第一王子
結局レンヴィルドのみが同行することとなった労役所行き、その当日。
朝からひどく冷え込んでいたので、ローザリアの防寒は完璧だった。
厚地織りのドレスの下には毛織りのタイツ、天鵞絨の帽子と合わせた黒のケープもなめらかなファーで温かい。
労役所は王都の郊外にある。
ローザリアは、ミリアとグレディオールと共に馬車に揺られていた。
レンヴィルドとは別行動、労役所前で落ち合う予定だ。休日前、彼が王宮に帰省したためだった。
馬車がゆっくりと停止し、ステップを降りる。
労役所は王都の北に広がる森に隣接しており、昼だというのに薄暗い。
堅固な建物は高い壁にぐるりと囲われ、その上には逃亡防止の有刺鉄線がおどろおどろしく張り巡らされていた。
近くにカラスの巣でもあるのか、黒い鳥が群れをなしている。訪れるのは初めてではないのに、どうにも陰鬱な雰囲気が拭えなかった。
「わたくしは十五年間、ずいぶん環境のいい牢獄で過ごせていたのね」
「そういう皮肉は本気で笑えませんから」
感慨深く呟くも、ミリアに窘められてしまった。
「ローズ様、レンヴィルド殿下が既にご到着なさっているようです」
彼女に従い、見張りが立つ門前へと向かう。
そこには待ち合わせ相手であるレンヴィルドと、護衛のカディオが立っている。
その後ろに隠れるように立っている少年に気付き、ローザリアは絶句した。
レンヴィルドの胸元ほどしかない身長に、子ども特有の華奢な体つき。利発そうな顔立ちは、どこか彼と似通っている。
黄みの強い金髪は長く、後ろできっちりと結ばれていた。そして何より特筆すべきはーー王家特有の澄んだ緑眼。
「初めまして。ヘイシュベル・フロイス・レスティリアと申します。叔父上が労役所に行かれるということで、我が儘をおして同行させていただきました。よく見て、よく聞いて、たくさんのことを学びたいと思っております。今日はどうぞよろしくお願いいたします」
十二歳という年のわりに、しっかりとした挨拶。
ヘイシュベル・フロイス・レスティリア。レンヴィルドの甥にあたる第一王子、順当にいけばーー次期国王陛下。
とんでもない大物の登場に半ば呆然としていたが、上位の者に話しかけられ何も返さないわけにはいかない。
ローザリアは動揺を完璧に隠すと、流れるような所作でお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、ローザリア・セルトフェルと申します。ヘイシュベル殿下にお会いできて光栄ですわ」
微笑みに、彼は丸みを帯びた頬を赤くさせた。
「こちらこそ、叔父上から話を聞いてずっとお会いしたいと思ってました! 街に関する政策の提案、本当に素晴らしかったです! それにこれほどお美しく、優雅な方だったなんて!」
「まぁ……」
キラキラと尊敬に輝く眼差しを向けられ、ローザリアは少なからず困惑した。
情報でのみ知っていた第一王子は、権謀術数渦巻く王宮育ちとは思えないほど純粋な少年らしい。
「まだローザリア嬢の表面しか見えていないのだから、ある意味幸せかもしれないね」
二人のやり取りを見守っていたレンヴィルドが、ボソリと呟く。
「レンヴィルド様、どういう意味でしょうか?」
「くれぐれもヘイシュベルの憧れを打ち砕かないでほしいと言ったまでだよ」
いつもの皮肉の応酬だが、声に若干本音が混じって聞こえる。レンヴィルドは甥を大切に思っているのだろう。
「突然甥を連れてきてしまって、迷惑をかけるね。真面目で勉強熱心なのはいいことなのだけれど、せっかくの休日を労役所で過ごそうなんて少々変わった子なんだ」
「あら、それはわたくしに対する皮肉も含まれております? お忙しい殿下方のお手を煩わせてしまい、大変申し訳ございませんわ」
「ハハハ。構わないよ、ある意味気分転換になる」
「ウフフ。今は執行部のお仕事まで任されて、とても大変ですものね」
胡散臭く微笑み合うと、傍観していたカディオがブルリと背筋を震わせた。
軽い挨拶も済んだので、建物内へと向かう。
労役所は国の管轄にあるため、レンヴィルドとヘイシュベルがいるだけで面倒な手続きに煩わされず通してもらえた。
仲のよい兄弟にしか見えない王族達を前方に、カディオと並んで歩く。
「彼ら、叔父と甥というより、兄弟みたいですよね。年齢も近いし、造作もよく似てる」
金色の瞳を細めながら、カディオが呟く。
近衛騎士団の精鋭であるはずなのに、無邪気な表情は大型犬を彷彿とさせる。
こっそり笑みをこぼしながら、ローザリアも同意を示した。
「えぇ、本当に。王宮でも、お二人はさぞ仲睦まじいのでしょうね」
「そうですね。昨日も、夕食を一緒に食べてました。ヘイシュベル殿下は、一生懸命その日学んだことを話したりして」
カディオの口ぶりから王宮に随行していたことを察し、彼は帰省をするのか、ふと気になった。
王宮内に騎士寮が存在することは、ローザリアも知っている。
四六時中王族を警護する近衛騎士団に所属していれば寮住まいも当然だろう。とはいえ、何年も実家に顔を出さない者は稀に思える。
一方彼は、転生者だ。
社交界に浮き名を流していた『カディオ・グラント』とは別の人格が、肉体に宿っている。以前に本人からそう打ち明けられていた。
生粋の遊び人から一転。ただれた噂は途絶え、今や大型犬のような風情となっているため、信憑性は高いと思っている。
ならば、グラント男爵家での彼の立ち位置が気になってくる。
家族とは、どのように接しているのか。
ーー今まで他人の家庭内について、ほとんど踏み込んだことはなかったけれど……。
「ローザリア様、どうかしましたか?」
心配そうに顔を覗き込まれ、ローザリアは目を瞬かせた。
ミリアやグレディオールが相手ならばまだしも、他人といてここまで気を抜くなんて今までの自分からは考えられないことだ。
「すみません。会話の途中で考え事なんて、わたくし失礼なことを……」
カディオは柔らかく首を振ると、どこまでも朗らかに破顔した。
「いいえ。不思議なんですが、あなたとなら沈黙も全く気にならないので」
「ーー」
不意打ちに、思わず足が止まった。
ルーティエといい、純粋な好意を惜しみなく与えてくれる人種に、ローザリアはとことん弱い。
真顔を保つのに精一杯で、頬が赤くなっていないか心配になる。
第一王子との突然の邂逅にも平静を貫くことができたのに、これでは全く様にならない。
内心羞恥にのたうち回っていると、いつの間にか足音が止んでいることに気付いた。
レンヴィルドとヘイシュベルと目が合う。
何とも言えない生温い目付きの友人と、曇りなき瞳に純粋な疑問を浮かべる少年。
「叔父上。ローザリア様とカディオ様は、そういうご関係なのでしょうか?」
「さぁ、私の口からは何とも」
交わされる会話を尻目に、ローザリアはそそくさと彼らを追い抜いた。
聞き続けていたら、きっと心がへし折れる。
ーーわたくしは外の世界を知って、強くなったのかしら? 弱くなったのかしら?
以前から、たびたび考えることがあった。
セルトフェル邸で過ごす代わり映えのない日々は、単調だけれど平穏そのものだった。
愛おしくも退屈な毎日。それは、ローザリアの心に鋼の強さをもたらした。
外の世界は、真新しいもので溢れている。
楽しいことばかりでなく悪意にさらされることもあるけれど、ローザリアの強い精神はそれすら楽しんでいる節があった。
なのに、カディオといると心が揺れてばかりだ。
思えば彼に対しては、初めて会った時からそんなことばかりだった気がする。
ーーこれは、弱さなのかしら。
カディオの屈託のない笑顔が、不意打ちの言葉が、頭の中をグルグルと駆け巡っている。
「ローザリア様? あまりお一人で先に行かれると危ないですよ? せめてグレディオール殿をーー」
彼ののんきな忠告が追いかけてくる。
ローザリアは鼓動の速さに気付かれまいと、振り切るようにして歩く速度を上げた。




