フォルセの婚約
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彼女を初めて見た時、こんな綺麗な人間が存在するのかとひどく驚いた。
絹糸のように艶やかなシルバーブロンドに、透き通ったアイスブルーの瞳。内側から光がにじんでいるのではと錯覚するほど透明な肌。何より、人を惹き付けてやまない完璧な微笑。
そして――決して離れまいと彼女にべったり張り付く義弟。
このたびフォルセの婚約者となった一つ年下の令嬢、ローザリア・セルトフェルは、鮮烈であり何より強烈であった。
曰く付きながら絶やすことはできないという、不思議な血族。それがセルトフェル侯爵家だ。
婚姻の後見に王家が名乗り出ることも多い。今回婚約の仲介をしたのも、国王陛下であるという。
メレッツェン公爵家に生まれたとはいえ、フォルセは三男。政治的な繋がりのためにどこかの家の婿養子になるだろうとは漠然と考えていた。だが、まさかセルトフェル侯爵家とは。
女性が爵位を継ぐことのできない家もあるため、婿養子の需要は少なからずある。正当な後継者である娘の、優秀な夫として。
その場合婿養子に入った男が当主となるのだが、セルトフェル侯爵家は違う。
血統を絶やしてはならないために、他家の人間は正式な後継者として認められないのだ。
だからフォルセが婿養子になったとしても、セルトフェル侯爵を名乗るのは分家から養子として引き取られたアレイシスになる。
つまり、フォルセには全く旨みのない婚姻だ。
――生まれた子はセルトフェルの血統となるのだから、結果的に血が絶えることはない。なのになぜそこまで厳格に定められているのか。王家が一貴族家の婚姻に介入する理由も定かではないし……。
幼いフォルセに知らされていないことは多い。
ただ彼女には、決して怪我をさせてはいけないと言い付けられている。
美しすぎる以外は普通の少女だ。大人が何を恐れているのか、フォルセには分からない。
「フォルセ様?」
不思議そうに問いかけられ、ようやく我に返る。
初めての顔合わせは、ぼんやりしていていい場面じゃなかった。
「申し訳ありません、ローザリア様。あなたのあまりの美しさに、つい夢を見ているような心地になってしまいました」
フォルセは賛辞を折り込んで誤魔化す。
突然決まった婚約に不満がないわけではなかったが、声を上げて反対するほどでもなかった。
昔から出世欲も支配欲も強くないため、爵位を継げないことにも悔しさを覚えない。むしろ頂点で重責を担うよりも、誰かの指示に従って動く方が性に合っている。
「あなたのような方と婚姻を結べる僕は、この上ない幸せ者です」
だから、概ねが本音だ。
この美しさでさらに性格もよければ言うことなしだ、とは思っているけれど。
褒め言葉には慣れているのか、彼女は儀礼的な笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。よろしければ、少し歩きませんか? 庭のライラックが見頃なのです」
「嬉しいです、ぜひ」
笑顔で頷き返し、外へ出たのはいいが。
「フォルセ兄上、こちらです!」
……なぜ、義弟まで一緒なのか。
「僕、兄というものに憧れていたんです。だから、とても嬉しいです!」
無邪気に笑う天使のようなアレイシスに罪はない。はずだ。
フォルセは頬を引きつらせながら笑みを返した。
遠くに、優しい紫色の花が見えてくる。とても立派な花木には、何羽もの蝶が群れていた。
柔らかな春の青空に、白い蝶。紫のライラック。とても美しく穏やかな光景だ。駆け出していくアレイシスの様子も実に微笑ましい。
フォルセは、隣を歩くローザリアに視線を移した。綺麗な庭だと褒めれば、彼女の人形のように事務的な表情も少しは動くだろうか。
「ローザリア様――……」
言葉が途切れた。
少女は、頭上を舞う白い蝶を目で追っていた。
ただひたすらに、見えなくなるまでずっと。
アイスブルーの瞳は吸い込まれそうなほど美しかった。遠くを見つめる横顔は侵しがたいほど危うく神秘的で、息さえ止めて見惚れる。
冷たい表情なのに、瞳は雄弁だ。
求めるのは自由。遮るものなく空を舞い踊る蝶のように、どこまでも遠くへ。
ローザリアは侯爵邸の敷地から出ることができないのだと、父に聞かされて知っていた。
他人事のようだったそれが今になって、急速に胸に迫る。
彼女は一度として外に出たことがないのだ。それが、どれほどのことか。
フォルセは咄嗟に、ローザリアの華奢な腕を繋ぎ止めていた。
手を離せばどこかに消えてしまうのではないかという、馬鹿げた空想に捕らわれる。
「――いつか、外へ出ましょう。一緒に」
せめて置いていかれたくない。そんな想いから口を衝いた言葉だった。
彼女の人形のようだった顔が初めて動いた。驚きに目を瞬かせる姿は、年相応にあどけない。
ローザリアはフッと笑み、フォルセの腕を優しく外す。聞き分けのない子どもを見るような眼差しは温かかった。
「それはできません、フォルセ様」
笑顔とは裏腹な、至極現実的な言葉。
フォルセも我に返って距離を取った。婚約者とはいえ、初対面で触れるなんて不躾すぎる。
「そう、でしたね。すみませんでした……」
外に連れ出してあげると、好きに生きればいいと、言えたらどんなによかっただろう。
けれどローザリアほどではないにしても、フォルセだって七歳にしては大人びていた。
だから、言えなかった。貴族として無責任な言動は控えるべきと学んでいたから。
「『薔薇姫』のことは聞かされているでしょうに、おかしな方。王命とはいえ、わたくしを気にかける必要はございません。あなた様の自由まで、なくなってしまいますもの」
そう言うローザリアは、寂しげですらなかった。自らの環境を全て受け入れている。
フォルセは首を振って、少女の瞳を覗き込んだ。
「僕は、君と分かり合いたいと思っています。ただ家同士の繋がりのためではなく、人同士で」
初めはそんなこと微塵も考えていなかったのに、ひどい詭弁だと自らを嘲る。
フォルセはなぜだか、ローザリアを振り向かせたくて必死だった。
今彼女の心に残らなければ、この先きっと形式的な付き合いのみになる。本心など一生隠したまま。
それが、どうしても嫌だった。
「どうかこれからは、フォルセと呼んでほしい」
切実さが通じたのか、ローザリアは突き放すようなことを口にしなかった。
「ありがとうございます。では、わたくしのことはどうぞローザリアと」
想いが伝わったと、フォルセは笑顔になる。
「ありがとう、ローザリア」
「けれど王家とて『薔薇姫』を押し付けた負い目を感じているでしょうし、そこまで真面目に向き合わずともよろしいのではないかしら? 融通というものを学ばなければ、この先苦労いたしますわよ」
「……」
想いが激しく伝わっていない。
天然さなのか計算なのか、どちらにしても末恐ろしさを感じる華麗ないなし方だ。
「義姉さん、フォルセ兄上、遅いですよ!」
その時、元気いっぱいなアレイシスが飛んできたため、会話を中断せざるを得なかった。
「兄上、早く行きましょう!」
笑顔で手を引かれ、少し体勢を崩す。
前のめりになってよろけるフォルセの耳元で、アレイシスが囁いた。
「――婚約したくらいでいい気になるなよ」
無邪気に振る舞っていた少年とは思えない、どすの利いた低い声。
顔を離してニコリと笑うアレイシスは、最早天使には思えなかった。
「あれ? 兄上どうしました?」
「アレイシスが初対面なのに『兄』だなんて呼ぶから、不愉快に思っているのではなくて?」
「そうなんですか? つい、嬉しくて……」
しょんぼり落ち込むアレイシスと、痛ましげな顔で彼の頭を撫でるローザリア。
けれどフォルセは、少年が浮かべた嘲笑を見逃していない。
「仕方ないわね。では、わたくしと行きましょう」
「わぁ! 嬉しいです、義姉さん!」
姉弟はまるで二人の世界で、背中がみるみる遠ざかっていく。招待された立場なのに、なぜこれほど居たたまれないのか。
この先、フォルセはきっと苦労する。彼らの言動に翻弄される。
漠然とした予感がしたけれど、それも悪くないと思うほどには、もう興味を抱いてしまっている。
「……待ってよ。ローザリア、アレイシス」
フォルセは乾いた笑みを浮かべると、一筋縄ではいかない姉弟のあとを追った。
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