義弟は過保護です
アレイシス・セルトフェルは、貴族の子弟が多く通うレスティリア学園には珍しい、粗暴な雰囲気をまとった青年だった。
銀というより灰色に近い髪は無造作に伸ばされ、琥珀色の瞳は鋭く切れ長だ。身長はカディオを除けば、教室内にいる誰よりも高いかもしれない。
アレイシスはレンヴィルドにそつなく挨拶すると、すぐにローザリアを見た。
その際未練がましくルーティエに視線を滑らせたのを見逃していない。
「……久しぶり、義姉さん」
「久しぶりね、アレイシス。あなた、また背が伸びたのではない?」
笑いかけるとアレイシスの近寄りがたい雰囲気が、少し和らぐ。けれど彼はすぐに表情を引き締め、乱暴に頭を掻いた。
「別に、そんな話するつもりねぇし。手紙で聞いてはいたけど……義姉さん、学園に編入するなんて何のつもりだよ」
非難するような口振りは、ほぼ全生徒の総意と言っていいだろう。
おおらかに許容してくれたレンヴィルドが少数派であることは、ローザリアも承知している。
「心配しなくても、迷惑はかけないわ」
「そういうことじゃねぇ。何が目的か聞いてんだ」
「アレイシス、言葉遣いがまた悪くなったわね」
「下町にちょこちょこ顔出してるからな。ってそうじゃなくて」
話が脱線してしまうことに苛立ったアレイシスは、怒りを鎮めるように大きく息を吐いた。
「……少し、場所を変えよう」
確かに人目があれば、本音でのやり取りは難しいだろう。特に意中の女性が見ている前であっては。
幸い、まだ始業時刻まで時間がある。
ローザリアは頷くと、誘導する彼の後ろに従った。心配そうに見守るレンヴィルドに、小さく笑みを見せる。
連れられてきたのは歴史学の資料室だった。
教室と同じ校舎にあるというのに人の気配は全くなく、突き当たりのため誰かが近付けばすぐに分かる仕組みになっている。学園生は穴場として頻繁に利用しているのかもしれない。
資料室の扉を閉めて振り返ったアレイシスは、先ほどまでのふてぶてしい雰囲気を一変させていた。
「義姉さん、何考えてんだよ。外には出ないって、リジクお祖父様と約束してたじゃないか」
情けなく下がった眉尻に、悲壮な表情。琥珀の鋭い瞳は今にも泣き出しそうなほど潤んでいた。
「アレイシスったら、大きくなってもその泣き虫は相変わらずなのね」
「当たり前だろ! 何年経とうが俺は義姉さんが心配なんだから!」
とろけた蜂蜜のように揺れる瞳で、義弟はやるせないとばかりに叫ぶ。
涙もろくて家族思い。これが、普段は不良ぶっているアレイシスの本性なのだった。
「ありがとう。でも、体を動かす授業があるわけではないし、危険は少ないわ」
「『薔薇姫』としてのことを言ってるんじゃない! 純粋に義姉さん自身を案じてるんだ!」
どうやら彼だけは、『薔薇姫』がいることによって周囲に及ぼす被害を危惧しているのではないらしい。ローザリアは目を瞬かせて小首を傾げた。
「わたくし?」
「義姉さんは自覚がなさすぎる! じっとしていると精巧な人形と見紛うほど、義姉さんは綺麗なんだよ! いくら貴族の子弟ばかりとはいえ、危険が全くないなんて保証はどこにもないんだからな!」
「あら、そちらの心配だったの?」
ローザリアは察しのいい方だが、アレイシスの飛躍した思考を理解するのは長年の経験上諦めている。彼の想像力が斜め上すぎるのだ。
「あなたって昔から過保護よね。そもそも義姉に対してそこまで綺羅綺羅しい比喩表現を使うなんて、どうかと思うわよ」
「比喩じゃない。義姉さんは、俺が今まで出会ってきた誰よりも綺麗で、素敵だ。少し底意地が悪いところがまた堪らない」
「おかしな性癖の暴露はいいから。それにわたくし、少々などという言葉で収まりきるような小悪党ではないわよ」
誰が鏡を見て、貴族界隈でも比肩する者なき美しさだと思うのか。それはただの自意識過剰だ。
けれどそれなりに優れた容姿であることは自覚しているので、確かに性格は悪いのだろう。
長年不自由に耐え続けてきたため、性根がねじ曲がってしまったのは仕方のないことだ。
ローザリアは口角を上げると、少し意地悪げに目を細めた。
「けれど、美しさよりも心を揺さぶるものに出会えたのでしょう?」
人は美しさだけで心を奪われるものではない。
指摘すると、彼は怯んで黙り込んだ。
家族だけの場では、アレイシスは素直で不器用な本性をさらす。ローザリアは言葉遣いがくだけたものになり、つい皮肉屋の一面が顔を出す。
そのため、上下関係がより明確になるのだった。
「ルーティエ様が好きなのね」
「……うん」
長身で凶暴そうなアレイシスが真っ赤になる姿は、そこはかとなくいじめ甲斐がある。
「ルーティエ様、おそらくかなりのくせ者よ」
「分かってる。そんなところも義姉さんみたいで、いいと思ってる」
「あら。わたくしには遠く及ばないわよ」
想い人の性格の悪さを明かしても、意味がないことは分かっていた。現にローザリア自身、カディオの悪評を聞いても全く気にならないのだから。
血は繋がっていなくても、十年以上一緒に暮らしてきた二人は、結局似た者姉弟なのだ。
ローザリアは戦友めいた絆を感じ、不敵な笑みを唇に刷いた。
「ライバルは多いわ。わたくしに構う暇があるなら、とにかく頑張らないと。油断している内に、誰かに出し抜かれてしまうわよ」
激励のつもりで放った一言だったのに、彼はなぜかひどく不満げだった。傷付いたような顔をされると、義姉としては弱い。
「ライバルにフォルセ様がいらっしゃるから、不安なの? 確かに強敵だけれど、わたくしにできることがあれば協力するわ」
昔は、フォルセの優しさに救われた時期もあった。彼のことも家族同然に感じている。
けれど毎日側にいて支えてくれたのは間違いなくアレイシスであったし、何より他人には別ちがたい絆がある。
応援するなら申し訳ないが、断然義弟の方だ。
「フォルセ兄上は、義姉さんが学園にいることを、知ってるの?」
「手紙でお伝えしたけれど、さほど興味もないのではないかしら? あなたも知っての通り、あの方は今ルーティエ様にご執心でしょうから。近い内に婚約を破棄する方向で話し合いたいと思っているわ」
サラリと今後の予定について打ち明けると、アレイシスは目を丸くした。
「え? 婚約破棄? フォルセ兄上と? え、ちょっと待って。本気で意味が分からない」
「そうよね。あなたも子どもの頃から、兄上と呼んで慕っていたものね」
「いやそれは将来的に義兄になるという打算があったからで、ってそうじゃなく。義姉さん、都合が悪くなると煙に巻こうとする癖、いい加減直してよ。話が進まないだろ」
フォルセがセルトフェル家を訪問している間だけ明るく素直な義弟を演じているのは気付いていたが、呼び方にまで気を遣っていたとは初耳だ。
「えぇと……婚約破棄? そういえば、何が目的で学園に来たのか、まだ聞いてなかった」
アレイシスは顔を覆っていた手を下ろし、恐る恐るといった様子でローザリアを見る。
頭のいい彼のことだ。線と線が繋がって、今猛烈に嫌な予感に苛まれていることだろう。
ローザリアは彼の疑念を吹き飛ばすように、ことさら華やかに微笑んでみせた。
「もちろん、好きな殿方がいるからよ。わたくし、恋した方を射止めるために学園に来たの」
同時に、フォルセとの婚約破棄を正式なものにするという目的もある。
王家が結んだ婚姻なので、両者の合意があるだけでは成立しない。
王族の面子も考えると、王弟殿下であるレンヴィルドからの後押しをもらえたら心強かった。
親しくなりたいと望む傍ら利用しようと企んでいるなんて、彼にも誰にも悟らせない。
ローザリアは笑みを深め、資料室をあとにした。
ずっと硬直していたアレイシスが絶叫するのは、この数秒後のこととなる。