何でもないひととき
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放課後、ローザリアは談話室を訪れていた。
お茶会などの予定が入っていなくても、最近はこうして自然に足が向く。
直行直帰が基本だった以前に比べると、それは格段な変化だった。
談話室にはまず大きな広間があり、その奥の通路を進むと大小様々な個室に繋がっている。
入り口に立つと、広間で思い思いに過ごしていた生徒達がざわついた。
動向を見張られるのはいつものことなので、特に気にしない。いつまで経っても化け物扱いをされているだけだ。
ーーあら? ここは女性として、もっと気にした方がいいのかしら……。
可愛いげのなさが恐れられる原因ならば、少しは弱さや親しみやすさを演じてもいいかもしれない。
どこまでも可愛いげから程遠いことを考えていると、目の前に立ちはだかる者がいた。
「ここに一体何の用だ? 今日は特に予定はなかったはずだが?」
偉そうにしているのは、鳶色の髪に同色の瞳の少年、ジラルド・アルバだった。
居丈高に腕を組んでいるものの、まだ全体的に細身なため威圧感が足りていない。
「ごきげんよう、ジラルド様。予定がないことは存じておりますけれど、あなたこそなぜこちらに?」
あくまで笑顔で問い返すと、一つ年下の少年は目に見えて狼狽えた。
「ぼ、僕はここにある、卒業生が残していかれた貴重な日誌や書籍に目を通そうと思ったまでだ! 決してお前のように寂しいからではないぞ!」
「あら、わたくし寂しいだなんて一言も申しておりませんけれど?」
「うぬぅ……!」
どうやら彼も、寂しさと暇をもて余して談話室にやって来た口らしい。
相変わらず分かりやすく赤面するジラルドに、ローザリアは嘲りでない笑みを浮かべた。
周囲は化け物扱いだというのに、よく真正面から立ち向かう気になる。
吠えられながらも彼に好感を抱くのは、その真っ直ぐな性根が眩しいからかもしれない。
とはいえ、この論争はローザリア側とて図星なのだから、これ以上は泥沼化する恐れがある。
ぼっち属性が強く、人付き合いもうまくない二人というのが、いかにもそれらしくて笑えない。
ローザリアはすぐに話を変えることにした。
「ところでジラルド様。ご予定がおありでないのなら、ご一緒いたしませんか? さすがに二人きりにはなれないので、こちらで紅茶をいただくことになりますけれど」
「だから僕は貴重な資料に目を通す必要が……まぁ、付き合ってやってもいいが」
「ありがとうございます」
ローザリアに向けられる好奇の眼差しで、ジラルドに煩わしい思いをさせるわけにはいかない。
なるべくひと気の少ない場所を探し、二人さらに奥へと進んだ。
日当たりの悪い北側は、暖炉からも遠いため閑散としている。さすがに視線を遮ることはできないけれど、声が届く心配はないだろう。
そうして腰を落ち着けかけたところで、今度は思いがけない人物に行き合った。
「レンヴィルド様?」
分厚い書類の束に埋もれているのは、間違いなくレンヴィルドだった。
カディオは休憩中なのか、警護をしているのは寡黙なイーライだけだ。
「レンヴィルド様、どうしてこちらに?」
「奥の個室を借りようとしたのだけれど、今日は生憎満室だったのでね。寮に戻るのも億劫だったから、ひと気の少ないこの一角ならばと」
「まぁ、そうでしたの。わたくしとしたことが危うく、ジラルド様と同じく寂しかったからではと誤解してしまうところでしたわ」
「おいっ! 殿下に失礼だし、何より僕を巻き込んでの嫌みはやめろ!」
保身にわめく子犬とは異なり、レンヴィルドは素直に頷いた。
「まぁ、寂しくないとは言えないかな。書類仕事をしている時といえば、いつもあなた達が周りにいたからね。一人黙々とこなすのも、何だか物足りなくなってしまった」
「…………」
あっさり認められてしまうと、先ほどまで醜い意地の張り合いを繰り広げていた両者としては、一歩先んじられたようで気に食わない。
まるで人間性の違いを見せ付けられているようではないか。
「素敵ですこと。レンヴィルド様におかれましては、随分余裕がおありになるようで」
「さすが殿下でいらっしゃる」
「本心を言ったまでなのに、なぜ私は皮肉をぶつけられているのかな?」
おそれ多いと一歩引いていたジラルドにまで攻撃され、レンヴィルドの優雅な笑みが引きつる。
そこに、明るく弾んだ声が響いた。
「あ、ローザリアさん! それにレンヴィルド様、ジラルド君も!」
駆け出しそうになるのをアレイシスに止められているのは、ルーティエだった。
「まぁ、続々と集まっておりますわね」
ローザリアは思わず苦笑をこぼした。
どうやら考えることは、みんな同じらしい。
こうなってくると、フォルセだけがいないことに違和感がある。
選挙を前に執行部は忙しいのだと、書記を務めている本人から聞いているけれど。
「確かアレイシスは、会計候補だったかしら?」
「あ? 何だよいきなり。まぁそうだけど」
ようやく追い付いてきた義弟に問いかけると、首肯が返ってきた。
「そんで順当にいけば現書記のフォルセ義兄上……じゃなかった、フォルセ先輩が副会長。現会計のデュラリオン先輩が会長になるところ、なんだけど」
続けながら、アレイシスの視線がチラリとレンヴィルドの方へと向けられた。
「そのデュラリオン先輩自身が、どうにか殿下を会長に押し上げたいみたいで」
「それでああして、日々書類にまみれているのね」
機密書類もあるから、人目の多い場所で王宮から届く仕事を行うことはないだろうと思っていた。十中八九執行部に押し付けられた雑務だ。
ーー最近、本当に多いわね……。
思考に沈むローザリアの目の前に、ルーティエがストロベリーブロンドを揺らしながらひょっこりと現れた。
「ここなら誰にも聞かれないし、普通に話してもいいよね。ねぇローザリアさん、前に話したドルーヴってとこ、早速今週のお休みに行こうよ!」
先日の約束を、とても楽しみにしているらしい。
期待に輝く翡翠色の瞳を見てローザリアも嬉しくなるけれど、早急に調べるべきことがある。
「申し訳ないけれど、どうしても外せない用事があるの。また次のお休みに行きましょう?」
断りの文句を口にすると、どこから聞いていたのかレンヴィルドが問いかけてきた。
「外せない用事って、家の関係かい?」
「いいえ。労役所に行くつもりなのです」
「労役所に、わざわざ? 最近はあまり頻繁に行っていなかったように思うけれど」
そう。ローザリアが直接労役所に赴くのは、実に久々だった。
ゴロツキ達への労役は、シャンタン国の建築様式を学び、土壁を作る確かな技術をものにすること。その指導はローザリアに任されていた。
けれど実際に指導したのは、ほんの数回程度。
ローザリアは技術やノウハウを知らないため、既に教えられることがなくなっていたのだ。
「久しぶりに彼らの様子を見ておきたいのと、直接会って聞きたいことがございまして」
「聞きたいこと?」
「えぇ、その……」
深夜に入港した船の話といい、友人とはいえ気軽に共有できない情報は多い。
けれどローザリアは逡巡ののち、ミリアから報告のあった不審者の存在を話すことにした。
レンヴィルドがその事実を把握しているのか、反応を確かめるためでもある。
彼は話を聞いていく内に、どんどん深刻な顔付きに変化していった。
「それは、私も同行して構わないかな?」
「構いませんけれど……」
「えっ、それなら私も行きたい!」
横から割り込んできたのはルーティエだった。
アレイシスとジラルドが慌てた様子で咎める。
「駄目だ! 軽犯罪者とはいえ荒くれ者の集まりなんだぞ。そんなところに行かせられない」
「そうです! ルーティエ先輩のようなか弱い女性の行くところではありません!」
「……」
か弱い女性でないなら自分は何なのか、というローザリアの不満に気付かず反対する二人を、ルーティエが恨めしげに睨んだ。
「だって、それでも行きたいもん……駄目?」
「うっ……」
睨んだところで迫力はなく、むしろ潤んだ瞳での上目遣いは彼らから毅然とした態度を取り払った。
「その、危険だけど、まぁ、俺達がいれば……」
「許可はできません」
狼狽えるばかりの駄目男達に代わり、厳しい声を発したのはローザリアだ。
目を瞬かせるルーティエを、アイスブルーの瞳で訴えかけるように見据える。
「あなたやわたくしを襲った者もいるのよ。わざわざ恐ろしい思いをする必要はありません」
「でも、怖い思いをしたのはローザリアさんも一緒じゃないの?」
彼女がなおも食い下がろうとしたので、ローザリアはグッと瞳を細めた。
「あなたがもし、過去の恐怖を乗り越えるためにどうしても彼らと向き合いたいと言うのなら、お止めしません。けれどただの好奇心から軽率な発言をしているのだとしたら、あなたが僅かにも成長していないことに、わたくしは失望いたします」
鋭い刃で切り付けるような言葉に、全員がしんと静まり返った。
ルーティエはサッと青ざめ、動かない唇を懸命に動かしながら謝罪した。
「すみませんでした……」
「おい、何もそこまで責めることはないだろう?」
小刻みに震える彼女を、ジラルドが庇った。彼もローザリアの苛烈さに、どこか困惑した表情だ。
ローザリアは揺らぐことなく、アレイシスとジラルドに視線を移した。
「ジラルド様にアレイシス、あなた方の甘さにも問題はあるわ。学園に馴染む努力をする彼女を、助けていくと決めたのではなくて?」
痛いところを突かれたようで、彼らは揃って気まずげに目を伏せた。
ギクシャクとした空気が流れる中、沈黙を破ったのはレンヴィルドだった。
「ローザリア嬢の言葉は正しすぎて、時に冷たく感じるものだね」
穏やかな彼の声は、凍った空気を溶かしていくようだった。ルーティエもアレイシスも、肩の強ばりをホッとほどく。
ローザリアはあくまで毅然と答えた。
「わたくしは事実を述べたまでですが」
「それは表面的な理由だろう? 本当はアレイシス殿と同じように、ただルーティエ嬢を心配しているだけなのに」
いたずらっぽく笑いかけられ、ばつが悪くなる。
何も全員がいる前で明かさなくてもいいのに、本当にいい性格をしている。
「……え? 本当に?」
ルーティエが、限界まで涙の溜まった瞳でローザリアを見つめる。
認めるのは気恥ずかしかったけれど、不安に曇る顔を見ていればつい優しい言葉を探してしまう。
結局、駄目な彼らと変わらないのだ。
「……あなたを、髪一筋とて傷付けたくございません。体だけではなく、心も」
途端、彼女の顔がくしゃりと歪んだ。
「よかった……私、嫌われちゃったと思って」
「この程度のことで嫌いになっていたら、とっくに愛想を尽かしておりますわ」
「ひどい!」
嫌みを言うと、こぼれかけたルーティエの涙はすぐに引っ込んだ。
天真爛漫な彼女には、やはり笑顔が似合う。
礼を込めてレンヴィルドを見つめると、彼は何てことなさそうに肩をすくめる。
こういうところは本当に敵わない。
ローザリアは少しの悔しさと、どこかくすぐったいような温かい気持ちを噛み締めながら、頬を緩めるのだった。




