋を出ていく。
二人のやり取りを、他の面々は不思議そうに見つめていた。
◇ ◆ ◇
翌週。
来月の選挙に向け、候補者が一斉に告示された。
今年はほとんどの役職の立候補者が一名ずつしか選出されておらず、ほぼ当選確実といった様子だ。
争いが熾烈な枠はたった一つ。
あらゆる事務作業の担い手である、庶務だ。
そこには五名の名が記されていた。
誰もが家柄よく、何らかの分野で優秀な成績を収める者達ばかり。
その中に、掲示板前に集まる生徒達をざわつかせる名前があった。
『ローザリア・セルトフェル』
選挙戦は、現執行部員二名以上からの推薦を受けた数名が出馬する方式となっている。
ローザリアはこれをフォルセと、デュラリオンに頼んでいた。
今回の騒動で少なからず恩義を感じていたデュラリオンは了承してくれたが、選挙に関する小冊子が既に完成していたため、ねじ込むだけでもかなり骨の折れる作業だったらしい。
驚愕の渦が巻き起こっている掲示板前を、ローザリアは遠くから観察していた。
嫌われ者の『極悪令嬢』が選挙戦に立候補したところで、当然勝ち目などあるはずがない。
けれどローザリアは、当選を確信していた。
ずっと以前から根回しに勤しみ、選挙活動を行っていたのだから。
「……僕、セルトフェル嬢に入れようかな」
生徒の一人がポツリと呟いた。
意外そうな周囲に対し、彼は慌てて理由を語る。
「以前、僕が育て……いや、裏庭に咲いてる花を綺麗だとおっしゃっていたんだ。恐ろしい噂が流れているけど、実は心優しい方なんじゃないかなって」
すると、彼に触発されたように他の生徒達も口々に主張を始める。
「そういえば、俺が図書館で勉強してる時もさりげなく解き方を教えてくれたな。偉ぶることなく、ここまで解けただけですごいとか何とか」
「私も、落としたハンカチを拾っていただいたわ。その時制服のリボンを直してくださったんだけど、その笑顔がもう……っ」
ほう、と熱いため息をこぼす女生徒に、神妙な顔の男子生徒が続いた。
「実は俺、見たことあるんだよね。セルトフェル嬢が校舎裏で、令嬢達に囲まれてるところ」
「あ、それ僕も知ってる。何でも特待生にしつこく嫌がらせをしていた令嬢達を、毅然と諌めたとか」
「まぁ、素敵! 弱き立場の者を助ける。まさに貴族の鑑ではございませんか!」
ルーティエへの呼び出しの話まで持ち出されるのは想定外だったものの、概ね満足のいく結果だ。
『窮地に颯爽と駆け付ける騎士様のよう』だの『麗しのお姉様』だのどんどん話が飛躍しているものの、善性も併せ持つと刷り込みさえできればこちらのものだった。
下級貴族とは発言力がない分、潮流に敏感だ。
多勢につく重要性を何よりも理解し、時勢を読むことに長けている。
学園に所属する大多数が下級貴族の子だ。案の定、誰もが顔を見合わせ戸惑い始めていた。
立候補している者達にもそれなりの派閥はあるはずだが、『極悪令嬢』が話題に上る回数は圧倒的だ。気運は一気に高まるだろう。
ローザリアがレンヴィルドと親しいことも、ここに来て追い風となる。
物陰でこっそりほくそ笑んでいると、不躾に腕を掴まれた。
貴族が多く通う学園で、これほど荒っぽい真似をする者は少ない。ローザリアは滅多にない経験に目を瞬かせる。
しかもそれを行ったのが、王弟殿下だなんて。
「……レンヴィルド様?」
ローザリアの問いかけに、彼は答えない。ニコニコと微笑むばかりだ。
けれどそれは、いつもの穏やかな笑みとは比べものにならないほど迫力があった。
「やぁ、ローザリア嬢。少々私に付き合っていただけるかな?」
こめかみにくっきり浮かぶ青筋を見て、ローザリアはただ小刻みに頷いた。
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