グレディオールの小さな女王
お久しぶりです!
今日はついに平成最後の日、
そして明日は令和最初の日!
『悪役令嬢? いいえ、極悪令嬢ですわ』の
発売日でもあります!
皆さま、新年号になっても
どうぞよろしくお願いします!m(_ _)m
その少女を初めて見た時、グレディオールはひどく驚いた。
絹糸のように艶やかなシルバーブロンドに、透き通ったアイスブルーの瞳。内側から光がにじんでいるのではと錯覚するほど透明な肌。恐ろしささえ感じる完璧な美貌。
ローザリア・セルトフェルは、唯一愛した女王と瓜二つだったのだ。
まるで、幼くなった彼女と対面しているよう。
けれどグレディオールが似ていると思ったのは、容姿のことだけではない。
人々の頭上に君臨するに値する、圧倒的な資質。少女は誰よりも気高く、孤高な魂の持ち主だった。
少女の側には、こちらに怯えつつも決して離れようとしない男児が二名。
その分かりやすい執着にすら関心が薄そうな彼女は、既に女王の片鱗を見せ付けているようだった。
穏やかに晴れた昼下がり。
グレディオールは久しぶりに地上へ降り立った。
懐かしくも因縁深い、セルトフェル侯爵邸。
ここは、歴代の『薔薇姫』が生まれ育った場所。そして、その生涯を終えていった場所。牢獄、と呼んだ『薔薇姫』もいた。
『薔薇』を冠する者の住まいであるというのに、ここの庭には薔薇が一株たりとも植えられていない。それは、『薔薇姫』を傷付けるものを徹底的に排除したからなのだろう。
それなのに、庭園から甘い血の匂いがする。
グレディオールはふと気になって、『薔薇姫』に接触することを思い立ったのだった。
引き寄せられ向かったのは、北の庭園だった。
初夏の陽光にエルダーフラワーの小さな花が群れをなして輝いている。最盛期なのか、花木全体から甘い香りが漂っているようだった。
けれどグレディオールをなお甘やかに惹き付けるのは、『薔薇姫』の気配。遠い昔に亡くした愛しい面影を呼び起こす、芳しい血の香り。
そうしてたどり着いた先にいた少女の容姿に、グレディオールは何より驚かされた。
まさか、彼の女王に生き写しの人間がいるとは。
少女は、突然現れた見知らぬ顔にも戸惑うことはなかった。むしろ、背後の少年達の方が慌てふためいている。
少女は腕に、品よくリボンでまとめられた薔薇の花束を抱えていた。
このセルトフェル邸から、徹底的に排除されているはずの薔薇。それがここにあるということは、誰かからの贈り物なのだろう。
おそらくこの屋敷の人間ではなく、悪意を持った外部の何者か。
その薔薇の棘が、彼女の柔く小さな手を傷付けたというのが今の状況なのだろう。だが。
「……すぐ処分すればよかったのではないか?」
つい口を衝いたのは、疑問だった。
綺麗に包装された薔薇の花束。棘など、いくらでも触れずにいられただろうに。
血の匂いに誘われて現れたグレディオールに、本能的な恐怖を感じているのだろう、少し喋っただけなのに少年二人はガタガタと身を震わせた。
一方『薔薇姫』である華奢で儚げな少女は、事もなげに口を開いた。
「薔薇を見たのは初めてだったのです。棘で全身をよろっていると図鑑にはあったけれど、それがどの程度の硬さなのか、気になるものですわよね?」
圧の込められた問いかけに、うっかり頷きそうになった。少年達に比べ、何と豪胆な。
「花束を送り付けてくださった方も、随分浅薄だと思いません? もし本当にわたくしが傷付いて、国家を揺るがす事態となったら、どうするおつもりだったのかしら?」
深紅の薔薇を一輪抜き出すと、少女は芳香を楽しむよう花弁に鼻先を埋める。
ついと瞳が開かれ、アイスブルーの眼差しがグレディオールを捉えた。
「――あなたも、浅薄な選択はしないことです」
愛らしい唇を自信たっぷりの笑みに彩りながら、少女は続ける。
「今この瞬間ここに現れたということは、わたくしの血の香りはあなたにとってそれほど魅力的なのでしょう。では生かしておけば、何年何十年もこの香りを楽しめます」
どうやら、グレディオールの正体がドラゴンであると予測できているらしい。
あまりに不遜な態度のため気付かなかったが、少女の言葉でそれを理解した。
ドラゴンは『薔薇姫』の血を欲する。
人間達が、そのような世迷い言を本気で信じていることは知っていた。
彼女も同じ偏見を植え付けられているのだろうと思えば、それさえ駆け引き材料にしてしまう狡猾さに驚かされる。
目の前にいるのは、まだ幼い少女なのだ。
グレディオールは、少々興が乗ってきた。
久しく誰とも会話などしていなかったため、話し相手に飢えていたのかもしれない。物怖じしない少女に、少しばかり付き合ってみることにした。
「そうだな……。一理あるかもしれん」
理解を示すと、彼女は得意気に胸を張る。傲然とした仕草が、なぜか相応しいとすら思えた。
「では、わたくしがどこかであっさり死んでしまったら、あなたにとっても大きな損失だと思いませんか? ならば、あなたはわたくしを守るべきではないかしら。案外、人の世に溶け込んで生きてみるのも、面白いかもしれません」
目の前のドラゴンに、命乞いをするのではなく。
いかに自身に価値があるかを説き、脅しに近い勧誘を繰り広げる。
歴代の『薔薇姫』に類を見ない規格外ぶりだ。
「だ、駄目だ姉上! 危険すぎる!」
「一体君は何を考えているの!?」
少年達は青ざめながらも、必死に少女の暴走を止めようとしていた。彼らも馬鹿ではないようで、相手がドラゴンと理解しているからこそなのだろう。
けれどどんなに肩を揺さぶられても、少女は説得に耳を貸さない。ただ真っ直ぐにグレディオールだけを見つめていた。
何と興味深い少女。知らず笑いが込み上げ、グレディオールは口端を引き上げていた。
「――面白い。少女よ、名を何という?」
問いかけは、どこか挑発的に響いた。
対する少女も、受けて立つと言わんばかりの好戦的な笑みを浮かべる。
「わたくしは、ローザリア・セルトフェルと申します。あなたのお名前をお聞きしてもよろしいかしら、ドラゴンさん?」
ローザリアと名乗る当代の『薔薇姫』は、蠱惑的に目を細めた。アイスブルーの瞳が鮮やかに輝く。
これほど愉快な気持ちになったのは久しぶりだ。
何かが変わっていきそうな予感を抱きながら、グレディオールは少女の前に膝を折った。
「私はグレディオール。――この私が仕えるに足る主となってみせよ、ローザリア」
「馬車馬のごとくこき使って差し上げてよ」
こうして、少女とドラゴンの約束は交わされた。
◇ ◆ ◇
それから一ヶ月。
怯える少年達とは裏腹に、少女は宣言通りグレディオールをこき使った。
ローザリア付きの従者という立場を設定され、仕事や行儀作法に奔走する毎日。だがそれは、存外楽しい日々だった。
談話室は、珍しくローザリアとグレディオールの二人きりだった。祖父のリジクは登城しているし、義弟のアレイシスは剣術の稽古中だ。
優雅な所作で紅茶を淹れると、彼女はおかしそうに笑った。
「たったの一ヶ月で従者の態度が板につくなんて、ドラゴンとは優秀なのね」
ゆっくり紅茶を味わうローザリアをしばらく眺めていたら、自然と口を開いていた。
「……気が付いていらっしゃるのでしょう? ドラゴンが、『薔薇姫』の血を欲しないということに」
ローザリアは取り乱すこともなく、気品のある笑顔のまま首肯した。
「そうね、薄々。血を求めて姿を現したというには、あなたはあまりに理知的な目をしていたもの」
さすが侮れない少女らしく、出会った当初から予想はしていたらしい。
ではなぜ気になっていただろうに、彼女はグレディオールを問い詰めなかったのだろう。
こちらが黙っていたのはそれなりの理由がある。
昔、その時代の『薔薇姫』に、安易に伝えたことがあった。
善意のつもりだった。
なぜ伝説がねじ曲がっているのか分からないが、真実を知れば心穏やかに生きていけるだろうと。
けれど、その『薔薇姫』はグレディオールを口汚く罵ったのだ。
『これまでどれほど苦しめられてきたか。どうせ自由になどなれないのに、なぜ今さら――!』
グレディオールは、少女の気持ちが分からなかった。分からないから、誤ってしまった。
貴族の間に浸透してしまった伝説を彼女一人が否定したところで、何の根拠もない。当然信じてなどもらえない。
不自由でい続けることが無意味だと聞かされて、少女は人生に絶望してしまった。
だから、今回は間違えない。
国王の前にでも出て、グレディオールが証明してみせればいいのだ。たったそれだけで彼女は自由になれるはず。
聞き終えた少女は、けれど首を振った。
「誰かを犠牲にして得た自由に、どれほどの価値があるのかしら? きっと、いつまでも過去に囚われ続けてしまうわ」
「私は犠牲になどなりません。証明が済めば、またしばらく地中にでも潜っていましょう」
「ドラゴンの存在を知って、王国が何もしないとは限らないわ。浅はかな貴族は、あなたを利用しようと目論むかもしれない」
「私を縛ることなど何人にも出来ないと、あなたはお分かりでしょう? 利用することも」
グレディオールは、既に彼女を認めていた。
主、という感覚は未だに分からないものの、一人の人間として。
だからこそ、胸に秘めている願望を叶えてほしかった。ローザリアが焦がれているものが何なのか、一ヶ月側にい続けたグレディオールには分かる。
だが、彼女は頑なだった。
「だとしても、やはりできないわ」
少女が緩く頭を振ると、シルバーブロンドが肩を滑るように踊った。
その光輝がグレディオールから見ても美しいのは、彼女の高潔な魂ゆえだろうか。
「わたくしは、わたくしの大切な人を欠片でも傷付けられたくないの。刃を向ける存在があるなら決して許さないし、全力で守るわ。国家からも、わたくし自身からも」
それが、微塵でも尊厳を踏みにじる行為なら、自分のためであっても許されないと。
グレディオールは目を見開いた。
少女は小さき身で、このドラゴンさえも守ろうというのか。
目映く輝くアイスブルーの瞳から目が離せない。
全身から立ち上る上位者の覇気。ローザリアは、正しく女王だった。
グレディオールは、初めて会った時のように膝を折った。あの頃よりもずっと真摯な気持ちで。
「ローザリア様。あなたが私を守るとおっしゃるのなら、私も持てる全てでもってあなたをお守りいたします。――我が主」
「元よりそのつもりだったわ、グレディオール。あなたはわたくしが心から信頼する、決して打ち砕けない盾だもの」
二人は視線を交わし、共犯者のように笑い合う。
ーー少女とドラゴンの約束は、こうしてより強い契約と成った。




