距離感
いつもありがとうございます!m(_ _)m
あの日と同じように、ドルーヴへと続く細い路地を並んで歩く。
平日だからか、はぐれるほどの交通量でないことは幸いだった。
「そういえば、俺でいいんですか? ルーティエさんとまた一緒に行く約束をしてましたよね」
カディオに問いかけられ、ローザリアは軽く目を瞬かせた。
レンヴィルドの護衛に付いていた彼が、ルーティエとの会話を聞いていたとは思わなかった。
「いいんです。今日は、少し調べたいこともあったので。カディオ様と一緒でしたら心強いですわ」
シャンタン国の青年のように、不審者扱いをされては困る。騎士団の制服をまとう彼の存在は、信頼度的にも非常に助かるのだ。
そういった下心を包み隠さず打ち明けると、カディオはくすぐったそうに笑った。
利用すると宣言されているのに、なぜこんなにも嬉しそうにするのか。
ローザリアは居たたまれなくて視線を逸らした。
「それにわたくし、以前にルーティエさんから頂いた飾り紐のお返しをしたいのです。手作りをしていただいたものに既製品をお返しするなんて、礼儀に反するかもしれませんが……」
親しくなりしばらく経った頃、手先の器用なルーティエから手作りの組み紐飾りを受け取っていた。
それはお揃いになっており、ローザリアは薔薇をかたどったものを、彼女は桜という花をかたどったものをそれぞれ鞄に提げているのだ。
ドルーヴで、何かお礼になるようなものを探したいという目論見もあった。
カディオは、これにも嬉しそうに破顔した。
「礼儀に反するなんて。大事なのは気持ちじゃないですか。ルーティエさん、きっと喜びますよ」
「そう、でしょうか……」
てらいのない言葉に恥ずかしくなって、ローザリアは外套の襟元に顔を埋めた。
その仕草に誤解したのか、カディオは心配そうに眉尻を下げる。
「すみません、寒いですよね」
「いいえ。大丈夫です」
寒さは彼のせいじゃないのに。
申し訳なさそうに謝るカディオがおかしくて、ローザリアは小さく笑った。
周囲は冬景色とはいえ、もうすぐ春の月に突入する時期なので気温はそれほど低くない。
水気の多い湿った雪は、数日もすれば溶けて消えてしまうだろう。
その雪も道端に追いやられ、濡れた石畳が露出している。歩きにくいということもなかった。
とはいえローザリアが寒さを感じないのは、二人きりで街を歩く状況によるかもしれなかった。
少なからず緊張しているし、高揚もしている。
隣を見上げれば、気付いたカディオが笑顔を返してくれる。癖のある赤毛を揺らしながら、美しい金色の瞳を柔らかく細めて。
そのたびに心臓は騒ぐし、体温は上がる。多幸感に頭がくらくらした。
「寒さなど気にならないくらい、楽しいですわ」
「ハハ。ローザリア様も、子どものようにはしゃがれたりするんですね」
これだけはっきり好意を示しているのに、ただの無邪気と解釈されては堪らない。ローザリアはカディオをじっと見つめながら、さらに押した。
「……カディオ様と一緒だからとは、思ってくださいませんの?」
「!」
鈍い彼も、さすがに動揺した。
褐色の頬を隠しているのは、決して寒さのせいではないだろう。照れると金色の瞳が分かりやすく潤むことを知っている。
真面目で職務に忠実なカディオが、他ではあまり見せない表情。
転生という事情を知る希少な存在ゆえに気を許しているだけなのかもしれないが、ローザリアにはそれが嬉しかった。
「カディオ様、わたくし……」
「も、もう少し急ぎましょうか! 早く行かないと、ホラ、門限もありますし! ね!」
カディオはぎくしゃくしながらも、歩く速度を早めた。甘い雰囲気が一瞬で霧散していく。
「……」
いつもこうだ。
話しかければ嬉しそうに笑うし、好意を見せればあからさまに動揺する。
だというのに、カディオは甘い雰囲気になりかけると、なぜか急に及び腰になるのだ。
それなりに意識してもらっている自覚があるからこそ、解せない。
何でも相談できるミリアもこういったことには疎いため、毎回二人で首をひねっていた。
彼女が提案する『相手が積極的に動かないなら、既成事実を作ってしまえばいいじゃない』作戦を、実行すべきだろうか。
けれどグレディオールから、傲慢なことばかりしていると革命が起きてギロチン刑に処されるとの忠告を受けていた。
革命でよりよい変化が起こるのなら、それはいいことだと思うのだが。そもそもギロチンとは何なのか、説明がなかっためよく分からない。
もやもやと考え込んでいる内に、ドルーヴに到着していた。
すぐ二階へ進もうとするローザリアに、カディオは一階にある雑貨店を勧めた。
高価なものを贈られても、おそらくルーティエはおそれ多く感じてしまうだろうからと。
一理あると納得し、一階の区画を進む。
カディオに勧められた雑貨店は、平民向けとは言ってもかなり華やかな店舗だった。
瀟洒に飾り付けられた陳列棚には間隔を空けて商品が並べられており、以前に覗いた噴水広場の雑貨店とは一線を画している。
「最近の硝子加工技術は、目覚ましく進化しているのね。研磨はどのような手法で行われているのかしら? それにこの意匠、とても斬新だわ……」
カディオから贈られた青い蝶の髪飾りを思い出しながら、感じたままを呟く。
聞き留めた彼が、喉奥でおかしそうに笑った。
「ローザリア様、何もそんな学者目線の感想を言わなくても。単純に綺麗とか素敵だとかで、気に入ったものを選べばいいのに」
貪欲に知識を吸収しようとするのは、治らない病のようなものだ。
セルトフェル邸の敷地内だけで生活していた頃、知ることにしか楽しみを見出だせなかったゆえに。
指摘はまさにその通りで、女性らしくないと呆れられるかと思った。
にもかかわらず、カディオの瞳に宿っているのは優しい感情ばかりだ。
「でもその真面目さが、ローザリア様なんですよね。出会った時から全然変わらない」
快活な笑顔で、はっきりと肯定される。ローザリアは胸がざわつくのを感じた。
ーーカディオ様こそ、変わらないわ……。
初めて出会った時のことを思い出す。
『何で我慢する必要があるんですか? 自分の人生なんだから、好きに生きればいいと思いますけど』
彼のその一言があったから、ローザリアは自由に生きることを決めたのだ。
おそらく、転生者であるカディオだからこそ言えた言葉。
ーー今なら分かるわ。わたくしにとって、あの日は特別だった。あの日、きっとカディオ様に……。
「ローザリア様?」
カディオに不思議そうに覗き込まれ、ローザリアはゆっくりと微笑んだ。
「……何でもございません。すみません、少しぼんやりしておりました」
ルーティエへの贈り物と、ついでにレンヴィルドへの嫌がらせのように甘そうな手土産を選び終え、例の階段の傷跡を見に行く。
二週間が経っているのに、ひび割れはまだそのままで残っていた。大して目立たないために放置しているのだろうか。
構造的に一度完全に閉館せねばならず、それを例のオーナーがよしとしないからか。
ともかく、跡をつぶさに観察してみる。
「これに、何があるというのかしら……」
何の変哲もない、レンガのひび割れ。
金属のゴブレットをレンガにめり込ませるカディオの膂力には驚くべきものがあるが、それ以外にこれといって特筆すべきことはなかった。
ローザリアは階段に屈み、傷跡に触れてみる。
強く指を押し付けると、パラパラと粉状になりながら崩れた。
「これは……」
ドルーヴは新しく建てられたもののはずなのに、やけに脆い気がする。
指先に付着した白っぽい粉末をじっと見つめていると、高らかなヒールの音が背後で止まった。
カディオと共に振り返る。そこには、見知らぬ美女が立っていた。
彼女は、ドレス姿ではなかった。
暗い藍色のジュストコールに同色のベスト、黒のスラックス。乗馬ブーツも黒で、落ち着いた色合いでまとめられている。
それでも女性にしか見えないのは、しどけなく結われた艶やかな黒髪と華やかな美貌のためだ。
彼女の知的に輝く菫色の瞳は、親しげにカディオを見つめている。
「久しぶりだね、カディオ殿」
声すら特別な楽器のように響く。
頼みごとをされたらうっかり頷いてしまいそうな、魅惑的な声音。
「最近は夜会にも顔を出してくれないから……なかなか寂しかったよ」
つい聴き入っていたローザリアは、聞き捨てならない台詞に正気に返った。




