ほんの嗜みですわ
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被害者とはいえ犯罪に関わったローザリアとルーティエには、事情聴取を受ける義務がある。
だが堂々と学園を欠席すれば、事情が明るみに出る可能性がある。そこで聴取が行われる日は、登校してから医務室に待機することとなった。
交代での呼び出しとなっており、今はルーティエの番。養護教諭は外出しており、現在医務室にいるのはローザリア一人きりだった。
ヘッドボードに背を預け読書をしていると、医務室の扉がノックされた。
教諭が留守にしていることは外の掛け札で分かるようになっているので、急患ではないだろう。
ローザリアはすぐに気配を潜めた。具合が悪くてもそうでなくても、互いに干渉しない方がいい。
「……ローザリア。開けてもいいかな?」
薄手のカーテンの向こうから聞こえた声は、意外な人物のものだった。
承諾すると、躊躇いがちにカーテンが引かれる。
現れたのは緩く弧を描くダークブロンドと、優しげなオリーブグリーンの瞳の青年。線が細く、眉尻を下げていると気弱げにも見える容貌。
元婚約者のフォルセだった。
「フォルセ様……」
「やぁ。こうして話すのは、随分と久しぶりだね。……君を『ローザリア』と呼んでも、僕はまだ許されるだろうか?」
フォルセが弱りきった笑みを浮かべる。
彼と話す機会がこうも早く巡ってくるなんて、思いもしなかった。こんなふうに、穏やかな気持ちで向き合っていられるとも。
ローザリアは小さく、けれど確かに頷いた。
「……はい、フォルセ」
昔のように呼ぶと、彼は懐かしげに目を細めた。
「――ずっと、謝らなければと思っていたよ。僕は浮かれるあまり、とても不誠実だった」
周りが見えなくなるほど逆上せあがっていたフォルセだが、今は随分落ち着いているようだ。
気まずそうに逸らされるばかりだったオリーブの瞳が、今は真っ直ぐにローザリアを見つめていた。
「君はとても優しいから、突き放すことで許してくれたね。公爵家の人間である僕に、謝らせるわけにはいかないと」
「……」
もちろん彼の言う通りだが、若干意地の悪い対応をしすぎた自覚はある。ローザリアは訂正も謝罪もせずに無言を貫いた。
「殿下から、事件後の進捗は聞いている? 君の様々な提案は協議にかけられ、今議会は紛糾しているところ。僕も事後処理に駆り出されて、カディオ殿とも随分話したよ。……色々な噂があるけれど、いい人のようだね」
彼の口から思いがけずカディオの名前が飛び出し、平静を装うのに苦労した。かなり心臓に悪い。
「君、カディオ殿が好きなんだろう?」
「あら、何のことかしら」
ローザリアは鉄壁の微笑みで応戦する。
けれどそんな対応さえも、フォルセには見透かされていた。
「ローザリアは、本心を隠したい時ほど胡散臭い笑顔になるよね。恥ずかしい気持ちは分かるけれど、カディオ殿には素直に接した方がいいからね」
苦笑いで指摘され、こっそり唇を尖らせる。
外向きの笑顔では騙しきれないから、幼馴染みというものは本当にやりにくい。
拗ねていることまで手に取るように分かるのか、彼は堪えきれないように笑いを漏らした。
「フフ……見ていれば分かるよ。何年、君と一緒にいたと思っているの」
ローザリアの手を、フォルセがそっと握る。細くて繊細な指先は皮膚も柔らかい。
彼は口元に穏やかな笑みを浮かべたまま、祈るように顔を伏せた。
「君が、大切だったよ。ずっと、大切な女の子だった。僕にこんなことを言う資格がないことは分かっているけど――――どうか、幸せになって」
家族としての絆はあったけれど、二人の道は最後まで交わらなかった。どちらにも責任はないし、どちらにも責任があると言える。
あとはもう、幸せを祈ることしかできない。互いに最早言葉はいらなかった。
ローザリアは親愛を伝えるように、しっかりとフォルセの手を握り返した。
けれどすぐ、不敵に目を細める。
「ですがそれはそれ、これはこれ。ルーティエ様の件では、申し訳ないけれどアレイシスの味方よ。あの子はわたくしの大切な義弟ですもの」
「その辺りは理解しているよ。君は昔から、アレイシス贔屓がすぎる」
温かな日射しが差し込む医務室に、幼馴染み二人の笑い声が重なり合った。
聴取の順番が回ってきた。
フォルセとは医務室で別れ、ローザリアは談話室の一室を目指す。
礼儀正しく入室するも、中で待ち構えていたのはレンヴィルドだった。
「あら。担当官はレンヴィルド様でしたのね」
「事を大きくしないためにね。それにあなたには、秘密裏に聞いておきたいことが山ほどある」
多忙を極めていたレンヴィルドと顔を会わせるのは、実に久しぶりだ。もちろん、当時の状況説明も十分には行っていない。
それでもローザリアは、紅茶を用意してあるワゴンへと近付いて笑った。
「では、グレディオールも一緒に召喚していただきたいと思います。彼が来るまでの間、少し休憩にいたしませんか?」
役者が揃わなければ二度手間になる。
イーライに指示を出すと、彼は文句も言わずに談話室を出て行く。自分の配下を顎で使われ、むしろレンヴィルドの方が死んだような目をしていた。
閉じ籠っている期間が長かったため、紅茶を淹れるなんてお手のものだ。手際よく人数分のティカップを準備していると、レンヴィルドは頭を抱えた。
「……休憩も何も、始まってもいないのだけれど」
「休憩するのはあなたです、レンヴィルド様。目の下のくまが隠しきれていないですわよ」
指摘すると、彼は少し驚いたあとにばつの悪そうな顔になった。
「忙しさに追い込んでくれた張本人は、あなたなのだけれどね」
そう。フォルセも言っていた通り、今は事後処理が悪夢のような忙しさを呈している。その原因のほとんどは、ローザリアにあると言ってもよかった。
今回の事件を受け、レンヴィルドには幾つかのお願いをしていた。
まず、グレディオールの過剰すぎる活躍によってできてしまった、川の支流じみた抉れ。
あれを貧民街へと流れ込む生活用水にするため、水路を作ってもらう計画を打ち立てた。
どこにいてもうっすら漂っていた悪臭がなくなるし、貧民街と王都との生活格差がなくなれば、犯罪率も低下すると考えたのだ。水路を作ることで梅雨時の氾濫も少なくなるだろう。
それに、貧民街に住む人々には仕事が必要だ。
ローザリアは、意欲のある者にシャンタン国の技術を学ばせ、土壁職人を増やそうと考えた。
確かな技術は安定した仕事に繋がるし、これも貧民街の生活水準底上げに役立つ。
真面目に仕事を続けていれば、東方の目新しい技術に興味を持つ者も現れ始めるだろう。
吸湿性に優れているため貯蔵庫など、大切なものを保管する場所としても利用可能だ。
レンガ造りの家屋は頑丈である反面、高価という難点がある。
王都に暮らす一般市民層にこそ、土壁の家は受け入れられていくかもしれなかった。
全てがうまく運ばずとも、そうして少しずつ差別がなくなり住みやすい街になっていけばいい。
貧民街の暮らしを見て、投げやりながらもどこか気のよさそうな住民達に触れて、ローザリアはそう思うようになっていた。
だが、ほとんど住環境の改革と言ってもいい大胆な着想は、レンヴィルドの頭を大いに悩ませた。
でき得ることなら自らの弁でもって議会の魔物達を説得してほしいものだが、張本人であるローザリアは『薔薇姫』のため登城が禁止されている。全てがレンヴィルドに丸投げの状態だった。
それをローザリア自身も分かっているからこそ、手ずからお茶を淹れているのだった。
「このたった一週間で、私の寿命は確実に三年くらい縮んだだろうね」
「分かっておりますし、感謝もしております。だからこそ、少しはお心安らかにしていただきたいのです。卑小なわたくしにできることは、こうしてお茶を淹れるくらいですが」
「何の冗談だい、それは」
疲労から少し愚痴っぽくなっていた王弟殿下だったが、ようやく彼から笑みがこぼれた。卑小だなどと、本当にひどい冗談だ。
そうして、三人でのんびりと紅茶を飲む。爽やかに香るハーブはリラックス効果のあるものだ。
しばらく経ってから、カディオの秘密を知る者だけになった機会にと、レンヴィルドが口を開く。
「あなたは、カディオの事情を聞いているそうだね。ルーティエ嬢のことも」
ローザリアはカップを置いて頷いた。確かに、今しかできない話だ。
「えぇ、聞いております」
「先ほどルーティエ嬢から、あなたはあとからやって来たと聞いた。おそらく尾けられていたのだろうと。カディオの忠告があったはずなのに、なぜ彼女を尾行したのかな? 危険なことに巻き込まれるのではと、ほんの少しも思わなかった?」
レンヴィルドが迫るように身を乗り出す。
どうやら彼は、少々怒っているようだった。危険に自ら乗り込むような真似をしたのは、ローザリアの過失だと。
それが友としての心配ゆえであることは、分かっているけれど――。
「逆にあなた方にお聞きいたしますが、何かわたくしに隠していることはございませんか?」
ローザリアは臆することなく、質問に質問を返した。休憩中とはいえ事情聴取の場では、ほとんど挑発行為に近い。
さらに、わざとらしく頬に手を当てると、ほうと物憂げな息をついた。
「最近のあなた方は、ルーティエ様に夢中でいらっしゃいましたわね。わたくし、これでもとても寂しかったのですよ。殿下のおっしゃる通り、友達など他におりませんから。えぇ、誰一人」
チクチクと針でつつくような皮肉に、レンヴィルドが待ったをかけた。
「ローザリア嬢。その口振りから察するに、全て分かっているのだろう? ならばあなたを守るための行動だったと、既に承知しているはずだ。こちらも嫌みな言い方は、議会だけで満腹なんだよ」
話の流れについて行けないカディオが、子どものように首を傾げた。
「全て、分かっているとは……?」
「つまり彼女は、ここ一ヶ月の我々の動きを把握しているということだ。おそらく、その理由もね」
「えぇ!?」
素直に驚くカディオが、ローザリアを凝視する。
「あの、なぜご存知なんですか?」
「それは、何についてのご質問でしょう? ルーティエ様がさらわれ、その首謀者がわたくしだと糾弾されるシナリオのことですか? それとも、あなたがそれを思い出したこと? ルーティエ様の怪しい行動を、あなた方が見張っていたこと? そのためにわたくしを遠ざけざるを得なかったこと?」
つらつらと述べていくほど、カディオの顔色が悪くなっていく。
「ほ、本当に全部知ってるんですね。一応、秘密にしていたつもりなんですが……」
すっかりしょげ返る姿があまりに憐れで、ローザリアは息をついた。いじめるのはこれくらいにして、種明かしに移ろう。
「歓迎パーティの日、バルコニーでその話をしていらっしゃったでしょう? わたくし、部屋に戻らずこっそり盗み見ていたのです」
ルーティエが、ありもしないローザリアの犯罪をでっち上げる可能性がある。未然に防ぐには、彼女をならず者から守らなければならない。そのためには、なるべく近くにいる方が望ましい。
そんな彼らの会話を知っていたから、突然寂しい状況に陥っても耐えられた。全ては、目的を達するためなのだと。
説明を聞き終えると、レンヴィルドがそれは不可能だと反論する。
「確かに話の内容は間違っていない。けれどあの日は間違いなく人払いが済んでいたはずだ」
「えぇ。ですから、読唇術を少々」
ローザリアの切り返しに、主従は揃っておかしな顔になった。
「…………読唇術?」
「ご存知ありませんか? 相手の唇の動きを読んで、何を話しているのか正確に把握する技術です」
「いや、読唇術は分かるよ? 分かるんだけど」
ただそれを、深窓の令嬢が駆使する姿というのが、全く想像できない。
カディオは主の前だというのに、無意識にか砕けた口調になっている。
ローザリアは、花のように鮮やかに笑った。
「これも、令嬢として当然の嗜みですわ」
「それ、絶対当然ではないからね……?」
レンヴィルドは頭を抱えながら、再び死んだような目付きになった。




