不審人物?
そういえば今さらですが、
書籍との設定のちがいがもう一つ!
カディオの転生前は『三十八歳独身彼女なし』でしたが、『二十代、それなりに格好いいけど少々残念な武術オタク』に変更しております!
やはり少女小説なので中身も格好よくないと……という編集様の意見に、確かに! と驚愕した次第です!
ですが残念設定は譲れませんでした(^-^)
どうぞよろしくお願いいたします!
「カディオ様!」
引き留める声にも耳を貸さず、カディオが階下へと駆け降りていく。
腰に携えた剣には手を伸ばさない。
以前彼は、人を傷付けることが恐ろしいと言っていた。抜刀するつもりがないのだ。
喧嘩に巻き込まれ、万が一怪我でもしたら。
ローザリアはすかさずイーライを振り返った。
「わたくし達に構わず、あなたも鎮圧を! こちらはグレディオールがいれば十分です!」
レンヴィルドの専属であるにもかかわらず、彼は何だかんだローザリアの命令を実行してきた。
けれど今回は、微動だにしない。
「イーライ様!」
「問題ありません、ローザリア様」
イーライは、静かな表情のまま眼下の騒ぎを静観している。思わずローザリアも視線の先を追った。
既に騒ぎの中心にたどり着いていたカディオは、殴り合いに発展していた男達の間に割り込んだ。
気の昂っている男達は、邪魔をする彼に狙いを定めた。振り上げられたこぶしがカディオに迫る。
いかにも喧嘩慣れしていそうな男の一発は、かなり重そうだ。
息を呑むローザリアだったが、カディオがあっさり避けたために目を瞬かせる暇もなかった。
そのまま彼は相手の背後に回り込むと、素早く腕をひねり上げる。男は堪らず悲鳴を上げた。
その時、もう一人の男が足元に転がる商品を投げ付けた。金属製のゴブレットだ。
うなりを上げて飛来する金属を、カディオは同じく商品である燭台で軽快に弾き飛ばす。
壁と同じレンガで造られた階段に、ゴブレットが思いきりめり込む。
人がいない区画を選んだのだろう。誰かに当たれば致命傷になるところだった。
燭台に傷がないか確かめるカディオの隙だらけな背中に、今度はこぶしが繰り出される。
さすがにかわしきれないと思われたが、彼は後ろに目があるかのように回し蹴りで返り討ちにした。
完全に手加減された一撃を、男はもろに食らってよろける。が、地面には硝子の破片が。
このままでは大怪我をする。倒れゆく男の無惨な結末を思い、誰もが目を覆ったその時。
カディオは長い腕を伸ばして、男の襟首を何とか引き寄せた。
かろうじて引っかかっているのは人差し指一本。
喉を締め付けられた男は苦痛にうめくが、今まさに転がろうとしていた地面に視線を向けると一瞬で青ざめた。
カディオは、男を安心させるように笑いかける。
「ギリギリでしたね」
子どものようにいなされ、その上庇われてからの笑顔に、一体何を感じたのだろう。
男は情けない顔で両手を前に突き出し、あっさり降参の意を示した。
もう一人の男も既に同じ体勢だ。
成り行きを周囲で見守っていた客達は、華麗に解決してみせた騎士に喝采を上げた。
カディオは恐縮しつつ、破片で怪我人が出ないよう彼らを慌てて宥めている。
あっという間に片が付くと、イーライが真顔で振り返った。
「街の無法者ごときに、我々近衛騎士が負けるはずがありません」
「そ、のようですわね……」
普段のカディオを見ていると忘れがちだが、彼は近衛騎士団の中でも指折りの精鋭なのだ。
安堵と共に、肩から力が抜けていく。
「カディオ様……」
「クソッ。店内で暴れるなど、野蛮人め」
歩み寄ろうとしたローザリアの横を、子爵が小声で悪態をつきながら通り過ぎていく。
けれど彼は、すぐ取り繕った笑みに変えた。
「さすがでございますな、騎士様! 争いを一瞬で収めてしまう手腕、お見事でした!」
ドルーヴのオーナーが出てきたことで、さらに客達が興奮する。もはやお祭りのような騒ぎだ。
ーーそれが狙いなのかしら。
争いに恐怖を感じていた者にとっては非日常の刺激的な出来事という印象にすり変わるし、いい思い出になれば評判も高まる。
先ほどの呟きを聞く限り客のためとはとても思えないが、悪くない対応だろう。
「ただ一つ、問題が」
ローザリアはイーライの呟きを拾い、首を傾げる。続きを引き取ったのはレンヴィルドだった。
「もうすぐ憲兵がやって来る頃だ。ここまでしっかり関わってしまったからには、カディオ共々事情聴取は免れないだろうね」
「まぁ……」
見計らったかのように、エントランスから通報を受けた憲兵団がなだれ込んでくる。
ローザリアは頬が引きつるのを感じた。
ただですら、休みは潰れたようなものなのに。
長い一日はまだ終わりそうにない。
憲兵から一人一人事情聴取を受け、現場検証を終えた頃。外はすっかり暗くなっていた。
全員が時間を合わせて帰るのは大変なので、従者達が馬車を手配し各自寮へ戻ることになっていた。
ドルーヴも閉店間際。今日は本当に、踏んだり蹴ったりだった気がする。
ローザリアは、疲れた足取りで階下へと向かう。
一階の飲食街から漂う食欲をそそる匂いに、空腹が刺激される。余り物でいいから何か分けてもらえないだろうか。
その時、階段にモゾモゾ動く物体を見つけた。
人と知りながら物体と称さざるを得なかったのは、うずくまり布の塊と化していたからだ。
謎の布は、ちょうど諍いでゴブレットが命中した辺りを這いずっていた。
そして、口中で何か呟いている。
明らかに不審な風貌と、階段に向かい独り言を呟く姿。ローザリアは色々ピンと来てしまった。
おそらく彼が、噂の不審人物だ。
男の言動に耳を澄ませてみる。もしも危険思想の持ち主ならば、憲兵に伝えるべきだろう。
『……に問題はないだろうか。どうにもここまでの損傷は……製造されたのがいつか……』
ーーなるほど。そういうことだったのね……。
何を話しているのか理解できなければ、貧民街の住民が不気味に思うのも無理はない。
男は、隣の大陸ーー主にシャンタン国などで用いられる言語を話していたのだ。
ひとまず、見るからに不審ではあるものの害はなさそうだと判断する。
グレディオールとミリアもついているので、思いきって声をかけてみることにした。あまりの変人ぶりに興味が湧き出していたのだ。
『あの、何をしていらっしゃるのですか?』
自国の言語に、風変わりな男性は顔を上げた。
「言葉が、分かるのか」
「書物で学んだ程度ですが」
男性の声は、思いの外若かった。
外套を目深に被っているため判然としないが、もしかしたらローザリアと同じくらいかもしれない。
「あなたは、何をしていらっしゃるのですか? 不思議な行動に、街の方々が不安がっております」
「それは申し訳ない。だが、どうしても確かめねばならないことがある」
男性の口調が堅苦しいのは、レスティリア王国の公用語に慣れていないからだろうか。だが、とても流暢だ。
「確かめたいこととは、階段を観察されているのと関係があるのですか?」
「そうだ」
「焼成レンガがお好きなのですか?」
何か使命があるような口振りだが、彼が楽しそうなので思わず訊いてしまった。
焼成レンガとは、文字通り原料となる粘土などを高温で焼いたものをいう。
するとその単語に、男は顕著な反応を見せた。
「焼成レンガ……スルリとそんな言葉が出てくるとは、さては君も、壁愛好家では?」
「違います」
ローザリアの食いぎみの返答にも、男の興奮は冷めやらない。好きなものが関わると話が通じなくなる類いの人間のようだ。
「俺は、壁が好きだ。この国のレンガも非常に面白い。レンガの色は、原料の粘土と焼き方で決まる。発色には鉄分が重要で、量が少ないとアイボリー、多いと赤色になるのだ。他にも様々な化合物によってベージュや、薄紅やグレーなどに変化する。とても美しく奥が深いではないか……!」
勢いよく立ち上がった拍子に、男の外套がハラリと肩に落ちる。
露になったのは、紫を帯びた艶やかな黒髪と灯火のような橙色の瞳。そして、シャンタン国特有の、神秘的な象牙色の肌。
一重の目元は細い鼻梁と相まって涼しげな印象だが、唇が厚いためどこか怪しげな色香がある。
「景観の美しさは壁にある。空間を損なわない、景色に溶け込む美。それが壁だ。壁こそ美の頂点」
「はぁ……」
「分かってくれるか。君は見込みがある」
真顔で淡々と、それでいて饒舌に性癖を説く美貌の青年には、やはり変人という言葉が相応しい。何かを見込まれても非常に重荷だ。
「ーーローザリア嬢?」
その時、上方から名を呼ぶ声が聞こえた。現れたのはレンヴィルドだ。
ようやく調書を終えたようで、どこか疲れた様子で階段を降りている。
「何をしているんだい? もう日も暮れているし、早く帰った方がいい」
「それが、こちらに……」
そうしてローザリアが振り返った時。
不思議な青年は、忽然と姿を消していた。
本日ヤングエースアップ様にて、
『悪役令嬢? いいえ、極悪令嬢ですわ』の連載が開始いたしました!
作画を担当してくださるのは斯波浅人先生です!
とても美麗なローザリア達を、ぜひご覧になってみてください!m(_ _)m




