ついに入学を果たしました
レスティリア学園の制服は、品のいい濃紺のワンピースだった。
ワンポイントのネクタイは胸元までの短いもので、色はカスタードクリームのように優しい。刺繍入りの丸襟はやや大きめで、足元のショートブーツも合わせると清楚ながら愛らしさもある。
「ローズ様、よくお似合いになっております」
「そうかしら? わたくしは目元がきつめだから、こういったデザインは相性が悪いと思うけれど」
大きな姿見の前でスカートの裾を押さえながらクルリと回ってみせると、ミリアが断固とした口調で否定した。
「何をおっしゃいますか! ローズ様は清楚さと高貴さの中にもどこか匂い立つような艶やかさがございますが、だからこそ少女らしさを強調した格好をなさいますと危うげな雰囲気になって得も言われぬ魅力が……」
「よく分からないけれど、結局似合っていないという結論でいいのかしら?」
部屋の隅に控えたグレディオールを確認すると、彼は目を合わせようとしなかった。
黒髪に金緑の瞳、なかなか端整な顔立ちなのに言い寄る女性がいないのは、彼の無言に耐えられる強者がいないせいだろう。
今日は記念すべき、学園編入初日。
半ば追い立てたため祖父の動きは迅速だった。僅か三日で入学手続きを済ませると、直ぐ様学園へと送り出してくれた。
レスティリア学園の所在地は王都内のため、一刻もかからない距離にある。だが全寮制なので、しばらくリジクとは手紙のやり取りだけになるだろう。
ローザリアに与えられた寮の一室は、主に王族が使用する用途のものだった。
本来ならば手狭な二人部屋に入寮する予定だったのだが、特殊な事情を鑑みて急遽一人部屋ということになったらしい。
おかげであまりの絢爛さに、寮という雰囲気は皆無。自宅にいるのとほとんど代わり映えがない。
普通の若者らしい日々が送れると期待していたローザリアは、少しだけガッカリした。
貴族の子どもばかりが集まるこのレスティリア学園でも、『薔薇姫』は王族並の厳重警戒体制を取られるらしい。
「ともかく、早くカディオ様にお会いしたいわ」
「王弟殿下の護衛をしてるのですから、気軽に会うのは難しいでしょうね」
「そうね。まずは王弟殿下と、そこそこいい関係を築いておきたいところね」
護衛の仕事はほとんど付きっきりだ。
学生のように放課後もないし、食事休憩は他の騎士との交代制だろう。それだって王弟殿下の授業中にひっそり終わらせるはずだ。
同じく学生であるローザリアにできるのは、王弟殿下とお近づきになるくらい。カディオの主からの覚えがよければ、何かと融通も利くだろう。
「殿下と同じクラスでよかったわ。機会がすぐに巡ってきそう」
「殿下だけでなく、義弟君のアレイシス様とも同じクラスですけどね。フォルセ様は一つ上の学年なので顔を合わせる機会も少ないでしょうけれど、例の特待生の少女も同クラスのはずです」
「そこは、何とも悩ましいところね……」
婚約者である公爵家の三男、フォルセ・メレッツェンとの関係は、何も昔から冷えきっていたわけではない。彼も当初は誠実だった。
問題を抱えるローザリアを常に尊重し、婚約者として扱ってくれた。セルトフェル家への訪問も以前は頻繁だった。
ほとんど顔を見せなくなったのは、学園に通い始めた頃からだろうか。やり取りしていた手紙もなくなり、どんどん疎遠になって。
恋ではないけれど家族のような絆を感じていたので、当時はとても寂しさを感じた。
アレイシスにしてもそうだ。
一族の直系がローザリアしかいなかったために、当主となるため傍系から引き取られた義弟。
優秀さを買われたとはいえ実の両親と引き離され、幼い頃は影でよく泣いていた。少しずつ年月を重ね、彼はセルトフェル家に馴染んだのだ。
昔はよく、外出のできない義姉のために外での思い出話を色々話してくれた。それこそ、本当の姉弟のように。
アレイシスは入学当初、週に一度の休日のたびに帰省していた。ローザリアとリジクの顔を見るためなら苦にならないと言って。なのに、今では長期休暇になっても顔すら見せなくなっていた。
その原因が、彼らの口の端によく登っていた特待生にあることは、ミリアの調べで分かっていた。
彼女は憤懣やる方ないといった様子で項垂れる。
「……その特待生の少女に、本当に遺恨は残っていないのですか?」
弱々しい呟きに、ローザリアは僅かに微笑んだ。調査している間も、彼女はずっと同じような表情をしていた。
「あったら既に、それ相応の報復をしているわ。フォルセ様の心変わりは、わたくしに魅力が足りなかったからこそ起こったことですもの。誰かを恨むのは筋違いですわ」
「ローズ様は物分かりがよすぎます!」
「そうかしら? 繋ぎ止めようとすらしなかったのですもの。わたくしも悪いと思うわ」
特待生の少女には、他にも宰相の後継者と目されている者まで夢中だというのだから驚きだ。
一人の女性に三人の男。彼らの関係はまともに成立しているのだろうかと、むしろそちらの方が気になってしまう。
その程度の感想しか抱けないから、やはりローザリアにも非があるのだ。カディオにしか心を割けない淡白さにも。
窓の外、朝日に輝く校舎を見つめる。
赤レンガでできた歴史ある外壁は古く、ところどころヘデラが生い茂っている。
ずっと仕方がないと諦めていたレスティリア学園に、本当に通えるのだ。
これも全て、我慢をしなくていいと、自分の人生を歩んでいいと背中を押してくれた存在のおかげ。
「ミリア、人生を捨てていたのは昨日までのわたくしです。今のわたくしは、この恋を諦めるつもりはありません」
東向きの窓から差し込む日射しに、ローザリアのシルバーブロンドが輝く。
自信に満ち溢れたアイスブルーの瞳はきらめき、今までにない生気を放っていた。
ミリアは感動と共に自らの主を見つめたが、宣言の意味を咀嚼すると再びガックリ項垂れた。
「……できることなら、違うことでその強い意志を発揮してほしかったのですが」
「残念ながら、カディオ様以上に夢中になれることに、出会えた試しがないのよ」
そこそこ深刻な嘆きに軽口で応じていると、珍しくクレディオールが口を挟んだ。
「ローザリア様、そろそろ登校いたしませんと授業に遅れます」
「あら、もうそんな時間なのね。カディオ様と話す時間が減ってしまうわ」
グレディオールから通学鞄を渡され、エントランスに立つ。
「では、行ってくるわ」
「くれぐれも、お気を付けて」
信頼の置ける使用人らに見送られながら、ローザリアは優雅に歩き出した。
石畳の道の両端には、手入れの行き届いた花々が生徒の目を楽しませるように咲き誇っている。
うららかな季節を彩るのは、爽やかに香り立つラベンダーにアマリリス、紫や白の花穂が可憐なデルフィニウム。
ダイアンサスの小さな花に根元を飾られているのは、雪のような白が美しいマグノリアの花木。
けれどローザリアは、咲き乱れる花よりも注目を集めていた。
四月の半ばという中途半端な時期にやって来た編入生に興味を抱くのも無理はない。視線を向けてくるけれど近付いて来ないのは、『薔薇姫』であると既に噂が立っているからかもしれない。
好奇の目をものともせずに進んでいくと、前方に目的の人物を発見した。
「ごきげんよう、王弟殿下」
声をかけて礼をとると、ローザリアよりやや上背のある青年が振り返った。
太陽のように目映い金髪に、王家の者のみに受け継がれる澄んだ緑眼。華やかさには欠けるけれど、見る者の心を穏やかにする落ち着いた美貌。
レンヴィルド・ヴァールへルム・レスティリア王弟殿下。背後にはもちろんカディオが控えている。
レンヴィルドはローザリアを認めると、温かみのある笑顔を浮かべた。
「おはようございます。あなたが今日から編入されるローザリア・セルトフェル侯爵令嬢ですね。話は兄上から伺っています」
ということは、リジクに無理を言って編入を実現させたことも国王から聞いているだろう。ローザリアはさらに深く頭を下げた。
「『薔薇姫』として静かに生涯を終える覚悟をしておりましたが、この度その道を外れることを選んでしまいました。皆さまにおかれましてはご迷惑をおかけすること、恥をしのんでお許し願いたいと思っております」
長い歴史上、生まれた『薔薇姫』の行動を制限してきたのは紛れもなく王家だ。
物心のない内に年の近い公爵家の三男と婚約を結んでいたのも、王家の後押しがあったからこそ。
ローザリアは彼らの機嫌を損ねないよう、慎重に振る舞う必要がある。けれどレンヴィルドは、あくまで笑顔のまま首を振った。
「私はどんな理由であれ、たった一人の人間に全てを背負わせるような解決法は、間違っていると思います。あなたの勇敢な選択に、敬意を表します」
ローザリアが『薔薇姫』であることを承知しているにもかかわらず、王弟殿下は公平に接した。どころか、彼は古い慣習をよく思っていないらしい。とても柔軟な考え方の持ち主だった。
「ありがたきお言葉にございます、王弟殿下」
「今日から私達はクラスメイトになります。どうぞ気軽に、レンヴィルドと」
「では、わたくしのことはぜひローザリアと」
微笑みを交わすと、後方に控えるカディオに視線を遣った。彼も覚えているようで、ローザリアを食い入るように見つめている。
「わたくしのことを覚えていらっしゃいますか、カディオ様?」
「はい。その節は大変お世話になりました」
ローザリア達の親しげな会話に、レンヴィルドは目を瞬かせた。
カディオが詳しく出会いを説明する。
一緒になって聞いている内に、あの日彼はレンヴィルドから逃げている途中だったと分かった。
なぜ仕えるべき主人から逃げ回っていたのか疑問に思うが、記憶喪失の噂があったので、当時も日常生活に支障をきたしていたのではと推測できる。
護衛の挙動に苦笑するレンヴィルドに、頭を掻いて恥ずかしそうにしているカディオ。彼らの間にある信頼関係を見ていると、記憶喪失という噂がまるっきりのデマに思えてくるけれど。
カディオは照れくさそうな笑顔を、今度はローザリアに向けた。
「でも、よかったです。編入なさったということは、これからはいつでも会えるということですから。それなら何とかお礼も渡せそうです」
「まぁ、本当にお気持ちだけで十分ですのに。カディオ様はとても真面目な方なのですね」
「いえ、そういうわけでは。そうだ、よければ今度、俺の買い物に付き合ってくれませんか。もしローザリア様の気に入るものがあれば、俺の方から贈らせていただきます」
思いがけない、まるで罠のように上手い話を提案されたローザリアは、レンヴィルドもいるというのに思わず素で目を瞬かせてしまった。だがこの絶好の機会を逃すまいと、即座に頷こうとする。
「レンヴィルド様! カディオさん!」
その時、幸せなひとときを台無しにする親しげな声が、二人の会話に割って入った。